相次ぐ弟子たちの不祥事 名門「貴乃花部屋」はどこで道を間違えたのか?https://t.co/GyMZZXcm7b
— NEWSポストセブン (@news_postseven) 2021年7月28日
「親方とおかみさんが二人三脚で、それを出させない環境を作らないといけないんです。その歯車が少し狂えば、いくらでも綻びが出る」#大相撲 #貴乃花部屋 #貴乃花 #相撲
大きな転機は、2015年11月場所中に北の湖理事長が亡くなったことだ。
部屋の所属力士の大麻使用で一度は辞任した北の湖親方が、理事長に復帰したのは2012年のこと。そのタイミングで貴乃花親方は、大阪場所部長の要職に抜擢される。時の理事長が後ろ盾となったこともあり、「貴シンパの若手親方は一門を越えた新勢力として広がりを見せ、その数は全親方の半数に迫っていた」(協会関係者)とされる。
その北の湖理事長が亡くなり、後任として八角親方(元横綱・北勝海)が理事長に就任。反貴乃花派の一門に支えられて権勢を振るうようになり、潮目は大きく変わった。
前後して、貴乃花親方を支える人たちが亡くなったり、協会を追われたりしたことも大きかった。
「貴の乱」での貴乃花親方の集票をサポートした元横綱・大鵬は2013年に亡くなり、2015年6月には貴乃花部屋付きの親方だった元大関・貴ノ浪(当時の音羽山親方)が43歳の若さで急性心不全により死去。貴乃花親方は後ろ盾と部屋の番頭格を失った。
「貴の乱の直後に発覚した野球賭博事件で、元関脇・貴闘力(当時の大嶽親方)と大関・琴光喜が解雇されたことも大きい。貴闘力は側近だし、琴光喜も理事選で貴乃花親方に票を投じていた。当時から〝貴シンパだから重い処分になった〟と言われており、貴乃花親方は理事会で琴光喜の処分軽減を進言し、受け入れないなら協会を去ると退職願まで出したが、聞き入れられなかった」(同前)
そうして櫛の歯が欠けるように、周囲から人がいなくなっていった。
そして、2017年11月場所前の秋巡業で“鳥取事件”が起きる。
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#平成の過ち