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東京など全国21の主な都市の保健所では冬から春にかけての4か月間、死亡診断書に「インフルエンザ」もしくは「肺炎」の記載があった死者数を国立感染症研究所に報告しています。

このうち東京23区について、NHKが取材したところ、今シーズン、ことし4月までの4か月間に23区すべての保健所からインフルエンザの死者数として報告されたのは合わせて65人だったことが分かりました。

昨シーズン、去年4月までの4か月間では、報告が寄せられた16の区の保健所で合わせて246人となっていて今シーズンは昨シーズンに比べて少なくとも4分の1程度に減っていました。

一方、肺炎については今シーズンは23区で合わせて4147人で、7つの区から報告が寄せられなかった昨シーズンに比べて1000人以上多くなっていました。

感染症に詳しい国立病院機構三重病院の谷口清州臨床研究部長は「インフルエンザの流行が小さかったのは明らかで、新型コロナウイルスに対する飛まつ感染対策などが関係した可能性がある」と指摘しています。

新型コロナウイルスへの感染防止策をめぐって、政府は、AI=人工知能などを活用して、有効性を調べる方針で、京都大学山中伸弥教授、政策研究大学院大学黒川清名誉教授ら4人がメンバーの有識者会議を新たに設け、1日、初会合を開きました。

西村経済再生担当大臣は「今後、想定される第2波に備えて、今回の経験や新たな知見を踏まえ、日本の英知や技術力を結集させて対策を進化させたい」と述べ、協力を要請しました。

山中教授は「世界中で日本の対策に注目が集まっている。各国の対策と比較する観点も取り入れながら、評価することが重要ではないか」と指摘しました。

政府は、今月から、最新のスーパーコンピューター「富岳」やAIを使って飛まつの拡散などのシミュレーションを行う予定で、山中教授らには、こうした結果も参考に対策の効果を分析してもらうことにしています。

東京都は1日、都内で新たに10歳未満から60代の男女合わせて67人新型コロナウイルスに感染していることが確認されたと発表しました。一日の感染の確認が50人を超えるのは6日連続です。

永寿総合病院ではことし3月以降、新型コロナウイルスの院内感染が発生し、入院患者109人と医師などの職員83人、そして患者の家族など22人の合わせて214人の感染が確認され、入院患者43人が死亡しました。

病院の湯浅祐二院長は、感染が明らかになって以降初めて、東京 千代田区の日本記者クラブで記者会見し、感染拡大を防げず、多くの人が亡くなったことなどを謝罪しました。

続いて湯浅院長は、4月上旬にはPCR検査の結果が出るたびに予想外に広範な感染の広がりが明らかになり、血液の病気や進行したがんの患者など、高齢の患者が多く、アビガンやフサンなどの薬を早期から使ったが、救命できなかったと説明しました。

そして、「もともと発熱や肺炎を起こしている患者も多く、無症状でも気付かないうちに感染を広げるという認識が浸透しておらず、感染を疑うタイミングが遅れた。マスクや消毒などの基本的な感染対策が不十分な点があった」と振り返りました。

病院では、現在は感染者はおらず診療を再開しており、症状が少しでも疑われる患者や入院患者全員に検査を行い、職員の消毒の徹底やマスクをせずに複数で休憩や飲食することの禁止などの対策をとっているということです。

さらに、湯浅院長は、アパートからの退去や、家族が通園や通学の拒否にあった職員がいたと説明し、「感染の恐怖と闘いながら毎朝、病棟に向かっていく姿にかけることばが見つからず、このような任務を背負わせたことを申し訳なく思った」と涙を浮かべながら語りました。

そして、今後に向けて、「1人でも感染対策を怠らないよう徹底することが必要だ」と述べ、改めて基本的な対策を徹底することの重要性を強調しました。

患者さん109名、職員83名もの感染者を出し、原疾患で闘病中の患者さん43名が亡くなられました。亡くなられた患者さんのお荷物から、これまでの生活や大切になさっていたもの、ご家族の思いなどが感じ取られ、私たち職員だけが見送る中での旅立ちになってしまったことを、ご本人はもちろん、ご家族の皆様にもおわびしながら手を合わせる日々でした。

感染の拡大が判明した当初は、患者さんが次々と発熱するだけでなく、日に日にスタッフにも発熱者が増え、PCR検査の結果が病院に届く20時頃から、患者さんのベッド移動やスタッフの勤務調整に追われていました。なかなか正体がつかめない未知のウイルスへの恐怖に、泣きながら防護服を着るスタッフもいました。防護服の背中に名前を書いてあげながら、仲間を戦地に送り出しているような気持ちになりました。

家族がいる私も、自分に何かあったときにどうするかを家族に伝えました。幼い子供を、遠くから眺めるだけで、抱きしめることができなかったスタッフ、食事を作るために一旦は帰宅しても、できるだけ接触しないようにして、ホテルに寝泊りするひとり親のスタッフもいました。家族に反対されて退職を希望するスタッフも出てきましたので、様々な事情を抱えながら、永寿が好きで働き続けてくれるこの人たちを何とかして守らなければ、今の業務を統けていくことはできないと強く感じました。

4月4日、「頑張れ、永寿病院 地元有志一同」の横断幕が目に入り、「まだ私たちはここにいてもいいんだ」と思えました。涙を拭きながら非常口を開けたのを覚えています。支えて下さった地元の皆様には、本当に感謝しかありません。

私たちは、今回のウイルス感染症で多くのことを学びました。人の本質は、困難な状況に直面するとよりあらわになることを実感しました。困難な状況であるからこそ、思いやりのある行動や、人を優しく包むような言葉を宝物のように感じました。育児休業中のスタッフが「メディアで医療従事者が感謝されていますが、私はまだ何もできていない」と話してくれたときは、「その気持ちこそが宝物ですよ」と答えました。

少し前に、東京都看護協会から、院内感染が起きた他院への看護師の派遣を依頼されました。感染が拡大した頃の自分たちを思い出し、何とかしてあげたいところでしたが、精神科病棟への派遣なので、無理には頼めないなと思っていました。しかし、4人の看護師が志願して1週間の救援に参加してくれました。先週こちらに戻ってきて、「お役に立てるところがありましたので、大変でしたが行って良かったです」と報告してくれました。

これまで支えて下さった地域の皆様のため、支えてくれた家族やスタッフのため、地域の中核病院としての機能を再生させていかなければなりません。私たちはまだその途上にいますが、何よりも安心して医療が受けられる場を提供することが重要であると考えています。地域の皆様、関連する医療機関の皆様におかれましては、今後とも、より一層のご指導とご支援をお願いいたします。

私は永寿総合病院に医師として勤務しております。動務中にコロナウイルス感染症にり患しましたが、入院治療にて回復し業務を再開しております。

私の場合、高熱と全身けん怠感で発症し、数日後に強い乾咳と呼吸困難が出現しました。当時、当院でもコロナウイルス感染者の受け入れを始めておりましたので、スタッフを含めて感染対策には細心の注意を払っておりました。

しかし、元々の病気で入院された方がいつの間にかコロナウイルス感染症を合併されるという状況が出現し、これは我々医療従事者でも予測困難な事態でした。私は、自らの発熱を認めた際に、症状の強さからまず間違いなくコロナウイルス感染症にり患しただろうと思いましたが、いつどこで感染したかが分からないことに慄然としました。

入院後、安静にしていても呼吸が苦しくなり、症状の強さと酸素数値の悪さから死を覚悟致しました。家族との面会はできず、妻には携帯電話で「死ぬかもしれない、子ども達を宜しく頼む」と伝えました。妻は大変なショックを受けただろうと思いますが、とにかく諦めずに治療を受けるよう励ましてくれました。

呼吸不全はさらに悪化し、人工呼吸管理を必要としましたが、それでも改善が得られず、ECMO(体外式人工肺)を導入することになりました。人工呼吸器使用中は鎮静剤が使われますので意識はありませんが、病状が改善して人工呼吸器が外れ、意識が回復した際には、生きていることが不思議でした。

入院期間は3週間以上におよび、退院後は、筋力の低下とコロナウイルス感染による肺障害から、日常生活を送れるようになるまで数週間のリハビリテーションを必要としました。思うように体が動かず歯がゆい日々が続きましたが、当院へ通院・入院されている方とそのご家族、そして共に医療に従事する仲間がきっと私の復帰を待ってくれているという思いから、頑張ることができました。

現在は体力が回復し、業務を再開しております。当院での新型コロナウイルスの院内感染により、入院されていた多くの方に感染が発生し、多大なご迷惑とご心配をおかけしたことを大変申し訳なく思っております。また、同感染によりお亡くなりになった方には、心よりご冥福をお祈りいたします。

外来・入院で担当しております患者様は、主治医が突然不在となったことにより、大変な不安を感じられたことと思います。当院は、通常の診療を取り戻すまでに、まだまだ時間を必要としておりますが、一日も早く安心して医療を受けていただくことができるよう尽力いたします。

3月23日に院内感染が明らかになり、3月25日に2名の同僚が、微熱があるとのことで自宅待機となり、後日にPCR陽性しかも肺炎発症で長期離脱となりました。当初は5階病棟のみの集団感染と考えていましたが、4月上旬には8階の無菌室にまで広がっていたことが判明し、その時は事態の重大さにその場に座り込んでしまったことを思い出します。

とは言え、未感染の方を含め50人を超える診療科の患者様の命を守るべく、研修医ともども、少ない人数で日々防護服に身を包み、回診に当たる日々が1カ月以上続きました。また、休診により通院困難となった患者様への連絡にも明け暮れていました。

当院の患者層の特徴としては、大学病院など高度医療機関から依頼され、転院となった治療歴の長い、高度に免疫機能が低下した高齢者が多く、アビガンやその他の良いと思われる治療薬などを投入するも効果に乏しく、残念ながら最終的に血液内科だけで23名の患者様がお亡くなりになりました。

血液内科専門医が圧倒的に少ない城東地区において、深い反省を込めて、二度と院内感染を繰り返さない体制を整えつつ、患者様に安心して当院での血液疾患の治療を受けていただけるよう、一層の努力をして参る所存です。

日本医師会中川俊男会長は、先週行われた会長選挙で、5期目を目指した現職を破って、新しい会長に就任しました。

中川会長は、1日の記者会見で、「中川執行部では、自民党との距離感がずいぶん変わるのではないかという論調もあるが、決して、日本医師会自民党との関係は変わらず、微動だにしない」と強調しました。

そのうえで、「個別の医療政策についても、厚生労働省の審議会や検討会での発言や表現の方法は若干変わるかもしれないが、大きな違いはない」と述べました。

これに先立って、中川会長は、就任のあいさつのため自民党本部を訪れて、二階幹事長と面会し新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、経営が厳しくなっている医療機関へのさらなる支援策の検討を協力して進めていくことなどで一致しました。

先月、総理大臣官邸前で安倍総理大臣の車列に近づこうと路上に飛び出し、制止した警察官を転倒させたとして、63歳の会社員が公務執行妨害の疑いで書類送検されました。

書類送検されたのは、都内に住む63歳の会社員の男です。

警視庁によりますと、先月8日、千代田区永田町の総理大臣官邸前で、安倍総理大臣の車列に近づこうと路上に飛び出し、制止した警察官を転倒させたとして、公務執行妨害の疑いが持たれています。

ことし2月、中央区築地でも総理大臣の車列を追いかけて警察官に取り押さえられていて、「辞職するよう直接言いたかった」と説明しているということです。

横田滋さんは、昭和52年、中学1年生の時に新潟市で、北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの父親で、妻の早紀江さんとともに「拉致被害者の救出運動のシンボル」として活動の先頭に立ってきましたが、先月5日、老衰のため87歳で亡くなりました。

アメリカのトランプ大統領からの書簡は、1日に早紀江さんのもとに届き、支援団体を通じて公開されました。

トランプ大統領は、去年とおととしの米朝首脳会談北朝鮮キム・ジョンウン金正恩朝鮮労働党委員長に拉致問題を議題として提起したほか、これまで2度来日した際に早紀江さんら拉致被害者家族と面会しています。

書簡には「私と妻のメラニアは、滋さんが逝去されたとの報に接し、悲しみに暮れています。早紀江さんと滋さんのたゆまぬ活動によって、北朝鮮による拉致問題は日本と米国にとって優先課題であり続けています。私たちは、早紀江さんと、拓也さん、哲也さんとともに、めぐみさんを必ずご自宅に連れて帰るというこの重要な任務を続けます」と英語で記され、被害者の帰国の実現に向け引き続き協力する考えがつづられています。

これに対し、横田早紀江さんは「丁寧なお悔やみのお言葉をちょうだいし、誠にありがたく感謝申し上げます。これからも娘を取り戻すために頑張って参ります。世界平和のため、お力添えいただきますよう、お願い申し上げます」とコメントしています。

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