「こういう隙が多い作文を一般に見せていると、社会学部は不要、文系学部は不要と言うような話になりかねない。用語はなるべく学術の世界で一般的な意味で定義し、参照している文献の操作的定義や説明に留意し、さらには言及している文献の内容をよく吟味して欲しい」。いやはや。
— 玉井克哉(Katsuya TAMAI) (@tamai1961) December 30, 2019
思うに「ど素人には、高度にその道を極めた者と、1か月死ぬ気で勉強しただけの奴の区別がつかない」ので、この世の中は1か月死ぬ気で勉強した口が達者な奴がかき回して無茶苦茶にする事例が山ほどあるのではないか?ダニング=クルーガー効果で、能力低いやつは自分の能力不足を認識しにくいみたいやし
— 🌸事務課リー🌸 (@zimkalee) December 30, 2019
そのわけを訊ねた一人に答えて、紀昌は懶げに言った。至為は為す無く、至言は言を去り、至射は射ることなしと。
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明道先生曰く、道の明らかならざるは異端之を害すればなり。昔の害は近うして而ち知り易し。今の害は深うして而ち弁じ難し。昔の人を惑わすや其の迷暗に乗じ、今の人に入るは其の高名に因る。自ら之を神を窮め化を知ると謂いて、而も以て物を開き務を成すに足らず。言、周徧ならざるなしと為して、実は則ち倫理に外れ、深を窮め微を極めて而も以て堯舜の道に入るべからず。天下の学、浅陋固滞に非ずんば則ち必ず此れに入る。道の明らかならざるに自るなり。邪誕妖妄の説競い起こり、生民の耳目を塗り、天下を汚濁に溺れしむ。高才明智と雖も見聞に膠み酔生夢死して自ら覚らざるなり。是れ正路の蓁蕪、聖門の蔽塞、之を闢いて而る後以て道に入るべし。
「見聞ニ膠スル」の膠と言う字は、「こう」と読む。「にかわ」のことで、膠がくっつくようにこだわるという意味である。「才能が高く、智の明らかな人であっても、自分の見聞にこだわる(ような者)は、一生を酔っぱらいのまま過ごして、夢を見ている内に死ぬようなもので、自ら(真理を)覚らないまことにつまらない生き方である」と程頤先生は言われている。
「どんなに才能があって、頭がよくても、
見たり聞いたりに膠着し、とらわれていると、
無自覚のうちに意味のない人生を無駄に終わってしまいますよ」、
ということです。
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夏目漱石「私の個人主義」。友人に勧められたので読んでいる。学習院において夏目漱石が行った講演の筆記録。著作権が切れているので無料で読めるよ。軽妙な語り口の中に彼が考える個人主義(自主独立と他者の尊重)がわかりやすく詰まっている。twitterランドの住民向けかもhttps://t.co/PNaqaAYZZ7
— ノースライム (@noooooooorth) January 2, 2019
なにごとかについて1ヶ月程度でそれなりのことが語れるようになるのは、そのなにごとかに人生を費やした人が幾人もいるからですよ。
— Kuni Sakamoto (@kunisakamoto) December 31, 2019
#勉強法