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明治維新150年」などと言われ、特に保守を自称する者には明治を礼讃する者が多いが、わしは明治礼讃史観を支持しない。彼らが明治を礼讃するのは、単にそれが「勝った」歴史だからだ。日清戦争に勝利し、世界の一等国の仲間入りを果たした誇らしい歴史、ということなのだろう。

 だが、明治維新を成し遂げた西郷隆盛の思想は、東洋の諸国が連携して、アジアの植民地化を狙う西欧列強に対抗しようというものだった。それを大久保利通らは無視し、西郷を下野させ、朝鮮に砲艦外交を仕掛けた。西欧列強のマネをして、威圧外交を展開したのだ。

 不幸にして、その後、日本と清が戦火を交えることとなったが、その戦争の目的はあくまでも近代化に背を向ける清を覚醒させ、朝鮮を独立させることにあったのだから、戦争が終結した後は、賠償請求などは極力抑えて共に手を携えねばならなかった。

 しかし、幕末から30年近くを経た日清戦争当時には、日本から西郷の精神は失われてしまっていた。日本が連戦連勝すると、世論は清から賠償を取れるだけ搾り取れという意見が圧倒的になったのである。日本はここから決定的に道を踏み外したのだ。

 わしが描いた『大東亜論最終章』は、最後の武士たちが、西郷隆盛の東洋王道の道義を復活させようと戦い、そして敗れ去っていく物語である。この物語を描くことで、近代化の中で日本人が失ったもの、取り返さねばならないものとは何かを明らかにしたかった。

 大久保利通が唱えた西洋覇道の論理、弱肉強食で勝った者がすべてだという、道義もへったくれもない日本人ばかりになってしまい、その状況は今なお続いているからだ。

あれから約20年。私はライター・編集者・PRプランナーとしては相当なオッサンになった。今年で46歳になる。もはや、自身の本心を押し殺してまで愛想笑いなんぞしたくない年齢である。若者であれば、身を守るために愛想笑いという“鎧”が必要かもしれない。だが、フリーランスの立場で46歳にもなってもまだそんな鎧が必要なのであれば、そんな人生は惨めなだけだ。実際、前述の取材では、私がそこにいた人間のなかでもっとも年上だった。

いや、実際のところ、年齢すら関係ないだろう。重要なのは「みなが愛想笑いをするなか、自分だけは本心を貫き通せるか?」という葛藤に対して「YES」か「NO」のどちらを答えるか、ということなのだ。余計なプライドかもしれないが、自分の本心と向き合い、「愛想笑いはしない」と決断できることが肝要なのである。そうした姿勢を持つことで初めて、自我を確立することができるようになる。

他人の目など気にしない。自分が正しいと思ったことをやる。一方で、もしもその「正しいと思ったこと」が間違っていたのであれば、それは修正しなくてはいけない。ただ「愛想笑いをしない」は間違いなく正しいと思っている。

今回、愛想笑いをする場面・人があまりにも多過ぎると感じたため、こうして原稿にまとめてみたのだが、改めて振り返ってみると、これまでも仕事のあらゆる場面で愛想笑いは存在していた。私も20代のころ、同僚の営業担当者から強要された。若手ライターだった時代もしていた。しかし、40歳を過ぎてからはまったくしていない。

それで疎まれるのであれば、どうぞ疎んでくれ、としか言えない。面白くもないのに笑うことを強要され、それを苦痛に感じるような人生は送りたくない。笑いというものは、本当に面白いと感じたときにしか発してはいけないのである。

「喜怒哀楽」という4つの感情を表す言葉がある。このなかで「怒」と「哀」はネガティブな感情であり、突発的に生じることも多いため、素直な感情が表れがちである。だが「喜」と「楽」は比較的コントロールが可能なため、本心を押し殺してでも表現することが求められがちだ。だからストレスになる。

余計なストレスから解放されたいのであれば、「喜怒哀楽」に正直に生きようではないか。

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天下の事は万変すと雖も、吾の之に応ずる所以は喜怒哀楽の四者を出でず。これ学を為すの要にして、政を為すも亦たその中にあり。

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『人生は千変万化、いろいろさまざまであるが、自分がこれらの問題をテキパキと処理できる理由は
「人生のいかなる変化も、つきつめれば、喜怒哀楽の四つを出ないこと」を知っているからだ。
よく考えてみれば、いかに喜び、いかに怒り、いかに哀しみ、いかに楽しむか、ということが人生のすべてである』

人生とは、いかに喜び、いかに怒り、いかに哀しみ、いかに楽しむかということ…
つまり「いかに生きるか」ということに「正しい自律」をたてること、「原理原則」をもつことである。

楚(そ)の国の葉公が、「孔子という人は、いったいどういう人物か」と弟子の子路に訪ねたが、
子路は答えられなかった。
それを聞いて孔子は、子路に、どうしてこう言ってくれなかったのか、と言った。

孔子とは、憤ったり感激すると、食べるのを忘れるほど熱い人であり、
道を究め、楽しんでいるときは、憂いを忘れ、年をとるのも忘れている人だ」、と。