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南米のペルーで日系人として初めて大統領に就任し、有罪判決を受けて服役していた、アルベルト・フジモリ元大統領(85)が6日、収監先の刑務所から釈放されました。

フジモリ氏は6日、大勢の支持者や報道関係者が詰めかける中、家族とともに車に乗って刑務所をあとにしました。

車の後部座席に座ったフジモリ氏はマスクを着用していて、支持者に手を振る様子も見られました。

支持者の1人は「フジモリ氏はわれわれをテロやハイパーインフレから救い、最も困難だった時代に国を前進させた人物です」と話していました。

アルベルト・フジモリ氏は、1990年に日系人として初めてペルーの大統領に就任し、在任中、経済の立て直しや治安の改善に手腕を発揮しました。

一方で強権的な政治手法に批判が高まり、退任後の2010年、治安部隊を指揮して市民を殺害した殺人の罪などで禁錮25年の有罪判決が確定しました。

ここ数年は健康状態の悪化で入退院を繰り返していて、ペルーの憲法裁判所が5日、フジモリ氏の即時釈放を命じていました。

フジモリ氏の釈放をめぐっては、在任中の事件の遺族などが強く反発していて、フジモリ氏の支持者と反対派との間では反応が大きく分かれています。

釈放時の様子は
ロイター通信は、フジモリ元大統領が収監先の刑務所から釈放される際の様子を映像で伝えています。

映像でフジモリ氏は、酸素を吸入するためとみられるチューブをつけた状態で姿を現しました。

刑務所には娘のケイコ氏や息子のケンジ氏が駆けつけていて、ケイコ氏は目に涙を浮かべ、フジモリ氏と抱擁を交わしていました。

フジモリ氏は、集まった人たちに向け手を振る様子を見せたあと、ケイコ氏に支えられながら車に乗り込み、刑務所をあとにしていました。

フジモリ氏 これまでの経緯
アルベルト・フジモリ元大統領は両親が熊本県出身の日系2世で、1938年、ペルーの首都リマで生まれました。

国立大学の学長などを経て、1990年、日系人として初めてペルーの大統領に就任しました。

在任中は、緊縮財政でインフレを克服し経済を立て直すとともに、反政府武装グループを徹底的に取締り、治安を劇的に改善させるなどの手腕を発揮しました。

1996年、リマの日本大使公邸を左翼ゲリラの武装グループが占拠する日本大使公邸人質事件が発生した際には、およそ4か月間にわたるこう着状態のあと特殊部隊を突入させ、大半の人質を救出しました。

その一方で、憲法の効力を一時的に停止したり、憲法で認められていなかった3選を果たしたりと、強権的な政治姿勢が国内外からの批判を浴び、2000年、日本に事実上亡命し、大統領の職を失いました。

2005年にペルー政界への復帰を目指して日本を出国し、チリに入国したところで拘束されました。

チリで自宅軟禁下に置かれる中、フジモリ氏は2007年、日本の参議院選挙に国民新党から比例候補として立候補しましたが、落選しました。

この年、フジモリ氏の身柄はチリからペルーに引き渡され、2010年、在任中に治安部隊を指揮して市民を殺害した殺人などの罪で禁錮25年の判決が確定しました。

その後、2017年に健康状態の悪化などを理由に大統領令によって恩赦が認められ、釈放されましたが、2018年、ペルーの最高裁判所が恩赦を取り消したため、再び刑務所に収監されました。

しかし、去年、ペルーの憲法裁判所はフジモリ氏に出されていた人身保護請求を認めて最高裁判所の恩赦の取り消しを無効とする判断を示していました。

そして12月5日には、フジモリ氏の即時釈放を命じていました。

#ペルー(フジモリ元大統領・収監先の刑務所から釈放)

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#ペルー(憲法裁判所・フジモリ元大統領の即時釈放を命じる)

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