「しかし一般に法学研究において、理論構築の前提としての自らの現実認識を明示しない抽象的議論がむしろ理論的であるかのようにとらえる誤解がある。」(木下秀雄「井上社会保障法論について―生存権議論との関連」矢嶋里絵ほか編「人権としての社会保障―人間の尊厳と住み続ける権利」法律文化社3頁)
— 弁護士 戸舘圭之 (@todateyoshiyuki) January 30, 2020
法律だってそうでしょう。今の民法、刑法なんていうのも、実際にどういうふうに世の中が動いているかを見ることが大事でね。僕なんかはそれを見ていたわけだけどね。そういうふうに今の陽明学を勉強するということは、当時の法律がいかに動いているか、世の中がどうあったかということを見るわけでね。
大正九年に大学を卒業するまで、鳩山秀夫先生から、法律を論理的に考えることを訓練された私は、さらに、卒業後に、牧野英一、穂積重遠、末弘厳太郎三先生から、法律制度をその社会的作用を中心として考察すべきことを教えられた。そして、留学三年の間、アメリカでは、専ら社会学を学び、ドイツとフランスでは、主として、経済学や社会主義の文献をあさり、民法を専攻する者として、いかなる途を進むべきかに苦慮した。
前に一言したように、卒業して民法専攻の学徒になろうと決心したときに、私は、東京大学に民法講座を担当する者として、いかなる方法論をもって進むペきかに、思い悩んだのであった。鳩山先生の拓かれた途を安んじて進み得るなら苦悩はない。しかし、牧野英一先生や穂横重遠先生の教えを受ける機会をもち、ことに、留学から帰って解釈法律学に対して痛烈な批判の鉾を向けられた末弘厳太郎先生の論難に接するに及んでは、立っている足許の崩れるような不安と焦燥に襲われざるを得なかった。アメリカで社会学を学び、ドイツ、フランスで経済学や社会主義の文献に親しんだのもそのためであった。しかし、帰朝早々、民法の講義をはじめるに当っては、相変らず解釈論を講じなければならない。民法の講座を担当する者にとって、解釈論は逃れ得ない宿命である。しかも、解釈論は解釈論として伝統的な途をたどり、経済学や社会学の勉強はその他の教養としている態度には到底満足ができない。解釈論そのものの裡に、これらの研究をとり入れて、そこに安住の地を見出すことができないか。これが、当時の私にとっての苦悩の中心であった。そして、この苦悩を吟味し反省しようとしたのが、右の論文である。現在の若い学徒諸君が読まれたなら、わかり切ったことを、あれこれと持って回って、結局入口と同じところに出て来ただけだと感じられることと思う。まことにその通りである。しかし、当時、形式論理の正確を至上命令とする解釈法律学に対する反流がいろいろの立場からきびしく主張されたときに、解釈論をもって終生の任務としようとした私にとっては、今日から見てわかり切ったようなことでも、一応これを吟味してみなければ、安住の境地に達することはできなかったのだ。いま、私自身これを読んでみても、稚気愛すべきものがないでもない。私にとっては、いわば幼い日の想い出の写真である。だからこそ、筐中深く蔵して、自分一人で眺めて楽しむことにして、本書には収録しまいと思い惑ったのであった。しかし、ひるがえって考えると、今日でも、若い学徒の中には、同じような問題を考えている人も絶無ではないかもしれない。そんな人があれば、いくらかでも参考になるかもしれない。そう思って附録としたのである。
我妻は、師である鳩山の研究に依拠したドイツ法由来の解釈論を発展させて、矛盾なき統一的解釈と理論体系の構築を目指すとともに、資本主義の高度化によって個人主義に基礎を置く民法の原則は取引安全、生存権の保障といった団体主義に基づく新たな理想によって修正を余儀なくされているので、条文の単なる論理的解釈では社会生活の変遷に順応することはできないとした上で、「生きた法」である判例研究の結果に依拠した法解釈を展開した。このような我妻理論・体系は、鳩山、末弘、穂積の学説を総合したものといえ、理論的に精緻であるだけでなく、結論が常識的で受け入れやすいとの特徴があったことから学界や実務に大きな影響を与え続け長らく通説とされた。
創作なら前者、受験勉強なら後者ですね #Peing #質問箱 https://t.co/CA5JyBTueP
— 大沢愛 (@ai_oosawa) January 30, 2020
【話題書の刊行予定に追加しました】「第4版 民事訴訟第一審手続の解説 ―事件記録に基づいて―(2020年2月末予定)」 https://t.co/tLrm5TJH7L
— 至誠堂書店 (@ShiseidoShoten) 2020年1月29日
【話題書の刊行予定に追加しました】「10訂 民事判決起案の手引(補訂版)(2020年2月末予定)」 https://t.co/LlWyA1QrGT
— 至誠堂書店 (@ShiseidoShoten) 2020年1月29日
#勉強法
#静岡大学 + #浜松医科大学 =キャンパス2つのまま… 統合案に異論が相次ぐ 静岡市の初会合 #受験 https://t.co/xQDceV0Gm1
— 産経ニュースWEST (@SankeiNews_WEST) 2020年1月30日
#静出圭大
これは前にも投稿しましたが子どもの頃に近くにあった帽子店の看板の「帽」の字が間違っていて(作りの部分が冒じゃなく昌になっていた)間違った字のまま覚えてしまいその後記憶を修正するのに苦労しました。
— とりとく (@tkbei) January 29, 2020
不忍通りの帽子屋がそうだった。