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ガザ地区ではイスラム教の断食月ラマダンの初日を迎えた11日も、イスラエル軍の攻撃が続いています。

住民の犠牲が絶えない中、国連のグテーレス事務総長はラマダンの開始にあわせて「この神聖な期間を平和の時とするべく呼びかける」と述べて、一刻も早く戦闘をやめるよう呼びかけました。

ガザ地区ではイスラム教徒が日中の飲食を断つ神聖な断食月ラマダンの初日を迎えた11日もイスラエル軍による攻撃が続き、パレスチナのメディアは民間人、数十人が死亡したと伝えています。

ロイター通信が11日ガザ地区南部ラファで撮影した映像では、北部から避難している男性が「こんなにひどい気持ちでラマダンを過ごしたことはない。日没後の食事のための食料もないし、それを買うためのお金もない」と訴える様子が写っています。

戦闘の休止と人質の解放に向けた交渉は進展が見られず、レバノンのメディアは11日、ハマス幹部が仲介役のカタールとエジプト、そしてアメリカについて「われわれの味方ではなく、イスラエルの要求に理解を示している」と述べ、完全な停戦を求めるハマス側が交渉に不満を持っているなどと伝えました。

一方、イスラエルのネタニヤフ首相は11日、アメリカのFOXテレビのインタビューで「すでにわれわれはハマスの部隊の4分の3を壊滅させていて、勝利はまもなくだ」と述べて、ハマスの部隊を壊滅させる考えを改めて示しました。

こうした中、国連のグテーレス事務総長は11日、ラマダンの開始にあわせてニューヨークの国連本部で会見し「ラマダンが始まってもガザ地区では殺りく、爆撃と流血が続いている。いまは平和の時だ。この神聖な期間を平和の時とするべくあらゆる指導者に呼びかける」と述べ、一刻も早く戦闘をやめるよう呼びかけました。

国連事務総長ラマダンの精神に敬意を」
ラマダンが始まったのにあわせて国連のグテーレス事務総長が11日、ニューヨークの国連本部で会見しました。

グテーレス事務総長はラマダンが始まってもガザでは殺りくと爆撃と流血が続いている」と述べた上で、「私が最も強く訴えたいのは、ラマダンの精神に敬意を表して銃を置き、人命救助に必要な支援を迅速かつ大規模に届けるためにあらゆる障害を取り除くことだ」と訴えました。また、すべての人質の即時解放を求めました。

そして「世界が見ている。歴史が見ている。われわれは目をそらすことはできない。防ぐことができる死をこれ以上増やさないために行動しなければならない」と呼びかけました。

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イスラム組織ハマスのハニヤ最高指導者は10日、パレスチナ自治区ガザにおける戦闘を停止するための交渉が行き詰まっているのはイスラエルに責任があると非難した。停戦へ向けたハマスの要求をイスラルが拒んでいると主張したが、依然として話し合いによる解決を探っているとした。

ガザ地区では、イスラム教徒が日中の飲食を断つ最も神聖な月、ラマダンが始まった後も、イスラエル軍イスラム組織ハマスの幹部が利用していたとする地下施設を空爆したと発表するなど、依然として激しい攻撃を続けています。

ガザ地区では11日、イスラム教徒が日中の飲食を断つ最も神聖な月、ラマダンが始まりました。

AP通信が現地で撮影した映像では、南部ラファにあるモスクが空爆によって破壊されたため、近くの路上で礼拝を行う様子が写っています。

一方、イスラエル軍のハガリ報道官は11日の記者会見で、ガザ地区中部ヌセイラトでハマスの幹部が利用していたとする地下施設を空爆したと発表しました。

ガリ報道官は、この地下施設にはハマスの軍事部門ナンバー2の幹部や、ガザ地区内で兵器関連の責任者となっている人物の2人がいたと主張したうえで、攻撃の結果、殺害したかどうかは確認中だとしています。

現地の保健当局は11日、過去24時間だけでも67人が死亡したほか106人がけがをしたと発表しています。

ガザ地区では、人道状況が悪化している影響で、攻撃の犠牲者だけでなく、栄養失調などで亡くなる人も増えていて、WFP=世界食糧計画は空からの支援物資の投下では食料の支援は不十分だとして、陸路からの物資の搬入を急ぐべきだと訴えています。

ヨルダンのラニア王妃は11日、支援物資を運搬している車列への爆撃や弱い立場の人々の餓死などを指摘し、イスラエルの戦術を非難した。同盟国に対しては、停戦を促すために「政治的影響力」を行使するよう呼び掛けた。

ラニア王妃はパレスチナ自治区ガザ地区への人道支援物資の空中投下を行っている空軍基地からCNNの取材に答えた。ラニア王妃は「これは5カ月にわたって行われたスローモーションでの子どもたちの大量殺害だ。ほんの数カ月前まで快活で元気だった子どもたちが親の前で衰弱していく。餓死は非常にゆっくりとした、残酷で痛みを伴う死だ」などと語った。

ラニア王妃は、空中から支援物資を供給する取り組みが行われているにもかかわらず、依然として立場の弱い人たちを支援することが急務だと指摘。そうした人たちは、ラニア王妃が「意図的な収奪」と呼ぶものを強制する「イスラエルが作り出した」戦略を生き延びようとしていると述べた。

ラニア王妃は「送られる援助の量に関係なく、停戦に代わるものはない」と訴えた。

ラニア王妃は、紛争の解決策は「平和的に聖地を共有する方法」を見つけることによって占領を終わらせることを中心とする必要があると強調した。

ヨルダンのサファディ外相は11日、エルサレム旧市街の聖地にあるイスラム教礼拝所「アルアクサ・モスク」ついて、イスラム教のラマダン(断食月)中にイスラム教徒の同モスクへの立ち入りをイスラエルが制限したことで、事態が「爆発」的な状況に向かう恐れがあると警告した。

サファディ外相は、バチカンローマ教皇庁)のポール・ギャラガー外務長官(外相に相当)との共同記者会見で「アルアクサ・モスクの神聖を冒涜することは火遊びに相当すると警告する」としラマダンの時期に宗教的な義務や儀式を行うことを認めず、アルアクサ・モスクに入る自由を制限することで爆発的な状況につながる恐れがある。われわれはそうした事態を警告している」と述べた。

イスラエルは、パレスチナ自治区ガザでの戦闘が続く中、安全保障上の理由からアルアクサ・モスクの立ち入りを制限する必要があるとしている。

米国の情報機関が、イスラエルのネタニヤフ首相について、イスラエルの指導者としての存続が危ぶまれていると考えていることがわかった。米国の情報機関が安全保障上の脅威などについてまとめた年次報告書で明らかになった。

11日に公開された報告書によれば、ネタニヤフ氏の統治能力に対する不信感は、イスラエルイスラム組織ハマスとの紛争が始まる前からすでに高い水準にあったが、それがさらに強まり、国民全体に広がっており、ネタニヤフ氏の退陣と新たな選挙を求める大規模な抗議活動が予想される。これにより、ネタニヤフ政権とは異なる、より穏健な政府が誕生する可能性があるという。

バイデン米大統領は先週末に行われたインタビューで、ネタニヤフ氏について、パレスチナ自治区ガザ地区で多くの死者を出したことで、イスラエルを助けるよりも、イスラエルを傷つけている」と述べていた。バイデン政権はイスラエルに対し、パレスチナ自治区ガザ地区に搬送する支援物資を増やすよう働きかけており、ガザ南部ラファでのイスラエル軍の軍事作戦は、レッドライン(越えてはならない一線)だとしている。

イスラエル戦時内閣の閣僚のひとり、ガディ・アイゼンコット氏は1月、国民がもはやネタニヤフ氏の指導力を信頼していないとして、新たな総選挙の必要性を訴えていた。アイゼンコット氏の発言は、戦時内閣内の亀裂や、ネタニヤフ氏の戦争計画に対する不満の高まりを示すものだった。戦時内閣は、昨年10月のハマスによる攻撃の後に結成されたが、対立関係にあったメンバーも含まれている。

イスラエルのネタニヤフ首相は11日、米FOXチャンネルの取材に答え、イスラエルイスラム組織ハマスを撲滅しなければならず、そこには「中道」はないことについて、バイデン米大統領が同意していると述べた。

ネタニヤフ氏は、イスラエル軍パレスチナ自治区ガザ地区ラファに侵入する前に、まずは民間人がラファを安全に離れることができるようにすべきだと述べた。

ネタニヤフ氏は「我々はそれについて合意した。それが我々の意図するところだ」と語った。

ネタニヤフ氏とバイデン氏との間の亀裂は週末に一気に表面化した。バイデン氏は米メディアとのインタビューで、ネタニヤフ氏について、ガザで罪のない人々の命が失われていることを無視することで、イスラエルを助けるよりも傷つけていると語っていた。

バイデン氏はネタニヤフ氏に対し、ガザで民間人の死傷者が増加することで、国際社会からの支持を失う危険があると警告していた。ガザでの死者は3万1000人を超えた。

ネタニヤフ氏はバイデン氏の発言を受けて、多くの報道機関の取材で、ラファでの軍事作戦を推し進める考えを明らかにした。ラファには約150万人のパレスチナ人が避難している。

イスラエル当局者は、ラファへの侵攻について、イスラム教のラマダン(断食月)の期間中でも排除されないと警告している。

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この中でバイデン大統領は、市民の犠牲が増え続ける中、ガザ地区での攻撃を続けるイスラエルのネタニヤフ首相について「彼にはイスラエルを防衛する権利があるが、行動の結果として失われている命のことにもっと目を向けなければならない。彼は自国を救うよりも、むしろ傷つけている」と述べて対応を批判しました。

また、バイデン大統領はイスラエルによる南部ラファへの侵攻が、レッドライン=越えてはならない一線になるかと問われたのに対し、「それはレッドラインだ」と述べました。

その一方で、「イスラエルを見捨てることは決してない。イスラエルの防衛は重要で、武器の支援を停止するようなレッドラインはない」と述べ、アメリカがイスラエルへの軍事支援をやめることはないという考えを重ねて示しました。

レバノンの親イラン武装組織ヒズボラは11日、イスラエルが占領するゴラン高原にあるイスラエル軍の防空前哨基地をドローン(小型無人機)で攻撃したと発表した。

ヒズボラは、パレスチナ自治区ガザのパレスチナ勢力への支持を示すためにこうした攻撃を再度実施したと表明。4機のドローンを投入し、正確に目標を攻撃したとした。

ゴラン高原は1967年からイスラエルが実効支配。ヒズボラは先月、ゴラン高原の同じ標的に向けロケット弾を発射したと表明した。

イスラエル軍の攻撃はこれまではレバノン南部の国境地帯に限定されていたが、ここ数週間は北方にも拡大している

イエメン西部の港湾都市などで11日、親イラン武装組織フーシ派を標的にした米英連合軍による空爆があり、少なくとも11人が死亡、14人が負傷した。国際的に承認されたイエメン政府の報道官がロイターに明らかにした。

フーシ派のアル・マシラテレビによると、主要港湾都市ホデイダやラスイッサ港など国内の少なくとも17カ所空爆が報告された。

フーシ派はイスラエルによるガザでの戦闘でパレスチナとの連帯を示すため、昨年11月に紅海で商船への攻撃を開始。数日前にはフーシ派の攻撃で初の死者が出ていた。

ホロコーストの直接的な原因と、🇩🇪ナチス政権とイスラエル政府が共同利益関係にあった事実

"そのため、領土を獲得したとはいえ、東部での作戦は約束されたものだけでなく、必要なものも提供することができなかった。ソ連侵攻のわずか2日後、バッケは4カ年経済計画の一環として小麦の需要予測を発表した。ドイツは年間250万トンの不足に直面していた。ドイツ国防軍はこれを解決し、ドイツ人が食べるために数百万トンの油分を含む種子と数百万頭の牛や豚を確保する必要があった。これが、ヒトラーが将軍たちに『モスクワとレニングラードを壊滅させよ』と指示した理由のひとつである: ヒトラーは、『冬に食糧を供給しなければならない人々がそこに残るのを防ぎたかった』のである。

食糧不足と飢饉で数百万人が死ぬと予測したドイツ軍は、今度は苦しむべき人々を特定し始めた。その最初の列がロシア人捕虜だった。「彼らに食料を与える必要はない。国際的な義務に縛られるわけでもないのだから」とゲーリングは軽率に書いている。1941 年 9 月 16 日、ゲーリングは「働かない」捕虜、つまり奴隷労働者として働くには衰弱しすぎ たり負傷しすぎたりしている捕虜から食料供給を引き揚げる命令を下した。その 1 カ月後、「働く」捕虜の配給はすでに減らされていたが、再び減らされた。その影響は壊滅的で、1942年2月までに、ソ連人捕虜のうち約200万人(合計330万人)が死亡した。

このプロセスをさらに早めるために、給餌を必要とする口の数をなくす新しい技術が考案 された。捕虜は百人単位で集められ、ポーランド軍の兵舎を燻蒸するのに使われた殺虫剤の効果を試すことができた。一酸化炭素中毒の影響についても、排気ガスにパイプをつないだバンを使って実験が行われた。1941年秋に行われたこれらの実験は、同じ技術を大規模に使用したことで間もなく悪名を馳せることになる場所で行われた: アウシュビッツザクセンハウゼンである。

侵攻開始のわずか数週間後に始まった大量殺戮は、ドイツ軍の攻撃の失敗と経済・戦略計画の絶望的な不備に対する病的な反応であった。ウクライナとロシア南部の大穀倉地帯は、期待された成果を上げることができなかった。そして、その代償は直ちに支払わなければならなかった: ヒトラーが会話の中で述べていたように、地元住民の国外追放や移住ではなかった。人が多すぎて食料が不足していたため、ドイツ人のあらゆる生活、メディア、民衆の意識の中で悪者扱いされていた2つの明らかな標的がいた: ロシア人とユダヤ人である。

スラブ人は人種的に劣等で、常軌を逸し、苦悩と暴力の能力を持っているという描写は、戦前から一貫して展開されてきた。1939年にモロトフ=リッベントロップ協定が結ばれた後、この誹謗中傷は抑えられたが、侵攻後に再び始まった。これまで力強く論じられてきたように、これは1941年夏の終わりから始まったロシア人の大量虐殺に直接作用した。

戦前のドイツでは、反ユダヤ主義はさらに深く根付いていた。退位したカイザーによれば、ワイマール共和国は「ユダヤ人によって準備され、ユダヤ人によって作られ、ユダヤ人の給料によって維持されてきた」。ユダヤ人は蚊のようなもので、「人類が何らかの方法で取り除かなければならない厄介者である。一番いいのはガスだと思う!」このような態度は珍しいものではなかった。1938年11月9日から10日にかけての夜、ユダヤ人に対して組織的な暴力が振るわれた水晶の夜のような出来事は、ユダヤ人を「他国の肉と生産性と労働を糧とする寄生虫」と日常的に見下す毒々しいレトリックの集大成であった。

このような言動や行動がもたらすものへの懸念が高まり、新たな同盟関係を築こうと考える者もすでにいた。1930年代半ば、後にイスラエルの初代首相となるダヴィド・ベン・グリオンは、パレスチナの有力なアラブ人と合意に達し、ユダヤ人の移住を拡大できるようにしようとした。アラブの穏健派とされる人物が率いる使節団がベルリンに派遣され、ナチス政権が中東におけるイギリスの利益を損なうアラブの計画を支援する代わりに、どのような条件で合意するかについて話し合った。

戦争が始まって最初の月が終わる前の1939年9月には、すべてのユダヤ人をポーランドに再定住させる計画が合意されていた。少なくとも当初は、強制移住によってドイツ領内から追い出すことを容易にするために、住民を大挙して集めるという計画であったようだ。実際、1930年代後半には、ドイツ系ユダヤ人をマダガスカル強制移住させるという綿密な計画が練られた。この計画は、19世紀末から20世紀初頭にかけて、インド洋南西部に位置するこの島の先住民マダガスカル人の起源はユダヤ人にあるという、多くの地理学者や人類学者の一般的な(しかし見当違いな)確信に基づいていたようである。

ナチス・ドイツでは、ユダヤ人を他の場所にも追放しようという議論があった。実際、変な話だが、ヒトラーは20年近く前からパレスチナユダヤ人国家を建設することを主張していた。1938年の春、彼はドイツ系ユダヤ人の中東への移住政策と、彼らの故郷となる新しい国家の形成を支持する発言をしている。実際、1930年代後半には、アドルフ・アイヒマン率いる高級代表団がパレスチナシオニスト諜報員と会談するために派遣され、しばしば「ユダヤ人問題」と呼ばれるものをきっぱりと解決するための融和策について議論した。後にイスラエルで人道に対する罪で処刑されたアイヒマンが、ドイツからパレスチナへのユダヤ人の移住を促進する方法について話し合っていたのは、非常に皮肉なことだった、 反ユダヤ主義を掲げるナチ指導部とエルサレム周辺のユダヤ人コミュニティーの指導部の双方にとって利益になりそうなことだった。

話し合いは合意に至らなかったが、ドイツ人は開戦後も、潜在的に有益なパートナーとして見なされ続けた。1940年秋、リーハイと呼ばれる運動(パレスチナ当局にシュテルン・ギャングとして知られるようになり、そのメンバーには後の首相イツハク・シャミールや近代イスラエル建国の父たちがいた)の創始者アブラハム・シュテルンは、ベイルートのドイツ外交官に過激な提案のメッセージを送った。ドイツと、シュテルン(ら)が代表と称する「ユダヤ民族の真の民族的願望」との間には、「共通の利益が存在しうる」と、それは始まった。もし「イスラエルの自由運動の願望が認められる」なら、シュテルンは「ドイツ側として積極的に戦争に参加する」ことを申し出た。中東における将来のドイツの権力的地位の強化」とは別に、「全人類の目から見て」第三帝国の「道徳的基盤が極めて強化される」のである。

これは威勢がよかった。実際、シュテルンは現実主義的であった。たとえ彼がドイツとの同盟に託した希望が、組織内 の全員に共有されていたわけではなかったとしても。私たちがドイツ軍に望むのは、ユダヤ人の入植者をパレスチナに連れてくることだけだ。そうすることで、「祖国を解放するためのイギリスとの戦争がここから始まる。ユダヤ人は国家を獲得し、ドイツ人はついでに、中東におけるイギリスの重要な拠点を取り除くことになり、ヨーロッパにおけるユダヤ人問題も解決することになる」。それは論理的で、恐ろしいことのように思えた: ユダヤ人の有力者たちが、史上最大の反ユダヤ主義者との協力を積極的に提案し、ホロコーストの実行犯と交渉していたのだ。

ヒトラーにとっては、ユダヤ人がどこに追放されるかは重要ではなかった。それは彼の反ユダヤ主義がいかに強力であったかの現れでもある。パレスチナも検討された場所の一つにすぎず、ロシアの奥深くも真剣に議論された。「ユダヤ人をどこに送るかは問題ではない」とヒトラーは1941年、クロアチアの軍司令官スラヴコ・クヴァテルニクに言った。シベリアでもマダガスカルでもいい。

ロシアでの慢性的な問題に直面したナチスは、この気軽な態度を、より形式的で冷酷なものに変えていった。
ナチスの計画者たちは、ユダヤ人が収容所に集められたという事実が、大量殺人がほとんど困難なく達成されうることを意味していることに気づいたからである。すでに不足していた資源の枯渇に直面し、組織的に反ユダヤ主義を掲げる政権が、大規模な殺人に目を向け始めるのは簡単なことだった。ユダヤ人はすでにポーランドの収容所にいた。ナチス指導部が何百万もの口数が多すぎて養いきれないことを悟っていた時期、彼らは用意周到で簡単な標的だった。

アドルフ・アイヒマンは1941年7月中旬の時点で次のように書いている。「この冬には危険がある。もはやユダヤ人をすべて養うことはできない。最も人道的な解決策は、労働能力のないユダヤ人を、ある種の早業で仕留めることではないのか、真剣に検討しなければならない」。高齢者、病弱者、女性、子供、そして「労働能力のない」人々は消耗品として切り捨てられた。彼らは、ソ連侵攻前に注意深く死が予測されていた「X百万人」に取って代わるための第一歩だった。

こうして、前代未聞の規模と恐怖の連鎖が始まった。人間を家畜のように収容小屋に送り込み、そこで奴隷労働者として働く者と、他の人々の生存のために支払うべき代償とみなされる者とに分けた: 南ロシア、ウクライナ、西部の草原が大量虐殺の原因となった。この土地が予想された量の小麦を生産できなかったことが、ホロコーストの直接の原因となった。"

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#1レスチナ(ガザ地区ハマス大規模攻撃「アルアクサの洪水」・154日目②)

パレスチナ自治区ガザ地区への人道支援物資を載せた船が、地中海の島国キプロスを出発した。

国際NPO「ワールド・セントラル・キッチン(WCK)」が12日に発表したところによると、ガザへの物資が海上輸送されるのは初めて。

スペインのNGO「オープン・アームズ」の難民救助船が同日朝、米や小麦、豆、肉の缶詰など200トン近い食料を積んだはしけを引いてガザに向かった。アラブ首長国連邦(UAE)とキプロスも協力している。

これに先立ち、欧州連合(EU)の欧州委員会と米国、UAE、英国が、ガザに支援物資を届ける海上回廊」を設置すると発表していた。

ガザで積み荷を陸揚げするために、仮設の桟橋が用意される。場所などの詳細は公表されていない。

WCKは昨年10月以降、400人近い現地スタッフと協力して、ガザに3500万食分あまりの食料を届けてきたという。

イスラエル軍の攻撃と封鎖で飢饉(ききん)に瀕しているパレスチナ自治区ガザへ海上ルートで食糧を運ぶ試みとして、第一便の船が12日未明、キプロスのラルナカ港から出航した。

ガザに援助物資を海上輸送する計画は、アラブ首長国連邦(UAE)が資金面をほぼ全て負担し、米国を拠点とする慈善団体「ワールド・セントラル・キッチン(WCK)」が実施に向けて調整。船はスペインの慈善団体「プロアクティバ・オープン・アームズ」が提供した。

「オープン・アームズ」号は、小麦粉やコメなど約200トンの食糧を積んだ艀(はしけ)をけん引して出航。キプロスからガザ北西までの距離は約322キロメートル通常なら所要時間は15時間程度だが、大量の食糧を運ぶため最大2日かかる可能性がある。

WCKの創設者ホセ・アンドレス氏と最高経営責任者のエリン・ゴア氏は声明で「われわれの目標は、何百万食もの食糧を積んだ船がガザに向けて継続的に航行する海上ハイウェイを確立することだ」と述べた。キプロスでは、さらに500トンの援助物資を輸送する準備を整えたとしている。

米軍も、人道支援物資を積んだフランク・S・ベッソン・ジュニア大将級兵站支援艦がガザに向かっていると明らかにした。

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中東などを管轄する米中央軍は9日、ガザ沿岸での桟橋建設に使う最初の機器や資材などを積んだ米陸軍の兵站(へいたん)支援船が米バージニア州ラングレー・ユースティスウェーデン統合基地を出港したと発表した。

#1レスチナ(ガザ地区ハマス大規模攻撃「アルアクサの洪水」・156日目①)