福島第一原発事故 避難者訴訟 2審も国の責任は認めず 仙台高裁https://t.co/rDlAguNcYV #nhk_news
— NHKニュース (@nhk_news) January 17, 2024
東京電力福島第一原子力発電所の事故で、福島県から山形県などに避難を余儀なくされた185世帯669人は、避難生活で精神的苦痛を受けたなどとして、国と東京電力に対し、1人あたり300万円、合わせて20億4600万円余りの賠償を求めました。
1審の山形地方裁判所は5年前の2019年、東京電力に対し、原告5人に合わせて44万円の賠償を命じた一方、国の責任は認めず、原告が控訴していました。
17日の2審の判決で仙台高等裁判所の石栗正子裁判長は「国が東京電力に津波による事故を防ぐための適切な措置を義務づけ、義務が履行されたとしても、事故を回避することができなかった可能性が高い」などとして、1審に続いて、国の責任は認めませんでした。
一方、東京電力に対しては、原告の一部に避難生活に対する慰謝料などとして、合わせて6000万円余りを支払うよう命じました。
原告団の弁護士によりますと、賠償の対象の原告はおよそ350人で、1審判決より大幅に増えたということです。
原発事故で避難した人などが国と東京電力を訴えた集団訴訟では、最高裁判所が2022年、国の賠償責任を否定する判断を示したあと、名古屋高裁や東京高裁などで国の責任を認めない判断が続いています。
原告弁護団「不当判決 上告を検討」
原告の弁護団は判決のあと、記者会見を開き、外塚功弁護士は「国に対する責任が認められず不当判決だ。最高裁判所が国の責任を否定したあとは、高等裁判所のすべての判決で国の責任が否定されていて、全国的なふんばりが必要だ。今後、上告して、引き続き、国の責任を追及することを検討している」と話していました。
#法律(福島第一原発事故避難者訴訟・仙台高裁石栗正子裁判長「国が東京電力に津波による事故を防ぐための適切な措置を義務づけ、義務が履行されたとしても、事故を回避することができなかった可能性が高い」「東京電力に対しては、原告の一部に避難生活に対する慰謝料などとして、合わせて6000万円余りを支払うよう命じる」)
JR東日本 新社長に喜勢陽一氏が就任へ 民営化後入社の社員で初https://t.co/hDU1CkllL9 #nhk_news
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JR東日本は17日、取締役会を開き、ことし4月1日付けで深澤祐二社長が代表権のない会長に就任し、後任の社長には喜勢陽一副社長を昇格する人事を決めました。
また、冨田哲郎取締役会長は相談役に就任します。
新たに社長に就任する喜勢氏は平成元年に入社し、現在は59歳。
民営化後に入社した社員がJR東日本の社長に就任するのは初めてです。
喜勢氏はこれまでに、鉄道以外の事業の強化などを掲げた経営ビジョンの策定を進めたほか、現在は東京 港区の「高輪ゲートウェイ駅」周辺の再開発などを担当しています。
喜勢氏は17日の記者会見で、「新型コロナの感染拡大を経て、お客様の価値観が変わっている。人口減少で厳しい事業環境が続く中、社員と一緒に会社の事業構造を変革し、レベルアップさせていく」と述べました。
また、会長となる深澤氏は後任となる喜勢氏について、「新幹線を使った貨物輸送といった新しい事業を始めるなど、フットワークも軽く、調整能力も高いことから適任だと思っている」と述べました。
JAL新社長は客室乗務員出身 鳥取三津子専務 59歳https://t.co/zNMBRrsL2k #nhk_news
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日本航空はいまの赤坂祐二社長の後任に、客室乗務員出身の鳥取三津子専務を起用する人事を発表しました。
鳥取氏は59歳。
客室乗務員の経験が長く、客室本部長などを経て、現在は専務でグループの最高顧客責任者を務めています。
赤坂社長は代表権のある会長となります。
JAL社長に鳥取取締役、CA出身・女性トップ初 赤坂氏は会長に https://t.co/rHIwVkKnrh
— ロイター (@ReutersJapan) January 17, 2024
日本航空(JAL)(9201.T)は17日、鳥取三津子代表取締役(59)が社長に昇格すると発表した。現社長の赤坂祐二氏(62)は代表取締役会長に就く。社長が女性、客室乗務員(CA)出身はいずれも同社として初めて。赤坂氏は旅客需要が落ち込んだ新型コロナウイルス禍を乗り切り、業績改善に導いた。同社は経営体制を刷新し飛躍を目指す。4月1日付。
現会長の植木義晴氏(71)は4月1日付で会長を退任し、6月の定時株主総会終了で取締役からも退任する。
2018年に社長に就いた赤坂氏は、整備出身として安全運航を徹底し、コロナ感染者が国内で初めて確認された20年1月以降はコロナ対応に尽力した。
赤坂氏は17日の会見で、コロナ禍での「バトンタッチはないだろう」と考え、まずはコロナの克服を最優先したと説明。24年3月期の通期利益(EBIT)が期初予想を上回る状況が見えてきた昨秋ごろ、「そろそろ私の役目は終わりにしてぜひ次の人に、と思うようになった」と語った。
広告 - スクロール後に記事が続きます赤坂氏は、今後も「顧客と社員を真ん中にした経営」「チーム経営」が重要であり、「そういった観点で長く顧客サービスに従事してきた人が(後任に)非常に相応しいと思った」と説明。鳥取氏が顧客サービスと安全を長年担っており、高品質なサービスと安全が求められる競争環境の中、同氏は「顧客の視点でグループの企業価値を持続的に高めていけると確信している」と評価した。
鳥取氏は1985年にCAとして入社。同年は520人が死亡し単独機事故として死亡者数が世界最悪となったJAL123便墜落事故が起きた年。会見に同席した鳥取氏は「当時受けた(事故の)衝撃は今も大変強く心に刻まれている。当時を知る者として安全運航の大切さを次世代に継承していく」と話した。
鳥取氏はまた、信頼できる多くの仲間と議論し、あらゆる課題に向けて「個人の能力が発揮できるような職場にし、皆でいいソリューション(解決方法)を導き出したい」と意気込みを語り、「女性社員は次のステップに悩んだり、ライフイベントもある。自分が社長になることで女性社員に勇気を与えたり、次のステップの後押しができれば」と話した。
鳥取氏は2020年4月に執行役員客室本部長、23年4月に専務執行役員を経て、同年6月に代表取締役専務執行役員グループCCO(最高顧客責任者)に就任した。
海上保安庁長官「深くおわび」 羽田空港事故後初の定例会見https://t.co/Qx2Hl6Fyrk #nhk_news
— NHKニュース (@nhk_news) January 17, 2024
今月2日、羽田空港の滑走路上にいた海上保安庁の航空機と、着陸した日本航空の旅客機が衝突した事故では、海上保安官5人が死亡、1人が大けがをしたほか、旅客機の乗客15人が医療機関を受診しました。
事故後、初めての定例の会見で、海上保安庁の石井長官は冒頭、「事故により、皆様にご迷惑をおかけし、深くおわび申し上げます」と述べました。
そして、「日本航空の乗客乗員、そのご家族にお見舞いを申し上げます。そして、事故で命を失った職員のご冥福をお祈りするとともに、ご家族に対してお悔やみを申し上げます」と話しました。
5人の死亡については「かけがえのない職員の命を失ったことは痛恨の極みだ」と話しました。
また、事故の原因などについて問われたのに対しては、国の運輸安全委員会の調査などに全面的に協力していくと述べるにとどまりました。
そのうえで、「国土交通省の航空局と連携して安全対策の強化を図る」とし、事故調査によって明らかになる事実に基づいて、さらなる安全対策を講じると述べました。
羽田航空基地に所属する海上保安官の航空機への乗務を停止していることをめぐっては、周辺の航空機を活用し、任務に支障が生じないよう体制を確保していると述べました。
#日本航空516便炎上事件(羽田空港・海上保安庁羽田空港基地所属MA722固定翼機・衝突)
自動車会社の会社員、アマチュアレーサー、レーシングチームのキャンペーン・ギャルを経て俳優に転身するという、異色キャリアの持ち主である高島礼子さん。
— JAFMate (@JAF_Mate) January 17, 2024
日産ラングレーから始まったご自身のカーライフについて語っていただきました。
インタビューMy Garagehttps://t.co/dq0awu46C3
横浜市の実家は、どの駅へ行くにもバスを使わないといけなかったんです。閑静な住宅街ではあったんですけれど、不便でした。だから、周りの子たちは早くから乗り物に目覚めるんです。友達にはバイク好き、車好きが多くて、私も16歳になった夏に原付免許を取りました。
――原付バイクでは、どんなところに行きましたか?
休日は横浜の山下公園に行ったり、湘南や箱根の方まで遠出したり、一気に行動範囲が広くなりました。当時の私にしたら、一番大事なのが運転免許でした。免許を取って、乗り物に乗って、自由にあちこち行きたいっていう気持ちが強かったんです。
――普通免許の取得も18歳だったそうですね。
17歳のうちに仮免許まで取っておいて、18歳になったのと同時に免許を取りました。母が免許を取ったというのも大きかったんです。それで、車を買って、親しむきっかけになりました。母も免許を取ることを応援してくれました、
――アマチュアレースに参加したきっかけを教えてください。
自動車会社で働いていた19歳の時でした。車好きの友達が多くて、富士スピードウェイで開催されるフレッシュマンズ・レースや筑波サーキットでの走行会に誘われて、ハマりました。
キャビンレーシングがキャンギャルを募集しているという話を聞いたんです。「結構、ギャラもいいらしいよ」って。応募してみたら受かっちゃって……。
本当に理想的な環境でした。キャンギャルの同僚は一般公募の子ばかりで、楽しかったです。レースは勝てばいいですけど、やっぱり負けちゃうこともあるので、そんな時は暗い雰囲気にもなりました。そんな中、時代劇ドラマ『暴れん坊将軍』出演のお話をいただけて、芸能界に入ることになりました。
――ベンツは35歳でSクラス、40歳でS55 AMG。45歳のときにG550 ロング。そして、49歳のときにG63 AMG。Gクラスは「ゲレンデ」の愛称で知られるSUVタイプのクロスカントリー車ですね。
ゲレンデは明石家さんまさんが乗っていると伺って、初めて知ったんです。ベンツの頂点がGだったので、乗りたいと思っていました。Gは計3台乗って、色は黒、白、白。10年くらい乗っています。一度気に入ると、そればかり乗ってしまうんです。初めて乗った時は最高だなと思いました。目線が高くて、見晴らしがよかったです。
でも、運転をマネージャーに任せるようになって、後部座席に乗ってみると、全然乗り心地が違うんです。前にはシートヒーターがありますが、後ろには充実した装備が何もないんですよ。
――以前はご自身で仕事先まで運転していたのでしょうか。
横浜に住んでいた30代は自分で運転していました。でも、ロケ先、スタジオに通うのが大変だったんです。朝は渋滞するじゃないですか。だから、深夜に出発し、ロケ先の近くのトイレが使える場所で車中泊したこともありました。車の方が集中できて、セリフも覚えられるんです。その頃はすごく忙しかったんで、そうでもしないと本当に仕事が追いつかなかったんです。
――車中泊とは驚きました。
今は、仕事先への移動はマネージャーに任せています。いくつもドラマを抱えながら、寝る時間もなく、このままでは無理だと思ったんです。万が一、大きな事故を起こしてしまったら、命の次に大事だと思っている免許もなくなってしまうし、仕事先にも迷惑がかかってしまいますから。
――今の愛車は?
ゲレンデとヴェルファイア(トヨタ)の2台持ちです。車はだいたい3年で乗り換えることにしていて、ヴェルファイアも既に4台目です。タイヤとホイールを替えて、スポイラーも付けてもらいました。車だけはきれいでかっこよくいたいんです。
ヴェルファイアはこれまでの3台とも10万㎞走っています。自宅から仕事先まで、365日働いていたので、そのくらいの距離は簡単に行きました。
――新型ヴェルファイアの乗り心地はいかがですか。
ヴェルファイアはマネジャーに運転をお任せしているので、エンジンのかけ方もわからないかも(笑)。でも、10分いただけたら、エンジンやシフトなどを確認するので、後は任せてください!
今のヴェルファイアはコロナ禍の部品不足で、なかなか納車されなかったんです。ホイールは前の純正品を使いたかったのですが、仕様変更で規格に収まらなかったのは残念でした。後部座席も仕様が変わっていて、スマホを置く場所に困っています(笑)。肘当てのところに、滑り止めシートなどを付けないといけないですね。安全装備は充実しています。今もハイブリッド車なのですが、これが最後のガソリン車になるのかなと思っています。次に乗り換える時は電気自動車になるかもしれませんね。水素エンジンはどうなるのかも気になります。
――高島さんはバイクもお好きですよね。
中型自動二輪免許は若いときに取って、大型の免許を取ったのは37歳のときです。若いときは400ccのバイクに乗っていて、大型を取ってから、ハーレーダビッドソンを買いました。
1,400ccあるので、重いんです。立ちゴケしたら起こせないんですよ。だからカスタムして、軽くしてもらったのですが、高速道路では、フワフワするので、「怖い」と思いました。手放してしまって、今は手元にありません。ただ、友達ができたり、視野が広がった気がします。
――ハーレーではツーリングに行きましたか?
よく茅ヶ崎(ちがさき)にはでかけていました。横浜から横浜横須賀道路で横須賀に出て、海沿いで湘南、茅ヶ崎を回って、横浜新道で帰ってくるのがお決まりのコースでした。
――車を運転する上で心がけていることはありますか?
若い頃は免許がとにかく大事だったので、違反してはいけない、飛ばしてはいけないと思っていました。運転ができなくなると、どこにもいけなくなってしいますから。安全運転は心掛けていましたね。車は必ず駐車場に止めるようにしていました。
――高島さんにとって車はどういう存在ですか?
昔は家族であり、親友でした。一番癒やされる場所で、よく寝泊まりもしました。今、求めるのは快適性や機能性。年々求めるものは変わっていきましたが、でも一番安らぐ場所であることは変わらないですね。かわいがってあげないといけないという思いがあって、車は家よりもきれいにしています。
高島礼子さんがドライブで聞きたい5曲
ジプシー・キングス「インスピレーション」
大好きなドラマ『鬼平犯科帳』のエンディング・テーマとして知られています。ギターの旋律がとても印象的です。ナット・キング・コール「モナ・リザ」
往年のジャズ歌手でピアニストによる名曲。車に乗っているときはテンションが上がってしまうので、気持ちを落ち着かせるのにいいのかな。フランツ・シューベルト「アヴェ・マリア」(Ruth Ziesak、Ulrich Eisenlohr)
「歌曲王」として知られるシューベルトの作曲。いろんな方が歌われています。仕事の本番前にゆったりとした気持ちにさせてくれます。秦 基博「ひまわりの約束」
最近のお気に入りです。「ドラえもん」が大好きです。映画「STAND BY MEドラえもん」の主題歌をはじめ、CMソングとしても使われています。渡辺真知子「好きと言って」
車好きの仲間と遊んでいたときにアルバム「そっとふりむいて」をよく聴いていました。最初はラジオで聴きました。車に乗っていると、思い出の曲として記憶が蘇ります。
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Vespaと癒されに行ってきました😊https://t.co/VrB0rlJyeP pic.twitter.com/ONUQGKNsZQ
#Ruriko_675(阿夫利神社・VespaGTV)
能登半島地震の震源域 半島の北東断層ずれ動かず “注意を”https://t.co/p7qDRVG7cc #nhk_news
— NHKニュース (@nhk_news) January 17, 2024
今回の能登半島地震で、震源域の断層の動きを専門家が分析した結果、能登半島の北東にある断層がほとんどずれ動いていなかったことが分かりました。専門家はこの断層で規模の大きな地震が発生すると新潟県の沿岸に津波が押し寄せるおそれもあるとして注意を呼びかけています。
政府の地震調査委員会によりますと、今回の地震の震源域は、能登半島の西から北東にかけてのおよそ150キロの範囲におよび、これまでに確認されている複数の活断層が関係している可能性が高いなどとしています。
東京大学地震研究所の佐竹健治教授は、各地で観測された津波の波形から、震源域の断層がどう動いたか分析しました。
その結果、▽能登半島の北側の沿岸に沿ったエリアと、▽隣り合う断層がそれぞれ大きくずれ動いた一方、最も北東側の沖合の断層はほとんど動いていなかったことが分かりました。
この領域では、今月9日にマグニチュード6.1の地震が発生していますが、新たにマグニチュード7クラスの地震が起きた場合、佐渡を含む新潟県の沿岸に高さ3メートル程度の津波が押し寄せるおそれがあると指摘しています。
佐竹教授は「能登半島でも地震活動が続くと思われるが、震源域が広いので周辺でも日頃から備えを確認してほしい。日本海で津波が起きると到達時間が短いので注意が必要だ」と話しています。
#令和6年能登半島地震
新名神高速道路の大津-城陽「2024年度の開通は困難」 工事難航、京都府知事「大変残念だ」 https://t.co/mkgzyFIeBH
— 京都新聞 (@kyoto_np) January 17, 2024
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