https://d1021.hatenadiary.com
http://d1021.hatenablog.com

沖縄が本土に復帰してから15日で50年となります。

沖縄には今も在日アメリカ軍専用施設の7割が集中しているうえ、経済面でも県民所得が全国の75%にとどまり、復帰当時に人々が期待した「本土並み」の実現には課題が多く残されています。

沖縄戦のあと27年にわたってアメリカ統治下に置かれた沖縄は、50年前の昭和47年5月15日、本土に復帰しました。

15日は沖縄県と政府による記念式典が沖縄と東京の2つの会場で同時に開かれます。

本土復帰当時と比べるとアメリカ軍専用施設の面積は3分の2に減少しましたが、国土面積のおよそ0.6%にすぎない沖縄には今も専用施設のおよそ70%が集中しています。

基地から派生する事件や事故、騒音などの被害は後を絶たず、政府が進める普天間基地の名護市辺野古沖への移設をめぐっては、県が計画に反対していて溝は深まったままです。

一方、経済の面では観光業の急成長で観光収入が令和元年までの10年間で2倍近くに増えました。

また、かつて全国の倍ほどの高さだった完全失業率は、令和元年には2.7%にまで下がり、全国(2.4%)との差は縮まりました。

ただ県民1人当たりの所得は平成30年度の時点で239万円余りと、全国のおよそ75%にとどまっていて、今なおその差は大きく開いています。

沖縄の人々が本土復帰に期待した「本土並み」の実現には、50年がたった今も課題が多く残されています。

沖縄がアメリカ統治下から本土に復帰する際、県民の多くが期待したのはアメリカ軍基地の返還でした。

沖縄防衛局などによりますと、本土復帰した昭和47年当時、沖縄にあるアメリカ軍の専用施設は83に上り、その面積は合わせて2万7850ヘクタールと沖縄本島の20%を占めていました。

その後、平成7年に発生したアメリカ兵による暴行事件をきっかけに基地の整理縮小を求める声が高まり、日米両政府は普天間基地を含む11か所の施設の返還で合意しました。

さらに平成25年には日米両政府が在日アメリカ軍の再編計画に合意し、嘉手納基地より南にあるアメリカ軍専用施設の返還を段階的に進めることが公表されました。

計画では沖縄の基地負担を軽減するためとして、沖縄に駐留する第3海兵遠征軍のうちおよそ4000人が今後、段階的にグアムに移転することになっています。

一方、これから計画されている那覇軍港や浦添市にある牧港補給地区の返還は、いずれも基地の機能を県内移設することが条件となっています。

26年前に全面返還が合意された普天間基地をめぐっては、国が名護市辺野古沖で移設工事を進めていますが、沖縄県が反対していて対立が続いています。

本土復帰からの50年でアメリカ軍の専用施設は半分以下に当たる31か所、総面積は沖縄本島の14%余りに当たる1万8483ヘクタールまで減少しました。

しかし国土面積のおよそ0.6%にすぎない沖縄には今も在日アメリカ軍の専用施設のおよそ70%が集中しています。

自治体の面積に占める基地の割合は嘉手納基地がある嘉手納町で82%、キャンプハンセンがある金武町で55.6%に及びます。

中国の海洋進出など日本を取り巻く安全保障環境が厳しさを増す中、沖縄の基地の重要性は増しているとも指摘され、去年1年間に嘉手納基地と普天間基地を軍用機が離着陸した回数はいずれもおととしより増加しました。

沖縄は昭和47年の本土復帰以降、経済の面でも「本土並み」となることを目指してきました。

とりわけこの10年は大きな前進がみられたものの、今なおその差は開いています。

このうち沖縄の主要産業である観光業はインバウンド観光客の増加などにより、この10年間で急成長しました。

新型コロナの影響を受ける前の令和元年、沖縄を訪れる人は初めて年間1000万人を超え、観光収入はおよそ7500億円に上り、10年で2倍近くに増えました。

これを受け、雇用状況も改善しました。

復帰40年を迎えた平成24年完全失業率は6.8%と、全国の4.3%を大幅に上回っていましたが、新型コロナの影響を受ける前の令和元年には2.7%まで下がり、2.4%の全国との差は縮まりました。

一方、沖縄県民1人当たりの所得は平成30年度の時点で239万円余りと、国民所得のおよそ75%にとどまっています。

観光業の成長などで雇用の受け皿は増えた反面、非正規雇用の割合は令和3年では39%と全国を上回るほか、労働生産性は全都道府県で最も低く平成28年の時点で全国の7割ほどにとどまっていて、雇用や労働の「質」をどう高めていくかが課題になっています。

また観光業を中心とした経済の発展に伴い、アメリカ統治下で形成されたいわゆる「基地経済」への依存度は年々低くなっていて、県民総所得に占める基地から得られる収入の割合は、復帰当初、昭和47年度に15.5%だったのが、平成30年度は5.1%にまで減少しました。

自民党は「沖縄は地理的特性や自然環境などの優位性と潜在力を有し、日本のフロントランナーとして経済再生のけん引役となる大きな可能性を秘めている。政府・与党として、引き続き力強い沖縄経済の実現に向け、産業発展や基地跡地の利活用、人材育成などの振興策を国家戦略として推進していく」などとする声明を発表しました。

また、声明では「戦後77年を経てなお、沖縄に多くの米軍施設が集中し、大きな負担となっている事実を重く受け止めなければならない。負担軽減については『できることは全て行う』との姿勢で、1つ1つ着実に取組みを進め、目に見える成果を挙げていく」としています。

立憲民主党の泉代表は「沖縄は県民のたゆみない努力により現在の発展を遂げた一方で、全国最下位の県民所得など数多くの課題が残されている。復帰にかけた県民の願いを忘れることなく、課題に真摯に向き合っていく」などとする談話を出しました。

また、談話では「沖縄にアメリカ軍基地が集中している状態が変わらないままで、県民に過大な負担をかけていることはざんきに堪えない。沖縄の基地問題を日本国民全体で考え、負担軽減に全力を注ぐことを改めて誓う。また、締結後一度も見直されていない日米地位協定の抜本改定を目指す」としています。

公明党は「将来にわたり『平和で豊かな沖縄』を実現していくため、コロナ禍で傷んだ観光・経済の立て直し、本島と離島との格差や子どもの貧困などの課題に真正面から向き合い、より一層の沖縄振興策と福祉・子育て支援策の充実、平和創出拠点としての発展に全力で取り組んでいく」などとする声明を発表しました。

また、声明では「在日アメリカ軍施設の多くが沖縄に集中している状況はいまなお続いており、基地負担の軽減に向け県民の声を受け止めながら着実な取り組みを進めるとともに、これからも非核三原則を強く堅持していく」としています。

日本維新の会の松井代表は「豊かな沖縄の創造と一層の発展に向けて、自立した強い沖縄経済の構築が求められる。沖縄県民の思いに寄り添いながら、沖縄の平和と発展のために全力を尽くしていく決意である」などとする談話を出しました。

また、談話では「在日アメリカ軍基地が沖縄に偏在している問題は、日米両政府が真摯に対話を重ね訓練場所などの暫定的移転を含む合意可能な新たな基地負担軽減策を示していく必要がある。日米地位協定の抜本的な見直しは、日米が対等の立場にある同盟関係を維持するためにも不可欠であり、喫緊の課題だ」としています。

国民民主党の玉木代表は「大陸や海洋の多種多様な文化を融合し、成熟させてきた沖縄の独自性はかけがえのない財産だ。沖縄らしさを活かせる振興計画の推進に取り組み、沖縄の抱える課題解決と沖縄の発展に向けて、県民と連携して、国会と政府を動かしていく」などとする談話を出しました。

また、談話では「沖縄には今なお、アメリカ軍基地が集中し、過大な負担がかかっている。日本の安全保障環境が厳しさを増す中、日米安全保障体制の重要性を踏まえつつ、日米地位協定の見直し、沖縄の基地役割軽減に向けて今後とも努力を続ける」としています。

共産党の志位委員長は「基地のない平和で豊かな沖縄をめざす県民のたたかいは、さまざまな逆流や曲折を経ながらも着実に発展している。『島ぐるみ』で声を上げ続け、本土が固く連帯するならば、必ず政治を動かすことはできるという復帰闘争の教訓を、今後のたたかいに生かす決意を新たにする」などとする談話を出しました。

また、談話では「岸田政権は新たな巨大なアメリカ軍基地の建設を押しつけ、平和憲法そのものを壊そうとしている。沖縄県民の復帰に込めた願いに背く2つの重大な逆行を絶対に許さない立場で頑張り抜く決意を表明する」としています。

れいわ新選組は「沖縄県が発表した建議書では自立型経済の構築や『基地のない平和の島』の実現など、沖縄の自立・自己決定に重きが置かれており、沖縄のこれからの歩みがこの理念を体現するものとなることを願っている」などとする談話を出しました。

また、談話では「アメリカ軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設計画を巡り、政府は沖縄県による不承認処分を取り消したうえ、埋め立て計画を承認するよう県に対して命じる是正指示を出した。沖縄県の自己決定権を踏みにじり、圧力をかけ続ける政府の暴虐な姿勢を強く非難する」としています。

社民党の服部幹事長は「沖縄県は政府に基地問題の早期解決を求める新たな建議書を決定し、岸田総理大臣に手渡した。日米両政府はこうした訴えを真摯に受け止めるべきだ。沖縄を再び戦場とすることがあってはならないことを強く訴えたい」などとする談話を出しました。

また、談話では「政府はアメリカ軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設を強引に進めているが、普天間飛行場の『返還』の代償として辺野古の海を埋め立てた巨大基地を建設・提供するのではまったく本末転倒で、ただちに計画を撤回するべきだ」としています。

NHK党の立花党首は「アメリカ統治下の時代を経て本土復帰を果たした頃の沖縄は言葉では表現し難いほどの状況であったと思う。その後、本土復帰からの沖縄は、関係者の努力によって素晴らしい発展を遂げた。関係者に心より敬意を表する」などとする談話を出しました。

また、談話では「沖縄はアメリカ軍基地などの社会的な問題、全国最下位と言われている一人当たりの県民所得や厳しい状況にある子どもの貧困など、なお解決すべき課題を抱えている。今後も沖縄固有の諸問題に対して国会で真摯に向き合っていく」としています。

14日から沖縄を訪れている岸田総理大臣は15日午前、宜野湾市の市役所の屋上からアメリカ軍普天間基地を視察し、松川正則市長から一日も早い基地の返還とともに、騒音などの負担軽減に取り組むよう要望を受けました。

そして、沖縄市北中城村にまたがる地域にあり、再来年度以降に返還が予定されているアメリカ軍キャンプ瑞慶覧の「ロウワー・プラザ住宅地区」を視察しました。

この中で、岸田総理大臣は「緑地公園として利用していただくこと、近々日米で合意されることが予定されている」と述べ、返還前に緑地公園として利用できるよう近くアメリカ政府と合意する見通しを明らかにしました。

岸田総理大臣は、午後に宜野湾市で開かれる本土復帰50年の記念式典に出席し、式辞を述べることにしています。

昭和47年5月15日に沖縄が本土に復帰してから50年を迎えたことを記念する式典は、15日午後2時から政府と県の共催で沖縄県宜野湾市と都内の2つの会場で同時に開かれます。

式典には、天皇皇后両陛下がオンラインで出席され、沖縄会場には岸田総理大臣や玉城知事、東京会場にはアメリカのエマニュエル駐日大使など合わせて1700人余りが出席する予定です。

式典のあとレセプションが行われ、沖縄の伝統芸能などが披露されます。

沖縄会場の沖縄コンベンションセンターでは15日午前、関係者が壇上で式典の流れを確認するなど、準備を進めていました。

沖縄には、今も在日アメリカ軍専用施設の7割が集中しているうえ、経済面でも県民所得が全国の75%にとどまり、復帰当時に人々が期待した「本土並み」の実現には課題が多く残されています。

玉城知事は式典で、こうした課題の解決などについて訴えることにしています。

記念式典の会場には、アメリカのバイデン大統領から寄せられたメッセージが展示されています。

この中でバイデン大統領は「沖縄戦は第2次世界大戦で最も凄惨な戦いの1つで、多くのアメリカ人と日本人の命が失われた。しかし、あれから数十年、アメリカと日本の関係は戦場での敵から共通の目的で結ばれた同盟国へと変貌を遂げ、今は最も緊密な友人となった。沖縄の復帰はわれわれの関係の1つの章の終わりで、次の章の始まりを意味した。現在、同盟は共通の価値観と自由で開かれたインド太平洋という共通のビジョンに基づき、かつてないほど強固なものになっている。日本には民主主義、自由、そして法の支配に対する断固とした支援、沖縄にはこれらの理念の前進のための貢献に深く感謝している。アメリカ人と沖縄県民とのつながりはアメリカと日本の関係を深化させるかけがえのない要素だ。アメリカと日本の関係の次の50年を見据える中、われわれが共有する歴史は次世代の教育と経済機会に投資すればあらゆることが可能になると強く思い出させてくれるだろう」としています。

那覇市の中心部では復帰について「基地が残っているので複雑な思いだ」などといった声が聞かれました。

15日午前、那覇市は50年前の復帰の日と同じく雨の天気となり、中心部にある平和通りはふだんより買い物客や観光客の姿がまばらでした。

通りで商店を営んでいる60代の女性は「復帰の年は小学生でドル通貨を使っていたのを覚えている。観光客が大勢来て本土に追いついた感じがして、復帰してよかったと思う。これからも、いろいろな人が訪れたくなるような沖縄になってほしい」と話していました。

また、親の代から通りで商店を営んでいる60代の男性は「アメリカ軍基地の整理・縮小が少しは進んだが、まだ、基地に関連する事件や事故があって、植民地のような気がする。学力も経済も向上して、基地がない平和な島になってほしい」と話していました。

孫と通りを訪れた70代の女性は「基地が残っているので複雑な思いだ。雇用がもっと生まれ格差のない沖縄になってほしい」と話していました。

沖縄に駐留するアメリ海兵隊の基地司令部が置かれている北中城村のキャンプ瑞慶覧では、15日も日米両国の国旗が掲げられました。

15日午前8時すぎに両国の国歌が流れる中、海兵隊員と日本人の基地従業員が、それぞれ星条旗と日の丸の旗を掲げました。

このうち、星条旗は、今月亡くなった海兵隊の関係者に弔意を表すため、半旗となっていました。

沖縄の本土復帰50年を記念する式典は、政府と沖縄県が共同で沖縄県宜野湾市と東京 港区の2つの会場をオンラインで結んで同時に開催され、沖縄の会場には岸田総理大臣や玉城知事など合わせて781人が出席しました。
また、天皇皇后両陛下もお住まいの御所からオンラインで出席されました。

式典では、沖縄県の出身で、全盲テノール歌手として知られる新垣勉さんが国歌を独唱しました。

このあと、岸田総理大臣は、沖縄が本土復帰50年を迎えたことについて「戦争によって失われた領土を外交交渉で回復したことは史上まれなことであり、日米両国の友好と信頼により可能となったものだ。この50年、沖縄は着実に発展の歩みを進め、政府はその歩みを後押ししてきた。本日、沖縄の歩んだ歴史に改めて思いをいたし、沖縄県民のひたむきな努力に深甚なる敬意を表したい」と述べました。

一方、沖縄のアメリカ軍基地について「復帰から50年がたつ今もなお、沖縄の皆様には大きな基地負担を担っていただいている。政府として、重く受け止め、引き続き基地負担の軽減に全力で取り組んでいく」と述べました。

そして、再来年度以降に返還が予定されているアメリカ軍キャンプ瑞慶覧の「ロウワー・プラザ住宅地区」について返還に先立ち、緑地公園として利用できるよう、近く日米両政府で合意する見通しだとして、来年度中の利用開始に向けて必要な準備を進める考えを示し「これからも日米同盟の抑止力を維持しながら基地負担軽減の目に見える成果を一つ一つ着実に積み上げていく」と述べました。

そして「復帰から50年という大きな節目を迎えた今日、沖縄がアジア太平洋地域に、そして世界に力強く羽ばたいていく新たな時代の幕が開けたことを感じている。復帰から今日に至る沖縄県民のたゆまぬ努力と先人たちの尽力に改めて敬意を表するとともに、世界の平和と沖縄のさらなる発展を祈念する」と述べました。

一方、玉城知事は、この50年の沖縄の歩みについて「1972年からの5次にわたる沖縄振興計画等により、社会基盤の整備等によって本土との格差は縮小され、社会経済は着実に進展した。しかしながら、1人当たり県民所得は全国平均の水準に達しておらず、自立型経済の構築はなお道半ばにあるとともに、子どもの貧困や離島における不利性、ぜい弱な産業構造など依然として克服すべき多くの課題が残されている」と述べました。

そして、沖縄のアメリカ軍基地をめぐり「復帰から50年たった現在も、わが国の国土面積の0.6%にすぎない沖縄県に全国の在日アメリカ軍専用施設面積の70.3%が集中し、アメリカ軍人・軍属による事件・事故、騒音、環境汚染等、県民は過重な基地負担を強いられ続けている」と指摘しました。

そのうえで政府に対し、沖縄の本土復帰の意義と重要性について国民全体の認識の共有を図るとともにすべての県民が真に幸福を実感できる平和で豊かな沖縄の実現に向けて取り組むよう求めました。

天皇陛下は「先の大戦で悲惨な地上戦の舞台となり、戦後も約27年間にわたり日本国の施政下から外れた沖縄は、日米両国の友好と信頼に基づき、50年前の今日、本土への復帰を果たしました。大戦で多くの尊い命が失われた沖縄において、人々は『ぬちどぅたから』(命こそ宝)の思いを深められたと伺っていますが、その後も苦難の道を歩んできた沖縄の人々の歴史に思いを致しつつ、この式典に臨むことに深い感慨を覚えます」と、おことばを述べられました。

そのうえで「沖縄には、今なお、さまざまな課題が残されています。今後、若い世代を含め、広く国民の沖縄に対する理解がさらに深まることを希望するとともに、今後とも、これまでの人々の思いと努力が確実に受け継がれ、豊かな未来が沖縄に築かれることを心から願っています」と述べられました。

東京会場では、アメリカのエマニュエル駐日大使があいさつし「先月、沖縄を訪問し、平和祈念資料館と平和祈念公園を訪れ、戦争がもたらす悲惨な犠牲を改めて実感した。だからこそ、両国とその国民は、何としても平和を守らなければならない」と述べました。

一方、会場にはアメリカのバイデン大統領から寄せられたメッセージが展示され、この中でバイデン大統領は「アメリカ人と沖縄県民とのつながりは、アメリカと日本の関係を深化させるかけがえのない要素だ。アメリカと日本の関係の次の50年を見据える中、われわれが共有する歴史は次世代の教育と経済機会に投資すれば、あらゆることが可能になると強く思い出させてくれるだろう」としています。

県民代表として記念式典であいさつした高良政勝さん(82)は式典のあと「復帰からもう50年もたったのかという思いと、50年もたったのに何も変わっていないという思いの両方があります」と率直な思いを語りました。

高良さんは「『基地の中に沖縄がある』とも言われるくらい沖縄はどこを見ても基地で、これは正常ではなく弱い者いじめではないかとも思う。若い人のエネルギーで基地のない平和な沖縄を実現させてほしい」と話していました。

また、若者の代表としてあいさつした普天間真也さんと平敷雅さんが式典のあと取材に応じました。

普天間さんは「復帰当時は生まれておらず、あいさつするために当時のことを勉強したが、基地や経済の問題は50年たった今もあまり変わっていないと思った。これから沖縄を生きていくのは私たち若い世代だが、次の50年先までにこの問題を解決できるのかなというもやもやした気持ちで式典を迎えた。今後、基地のない、平和な沖縄になるために、何ができるかはまだわからないが、私が若者代表として話したことで、多くの若い人にこの問題を考えてもらえればと思う」と話していました。

平敷さんは「とても緊張して、本番前までは不安な気持ちがあったが、舞台に立つと、沖縄の若者の代表として胸を張って発信することができた。これからは若い世代の人材育成に力を入れて、沖縄を引っ張っていけるような人材を生み出していくことが重要だと思う」と話していました。

沖縄の本土復帰50年の記念式典で天皇陛下が述べられた、おことばの全文です。

沖縄復帰50周年に当たり、本日、沖縄と東京をオンラインでつなぎ、記念式典が開催されることを誠に喜ばしく思います。

先の大戦で悲惨な地上戦の舞台となり、戦後も約27年間にわたり日本国の施政下から外れた沖縄は、日米両国の友好と信頼に基づき、50年前のきょう、本土への復帰を果たしました。

大戦で多くの尊い命が失われた沖縄において、人々は「ぬちどぅたから」(命こそ宝)の思いを深められたと伺っていますが、その後も苦難の道を歩んできた沖縄の人々の歴史に思いを致しつつ、この式典に臨むことに深い感慨を覚えます。

本土復帰の日、中学1年生であった私は、両親と一緒にニュースを見たことをよく覚えています。

そして、復帰から15年を経た昭和62年、国民体育大会夏季大会の折に初めて沖縄を訪れました。

その当時と比べても、沖縄は発展を遂げ、県民生活も向上したと伺います。

沖縄県民を始めとする、多くの人々の長年にわたるたゆみない努力に深く敬意を表します。

一方で、沖縄には、今なおさまざまな課題が残されています。

今後、若い世代を含め、広く国民の沖縄に対する理解がさらに深まることを希望するとともに、今後とも、これまでの人々の思いと努力が確実に受け継がれ、豊かな未来が沖縄に築かれることを心から願っています。

美しい海を始めとする自然に恵まれ、豊かな歴史、伝統、文化を育んできた沖縄は、多くの魅力を有しています。

沖縄の一層の発展と人々の幸せを祈り、式典に寄せることばといたします。

政府と沖縄県は、沖縄の本土復帰50年を記念する式典に続いて記念レセプションを沖縄の会場で開き、岸田総理大臣や玉城知事などが出席して沖縄の伝統芸能などを鑑賞しながら復帰50年を祝いました。

記念レセプションは宜野湾市で開かれ、この中で岸田総理大臣はレセプションについて「沖縄の伝統、歴史を感じるとともに将来に向けた沖縄の可能性を実感できるものになると期待をしている。皆さんとともに沖縄文化の豊かさとそして沖縄の持つ可能性に思いを巡らす機会としたい」と述べました。

また玉城知事は「沖縄の新たな時代においても沖縄文化の根底に流れるちむぐくる(肝心)を忘れずに努力を重ね次世代に継承し、ちむどんどん(わくわく)するような新しい文化の創造につながるよう取り組みたい」と述べました。

そして、岸田総理大臣や玉城知事、それに西銘沖縄・北方担当大臣らが沖縄の酒、泡盛の古酒が入った大きなかめにことしできた新酒を注ぎ、復帰50年を祝うとともに沖縄の一層の発展を願いました。

このあと沖縄県出身の琉球舞踊家で国の重要無形文化財の保持者、いわゆる「人間国宝」の志田房子さんと宮城幸子さんが祝いの場などで披露される琉球舞踊「かじゃでぃ風」を、地元の高校生が八重山地方を代表する踊りの1つ「黒島口説」を、それぞれ披露しました。

また、東京オリンピックの空手男子形で金メダルを獲得した沖縄県出身の喜友名諒さんなどが形を披露し、力強く迫力のある演技に会場からは大きな拍手が送られました。

沖縄の本土復帰50年を記念する式典は、政府と沖縄県が共同で沖縄県宜野湾市と東京 港区の2つの会場をオンラインで結んで同時に開催されました。

式典で沖縄県の玉城知事は「1972年からの5次にわたる沖縄振興計画等により、社会基盤の整備等によって本土との格差は縮小され社会経済は着実に進展した。しかしながら、1人当たり県民所得は全国平均の水準に達しておらず、自立型経済の構築はなお道半ばにあるとともに、子どもの貧困や離島における不利性、ぜい弱な産業構造など依然として克服すべき多くの課題が残されている」と指摘しました。

そのうえで「復帰から50年たった現在も、わが国の国土面積の0.6%にすぎない沖縄県に全国の在日アメリカ軍専用施設面積の70.3%が集中し、米軍人・軍属による事件・事故、騒音、環境汚染等、県民は過重な基地負担を強いられ続けている」と強調しました。

そして「政府には沖縄県民が渇望し続けている沖縄の本土復帰の意義と重要性について国民全体の認識の共有を図っていただき、すべての県民が真に幸福を実感できる平和で豊かな沖縄の実現に向けて誠心誠意取り組んでもらいたい」と述べました。

岸田総理大臣は、沖縄が本土復帰50年を迎えたことについて「戦争によって失われた領土を外交交渉で回復したことは史上まれなことであり、日米両国の友好と信頼により可能となったものだ。この50年、沖縄は着実に発展の歩みを進め、政府はその歩みを後押ししてきた。本日、沖縄の歩んだ歴史に改めて思いをいたし、沖縄県民のひたむきな努力に深甚なる敬意を表したい」と述べました。

そして、アジアの玄関口に位置する地理的特性、豊かな自然と文化、伝統は沖縄の魅力と可能性だとする一方、1人当たりの県民所得の向上や子どもの貧困の解消などの課題が残されていると指摘し、沖縄の潜在力を最大限引き出し「強い沖縄経済」を実現すると強調しました。

具体的には、沖縄産業の高度化・高付加価値化が重要だとして、沖縄科学技術大学院大学で、量子技術やバイオテクノロジーなどの分野で世界最高水準の教育や研究を推進するほか、スタートアップ企業の拠点構築や支援を推進・強化する方針を示しました。

また、3年前に焼失した首里城「正殿」について令和8年秋の完成を目指し、ことし11月に建築に着手し、関連のセレモニーを開催する方針を明らかにしました。

一方、沖縄のアメリカ軍基地について「復帰から50年がたつ今もなお、沖縄の皆様には大きな基地負担を担っていただいている。政府として、重く受け止め、引き続き基地負担の軽減に全力で取り組んでいく」と述べました。

そのうえで「返還された跡地は沖縄の将来の発展のために利用いただく」と述べ、再来年度以降に返還が予定されているアメリカ軍キャンプ瑞慶覧の「ロウワー・プラザ住宅地区」について、返還に先立ち緑地公園として利用できるよう、近く日米両政府で合意する見通しだとして、来年度中の利用開始に向けて必要な準備を進める考えを示しました。

そして「復帰から50年という大きな節目を迎えた今日、沖縄がアジア太平洋地域に、そして世界に力強く羽ばたいていく新たな時代の幕が開けたことを感じている。復帰から今日に至る沖縄県民のたゆまぬ努力と先人たちの尽力に改めて敬意を表するとともに、世界の平和と沖縄のさらなる発展を祈念する」と述べました。

沖縄県の玉城知事は、式典のあと記者団に対し「私からあえて岸田総理大臣のことばに付け加えるとしたら、基地負担軽減の『加速化』を進めてほしいということだ。きょう話に出たロウワー・プラザ住宅地区は私が沖縄市議会議員をしていたときにも返還の話が出ていた場所で、そこから20年たっている。しかも20年たって共同使用の話が出てくるというのは、あまりにも時間がかかりすぎている。真に沖縄県民が実感できる基地負担軽減に努めてほしい」と述べ、スピード感を持って基地負担の軽減を進めるよう求めました。

岸田総理大臣は、沖縄の本土復帰50年を記念する式典の合間に玉城知事と会談し、県が新たにまとめた「沖縄振興計画」を受け取りました。

新たな計画は「『安全・安心で幸福が実感できる島』の形成」を基本的な指針として、子どもの貧困の解消や、離島や過疎地域の魅力ある生活環境づくり、それに世界から選ばれる持続可能な観光地の形成などを盛り込んでいます。

玉城知事は「本土復帰50周年という特別な日に沖縄県は新たな一歩を踏み出す。県民が望む将来像の実現に向けて、県民と一丸になり全力で取り組んでいく。一層の支援と協力をお願いしたい」と述べました。

これに対し岸田総理大臣は「沖縄県が地域の課題解決に取り組み、成長が続くアジアの玄関口に位置する地理的特性、日本一出生率が高いなどの優位性や潜在力を生かして、わが国全体の発展をけん引してもらうよう期待している」と述べました。

そのうえで「政府としても引き続き、沖縄の自立的発展と豊かな生活を実現できるよう、沖縄振興策を国家戦略の1つとして積極的に推進していきたい」と強調しました。

岸田総理大臣は、訪問先の沖縄県で記者団に対し、基地負担の軽減に向け、日米両政府が2013年にまとめた、嘉手納基地より南にあるアメリカ軍施設の返還計画を着実に実行していく考えを示しました。

この中で岸田総理大臣は、アメリカ軍普天間基地の名護市辺野古への移設計画について「日米同盟の抑止力と普天間飛行場の危険な状況を考え合わせたとき、辺野古への移設が唯一の解決策だ。1日も早い全面返還に向けて努力をしなければならない」と述べました。

そして「今後、計画に基づいて、跡地利用の潜在力の可能性が高い県中南部の土地の返還を一つ一つ結果を積み上げていく。こうした努力を続けていきたい」と述べ、日米両政府が2013年にまとめた、嘉手納基地より南にあるアメリカ軍施設の返還計画を着実に実行していく考えを示しました。

また岸田総理大臣は、日米地位協定の見直しの必要性について問われたのに対し「日米地位協定は膨大な法体系であり、具体的な課題に迅速・的確に対応するために具体的に何をするべきなのか、今後も絶えず検討していかなければならない。そうした方針で今後も地位協定の在り方を考えていきたい」と述べました。

#テレビ

kaleido11.blog.fc2.com

こうやって、日本のメディアの総崩れととも、支配構造が入れ替わるんだな、ということ。

つまり、わずかに残っている民族系企業も、欧米ユダヤのハゲタカたちの食い物にされて、「日本」が跡形もなくなっていく・・・

来年から始まるであろうマスコミの大リストラを乗り越えられない彼らは、次の職場を見つけられず、一人、また一人と路頭に迷うだろう。

しかし、ことロシア情勢については、なぜ、これほど「事実と180度反対の情報」しか流れてこないのだろう。

もちろん、ロイターやUPIといった大手通信社が、極東最大の植民地・日本の奴隷たちに「知らせたい情報」だけを選別してメディアに配信しているからだが、彼らが、いくら無能だからといって、帰宅すれば、たまには自分で情報収集くらいするだろう。

だから、「なーんか、おかしい」と感じているはずなのだが、明日のご飯と快適なオフィスを失いたくないがために、「嘘つき陣営」に迎合することで毎日を浪費しているのである。

こうしたメディアのデマ嵐とは裏腹に、昔書いたように、間もなくウクライナは東西に分割されるだろう。

つまり、日本国民の貧弱な頭にすり込まれてきたような、「ロシア劣勢」「プーチン憔悴」などの実態はないということだ。

ハルマゲドン(最終核戦争)を人為的かつ計画的に引き起こそうとしているローマカトリックイエズス会と、聖書にある「ハルマゲドン」という正神の鉄槌が下されて穢れた地球が浄化されるのを待っているロシア正教の古儀式派とは、ハルマゲドンの捉え方がまったくことなるため、互いに相いれないのである。

で、結局、キリスト教福音派ロシア正教古儀式派も、ともに旧約聖書エゼキエル書第38、第39章にある「マゴクのゴクが、イスラエルに攻め入る」道筋を用意しているのである。

中国が、米国に共産主義を広めるための拠点しているのが、ペンシルべニア大学の「ペン・バイデン外交・グローバル関与センター=(Penn Biden Center for Diplomacy and Global Engagement )(通称ペン・バイデン・センター/Penn Biden Center)」だ。

この研究機関は、オバマ政権でバイデンが副大統領の任期を務めあげた2017年に、急遽、開設されたバイデンのための学内シンクタンクだ。

翌年の2018年に、中国は、ペンシルべニア大学の「ペン・バイデン・センター」に、1580万ドルを寄付している。

つまり、中国と米国内のディープステートは、マルキストオバマの後を受けて、米国をいったん破壊して新しい共産主義の国に創りかえることをジョー・バイデンに託したというわけである。

中国は、今年に入ってからも、「ペン・バイデン・センター」に新たに5,400万ドル(約70億円)を寄付している。

ちなみに、ペン・バイデン・センターの理事長を務めていたのが、ロシアのウクライナ侵攻前からゼレンスキーと綿密に打ち合わせを重ねてきたアシュケナジーユダヤで、今の国務長官であるブリンケンだ。

ペンシルべニアの全地域は、ペンシルべニア大学と、それとつながっているローマ・カトリックと、ローマカトリックから資金提供を受けている大学の卒業生である政府関係者たちと連動・協力しながら、ペンシルバニア州イエズス会フィラデルフィア大司教ピッツバーグ司教などを経由して、ローマ・カトリックヒエラルキーによってコントロールされているのである。

まあ、端的に言うと、このウクライナ戦争に最終的にゴーサインを出したのは、ローマカトリックイエズス会であり、Covid詐欺パンデミックによって世界中の人々に殺人ワクチンを半強制的に打たせているのもローマカトリックイエズス会であるということ。

米国を破壊し、ドルを基軸通貨とする金融秩序を破壊しようとしているのは、バイデンやオバマのような共産主義者だけでなく、左翼主流メディア、左傾化した学者たち、そして、米連邦最高裁判事だけでなく、ロシアも同じなのだ。

だから、ロシアは、ウクライナのインフラを止めて停電にすれば、あっという間にウクライナ全土を制圧できたのに、あえて、それをやらず戦争を長引かせているのだ。
この点ではバイデンと利害が一致している。

当初、プーチンが、ロシア軍幹部の「なーに、プーチン閣下、ウクライナなんぞ、3日もあれば終わり」という言葉を信じて侵攻したのはいいが、意外にもウクライナ軍の抵抗が激しくてこずっている、と報道されたが、ま、まさか、あなたは、そんなことを信じているのではないでしょうね。

これも、プーチンと彼の側近が練り上げた学芸会で、プーチンの病状悪化を印象付けてバイデンを陥れるための策略なのだ。

米国は、中国の超限戦戦術と、プーチンの巧妙な芝居によって、カオスに陥っている。

プーチンは、初期の段階で「これは、西側諸国が我がロシア中央銀行に仕掛けた戦争だ」と言った。
彼は、最初から知っていたのだ。

日本のメディアは、ルーブルの異常な高値(ロシアのルーブルが強くなっている)に理由が分からない、とほざいている。

安全資産と言われてきた日本円は、やはり2月24日を境に、ルーブルに対して、どんど安くなっている。

ドルより円の下落のほうが激しい。
円は、すでに危険水域を突破してしまった。

つまり、現在、国連加盟国の半数以上が、このウクライナ戦争の張本人が、バイデンとNATO極悪同盟であることに気が付いており、米国支持を取り消してロシア側についてしまったのである。

なにより、外貨準備としてドルを持つことを強制する米国に言われるとおりにやっていたら、自分たちも米国の抱き着き心中に引きずられて暗黒の海の藻屑と消えてしまうことが分かったからだ。

もうNHKは危険すぎて、取り潰すしか日本を守ることはできないだろう。

その過程では、金(ゴールド)に価値が裏づけられた通貨に世界中の資金が殺到するのである。

資源を持たない日本の場合には、円高になろうと円安になろうと、輸出産業が打撃を受け、原材料を輸入に頼っている産業は打撃を受ける。

しかしロシアのように、食糧をほぼ完全自給し、ありあまる資源とエネルギーを持つ国の通貨が金本位制に支えられて、いっそう強くなるということは、相手国を経済的に支配下に置くことができるということになるのである。

ドルを外貨準備として大量に持っている国から、ハイパーインフレを引き起こし、バッタバッタと斃れていくのである。

こんな時にも岸田文雄が何をやっているのかというと、日本経済の首を絞めて優良企業を外資に差し出す「経済安保法が可決されましたぁ」と喜んでいるのである。

米国のDSに言われたまんまを忠実に実行する岸田というデクノボーと自民党の犯罪議員どもによって、「日本は終わっってしまった」のである。
もう手遅れだ。

まとめると、「ロシアが勝って、米国は崩壊だ」ということ。
何も知らない、何も理解できない人が羨ましくなってくる昨今だ。

d1021.hatenadiary.jp

特番『軍事の専門家に訊く2、プーチンの思惑とウクライナ危機最新情報!?』ゲスト:岐阜女子大学特別客員教授 元陸上自衛隊陸将補 矢野義昭氏

d1021.hatenadiary.jp

馬渕睦夫【2022年3月3日いわんかな#57】プーチンとゼレンスキーの関係は?

www.youtube.com

【宇野正美】最新講演会3・世界情勢は大変化を遂げる。第三次世界大戦に突入するのか

d1021.hatenadiary.jp

米中央情報局(CIA)のバーンズ長官は、ロシアがウクライナ核兵器を使用するという脅威は「軽視できない」が、「こうした懸念を裏付けるような実際的な証拠は多く確認していない」と述べた。

#反ロシア#対中露戦

d1021.hatenadiary.jp

#外交・安全保障