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 宮内庁も4月は人事の季節だ。天皇・皇后の即位以来、侍従長を務めた小田野展丈氏が退任、侍従次長の別所浩郎氏が4月1日から侍従長に“昇格”する。天皇・皇后の側で日常のお世話をする「オク」を取り仕切る重要ポストだ。宮内庁担当記者が言う。

「本来であれば、小田野氏は昨年5月に予定されていた天皇・皇后両陛下の英国訪問後に勇退の予定でした。ところがコロナ禍で延期となりタイミングがずれ込んだ。

 別所氏は小田野氏と同じく外務省の出身で、国連大使も務めました。この“外務省シフト”は、かつて外交官だった雅子さまへの配慮が大きいようです。雅子さまは、過去になかなか外国訪問が認められず、体調を崩された経緯がある。コロナ禍が収束した後、皇室外交に積極的に取り組んで頂けるようサポート体制を充実させるのが狙いでしょう」

 新侍従長天皇・皇后の信頼も厚いようだ。

「別所氏は温厚で誠実な人柄で、外務省時代から外交問題のご進講役として東宮時代の両陛下と接点があったようです。この1年、侍従次長としての仕事ぶりを両陛下が間近でご覧になったことで、関係はより深まった」(前出・宮内庁担当記者)

 一方、秋篠宮皇嗣家でも“国際畑”の人材を招き入れた。JICA(国際協力機構)元理事で緒方貞子平和開発研究所顧問の鈴木規子氏が皇嗣職宮務官に就任したのだ。

「別所新侍従長は外務省時代、『国際協力局』の局長を務め、当時JICA理事長だった緒方さん、秘書の鈴木さんとも面識があったようです。鈴木さんは外務省への出向経験もありますしね。

 しかし、現在2人が置かれた状況は対照的。穏やかな日々を送る天皇家の一方、秋篠宮家は眞子さまと小室圭さんの結婚問題で揺れている。昨年は宮務官が5人も依願退職したことも報じられました。人材不足の中、鈴木さんはご一家のために多忙な日々を送っているようです」(同前)

有識者会議が議論するテーマは大きく分けて2つです。1つは秋篠宮家の長男・悠仁さまの世代で皇位継承権があるのは悠仁さまだけであることを踏まえ、皇位を継承できる範囲を拡大することの是非。もう1つは皇族方の高齢化が進む上に女性皇族が婚姻により皇籍を離れることから、皇族の減少にどう対応するかです。

 前者の場合、男系男子の継承を死守するのか、女性天皇を認めるのかの2択です。そして男系男子を死守する場合に検討されるのは、国民の支持は得られにくいとは思いますが、戦後に皇籍を離れた11の旧宮家の男性子孫に皇位を与えることの是非です。

 女性天皇を認める場合は天皇家の長女・愛子さま皇位継承順位1位とする長子優先か、悠仁さまを1位のままとする男子優先かです。そして愛子さまが即位可能となる制度の場合、女系天皇となるその子供にも皇位継承の道を開くのかどうかでしょう。

 一方、皇族の減少問題については民主党政権でも論点整理が行われた女性宮家創設の是非が議論となります。ただ、『女性宮家女性天皇女系天皇につながりかねない』と警戒する保守層を支持基盤とする国会議員を中心に、自民党内では女性皇族が婚姻によって皇籍を離れても『皇女』と呼ばれる特別職の国家公務員となり、公務を継承する案を議論すべきという声もあります。

 ただ、この制度は一般国民となる元皇族を職業上、特別扱いするものとして問題視する声がすでにあるほか、皇族の減少問題の根本的な解決にはつながらないと言われています。コロナ禍のために、一連のお代替わりの儀式を締めくくる立皇嗣の礼の開催が延期になったとはいえ、附帯決議からは4年が経過し、退位が実現してからももうすぐ2年です。政府による検討は今となっては到底『速やか』とは言えません。政府が本気で議論をしようとしているとは、到底思えないのです」

 そうなると、愛子天皇実現に向けた議論が進むかもしれないという見方は楽観的過ぎるということなのかもしれない。附帯決議がある以上、政府としては形だけでも何かやったという事実を残さなければならないということだろう。

「政府の本音は『悠仁さまに子供がなかなか生まれなかった時に考えればいい』といった無責任なものなのではないでしょうか。政府は年内の意見集約を目指すとの方針を示していますが、明確な結論の提示は見送るだろうとの観測が早くも流れているからです。

 しかし、皇室が先細りしていくことは確実です。還暦を過ぎていない皇族は57歳の皇后陛下をはじめ、愛子さま秋篠宮ご夫妻、ご夫妻の長女・眞子さま、次女の佳子さま、悠仁さま、故寛仁親王の長女・彬子さま、次女の瑶子さま、高円宮家の長女・承子さまの10人のみです。このうち愛子さま眞子さま、佳子さま、彬子さま、瑶子さま、承子さまの6人は現在の皇室典範のままでは婚姻によって皇籍を離れられるのです。

 悠仁さまが大学を卒業される頃には、還暦を過ぎていない皇族は悠仁さまのみになっておられる可能性も十分にあるのです。また、女性宮家を創設するとしても、民主党政権で論点整理が行われた『内親王』のみにするのか、彬子さまや瑶子さま、承子さまのような『女王』にも宮家創設を認めるのかといった課題もあります。さらに、論点整理で示された1代限りの女性宮家は、皇族減少対策の切り札にはなりえないという実態もあるのです。

 やはりここは皇位継承問題という『本丸』に踏み込んで、過去に10代8人がいた女性天皇は認めて男子優先とするのか、それとも長子優先とするのか、男系男子継承を死守するのであれば旧宮家の男性子孫に皇籍を与えるのか、本格的に議論を進めるべきなのです。

 女系天皇も認めるのかどうかはその後でいいはずです。皇位継承問題についての議論は本当にタイムリミットが迫っている喫緊の課題だということを、政府には自覚していただきたいところです」(同前)

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#天皇家

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   主人公の鎮西八郎為朝(染五郎)の話は、軍記物語の「保元物語」に詳しいのだが、要するに、源平の運命を分けた保元・平治の乱の前哨戦の保元の乱で、崇徳上皇に加担した源氏側で唯一生き延びた為朝を主人公にした物語である。

   ところが、琉球王国の正史『中山世鑑』では、源為朝琉球へ逃れ、その子が初代琉球王舜天になったとしているので、この話を脚色して曲亭馬琴が『椿説弓張月』を書いたので、この三島由紀夫版も、この伊豆での戦いで九死に一生を得た為朝伝説の後日談がテーマとなっている。

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保元元年(1156年)7月に皇位継承問題や摂関家の内紛により、朝廷が後白河天皇方と崇徳上皇方に分かれ、双方の衝突に至った政変である。崇徳上皇方が敗北し、上皇は讃岐に配流された。この朝廷の内部抗争の解決に武士の力を借りたため、武士の存在感が増し、後の約700年に渡る武家政権へ繋がるきっかけの一つとなった。

この乱で最大の打撃を蒙ったのは摂関家だった。忠通は関白の地位こそ保持したものの、その代償はあまりにも大きかった。武士・悪僧の預所改易で荘園管理のための武力組織を解体され、頼長領の没官や氏長者の宣旨による任命など、所領や人事についても天皇に決定権を握られることになり、自立性を失った摂関家の勢力は大幅に後退する。

#徳之島偽メシアG