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眞子さまとのプライベートなやり取りが明らかにされました。“暴露された”と言ってもいいでしょう。本来ならば、皇族ご本人の口以外からは許可なしに語られてはいけない内容なのです。

 もし眞子さまが小室家に嫁がれることがあれば、佳代さんはさらに皇室のプライベートを知りうる立場になります。それなのに、皇族方との私的なやり取りを公にすることの重大さを理解していないのは、本当に恐ろしいことです」

 2017年5月、婚約内定前の小室さんが出勤前に眞子さまと「電話で『行ってきます』『行ってらっしゃい』と会話をした」と報道陣に笑顔で明かしたことがあった。しかし、当時も“皇族方との私的なやり取りを詳らかにするのはいかがなものか”と訝る声が一斉に上がった。そうした息子への批判を知ってか知らずか、佳代さんもまた、眞子さまとのプライベートなやり取りを明かした。

「今回は公式に話題になってこそいませんが、今後佳代さんによってどんなプライベートなやり取りが明かされるかわかりません。宮内庁は恐々としているようです」(皇室記者)

 実は、先のヒアリングで、里中満智子さんは次のような見解を示した。

〈女性皇族が結婚なさってその夫も皇族となれば、権威を得る手段として女性皇族を利用する男性が出現しないとは限らない――という、いささか古めいた心配だが、長い歴史の中ではそのような不安は現実となりそうな事例もあった〉

 この見解は女性宮家創設に関する懸念を指摘したに過ぎない。だが、歴史をひもとけば、こうした“事例”は確かに存在するのだ。

「その最たる例として想起されるのが“道鏡事件”です」(八木氏)

 事の発端は奈良時代にまで遡る。事件の渦中にいたのは、聖武天皇の娘・孝謙天皇重祚(ちょうそ)して称徳天皇)と、その寵愛を受けた僧の弓削(ゆげの)道鏡である。

 聖武天皇といえば、その治世で災害や天然痘などの疫病が頻発し、東大寺の大仏を建立する詔(みことのり)を出したことで知られる。聖武天皇光明皇后との間に儲けた皇男子は夭逝し、その結果、娘の孝謙天皇が即位することになる。

 皇室の歴史を振り返ると、女性天皇は10代8方を数えるが、ほとんどは男系の男性天皇皇位継承されるまでの中継ぎ的な役割を果たした。実際、女性の皇太子も、皇太子を経て即位した女性天皇も、孝謙天皇をおいて他に例がない。

 そんな孝謙天皇が病に臥した折、禅師として看病に当たったのが道鏡だった。

 先の本郷氏が解説する。

孝謙天皇道鏡を重用するようになり、太政(だじょう)大臣禅師、さらに法王へと引き上げました。加えて、全国の八幡宮の総本社である宇佐八幡宮から“道鏡天皇にすれば天下は泰平になる”との神託がもたらされ、道鏡皇位に就きそうになった。ただ、和気清麻呂(わけのきよまろ)が勅使となって宇佐八幡宮に派遣され、〈わが国は開闢(かいびゃく)このかた、君臣のこと定まれり。臣をもて君とする、いまだこれあらず〉という神託を持ち帰り、先の神託を否定したことで道鏡の即位は阻止されたのです。あくまで私見ですが、“道鏡事件”は皇位継承に当たって大きなトラウマになったのではないでしょうか。女性天皇が即位して同様の事態に陥ることを当時の人々が危惧した可能性は否定できません。事実、道鏡事件以降は、江戸時代に明正天皇が即位するまで、実に約850年間にわたって女性天皇は現れませんでした」

 閨房で道鏡を溺愛し、他の臣下の言葉に耳を貸さなくなってしまったという孝謙天皇。思惑をもって女性天皇に近づいた道鏡の野望を打ち砕き、皇統を護った忠臣である和気清麻呂は功績を讃えられ、その銅像は、皇居平川門近くの大手壕端に建立されている。

 令和の皇室に前代未聞の混乱をもたらす小室さんの姿は、畏(おそ)れ多くも即位を目論んだ奈良時代の怪僧を呼び起こした。両者を重ね合わせる声が上がったとしても無理はあるまい。

 仮に、眞子さま女性宮家の当主となられ、小室さんと結婚されれば「圭殿下」が誕生することになる。場合によっては、おふたりの間に生まれたお子さまが皇位継承権を有し、小室さんが天皇の父親になる可能性も否定できない。だが、奇しくも小室さんに起因するトラブルによって、女性・女系天皇ばかりか、女性宮家創設の機運も潰(つい)えつつある。

有識者会議のヒアリングに参加したメンバーからも、“小室さんの問題が片付かない限り、皇室制度について冷静な議論は望めない。小室さんの存在が頭を過る状況では国民的な理解を得ることも難しい”という声が聞こえてきます。すでに有識者会議は、現在の男系男子に限定した皇位継承順位を維持することを確認し、女性・女系への継承資格拡大は見送る方針を固めている。また、菅総理は皇室の在り方への思い入れが乏しく、官邸内には“悠仁さままでは決まっているのだから、先々のことは次世代の人が考えればいい”というムードが広がっています」

 一方、今後も議論が続く女性宮家創設案は、上皇さまの強いご意思で進められてきた。昭和天皇の皇統に連なる愛子さま眞子さま、佳子さまというお三方の内親王までに限定する方向で、皇室内のコンセンサスも得られていたという。しかし、宮内庁関係者によると、

「ここに来て他ならぬ上皇さまに変化が窺えるようになりました。というのも、女性宮家とセットで旧宮家の男性の皇籍復帰が論じられることが増え、そうしたお考えを持ち合わせておられない上皇さまは議論の趨勢を懸念されているのです。他方、美智子さまは、初孫である眞子さまには皇室に残ってご公務に邁進してほしいと願っておられました。しかし、小室さんの一件で世論が沸騰。眞子さまが“第一号”になるはずだった女性宮家創設についても、このまま議論を進めれば国論を二分する事態になりかねないと、上皇ご夫妻は憂慮されるようになったのです」

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