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諫早湾干拓事業では、平成9年に国が堤防を閉めきったあと、漁業者が起こした裁判で開門を命じる判決が確定した一方、農業者が起こした別の裁判では開門を禁止する決定や判決が出されました。

司法の判断が相反するなか、国は、開門を命じた確定判決の効力をなくすよう求める裁判を起こし、去年7月、2審の福岡高等裁判所は、「漁業者の漁業権はすでに消滅している」として、国の訴えを認め、確定判決を事実上、無効とする判決を出し、漁業者側が上告していました。

これについて、最高裁判所第2小法廷の菅野博之裁判長は判決で、「漁業権が一度消滅しても開門を求める権利は認められると理解すべきだ」などと指摘して国の訴えを認めた2審の判決を取り消し、福岡高裁で審理をやり直すよう命じました。判決では開門の是非には触れず、司法での争いが続くことになりました。

諫早湾は九州の有明海の西側にあります。

現在、干拓地にはおよそ670ヘクタールの農地があり、長崎県によりますと、35の農業法人などが、たまねぎやレタスなど、30を超える品目を生産しています。

干拓事業の構想が持ち上がったのは戦後すぐの昭和27年。しかし、その事業の目的は米作りや畑作、工業用地など変遷を重ねます。

昭和60年に防災や農業を目的とした現在の事業が動き出し、平成9年、全長7キロの潮受け堤防によって諫早湾の3分の1にあたる3550ヘクタールが閉めきられました。

しかしその後、特産の二枚貝「タイラギ」が不漁となったほか、養殖のりが色落ちし、不作となった年がありました。

このため、国は1か月ほど排水門を開ける調査を行いましたが、原因の特定には至らないまま、中長期の開門調査は行わず、事業を進めることを決めます。

納得できない漁業者らは国を相手に裁判を起こし、争われてきました。

開門の是非をめぐって司法の判断がねじれた状況になったのは、開門を求める漁業者と、開門に反対する農業者が、それぞれ国相手に裁判を起こし、いずれも勝訴したためです。

平成9年に堤防が閉めきられる直前から事業に反対する市民や漁業者が国を相手に事業の差し止めなどを求めていくつもの裁判を起こしました。

このうち、漁業者らが開門を求めた裁判で、平成22年に福岡高裁は1審に続いて堤防を閉めきったことと漁業被害との因果関係を認め、3年以内に開門するよう国に命じました。この判決は当時の民主党政権が上告せずに確定し、国に開門の義務が生じました。

これに対し、今度は、開門に反対する農業者らが国を相手に開門を禁止するよう仮処分を申し立てました。平成25年、長崎地裁は「開門すれば干拓地の農業に被害が出る」などと農業者側の訴えを認め国に開門を禁止する決定を出しました。

これにより、国は「開門しなければならない」という義務と、「開門してはならない」という義務の相反する2つの義務を負うことになりました。開門を求める漁業者と、開門に反対する農業者のそれぞれが、いずれも国相手に勝訴したためです。

国は、相反する義務を負ったことで、3年以内に義務づけられていた開門を先送りにします。

開門してもしなくても、どちらかの義務に違反して制裁金が課せられる状況になり、国は、開門の義務に従わず、制裁金を支払いました。

こうした状況を打開するため国が開門を命じられた平成22年の確定判決を事実上、無効にするよう求めたのが今回の裁判です。

そのうえで国は、おととし、開門しない方針を明確にしました。

国は開門しないことを前提に漁場の回復を目指す100億円規模の基金案を示しましたが和解協議は決裂しました。

去年7月、福岡高裁は「漁業者が開門を求める前提となる漁業権はすでに消滅している」として、確定判決を事実上、無効にする判決を出し、漁業者側が上告していました。