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御立尚資の「経営レンズ箱」波、潮流、そして自己責任

 一方、日本の政治システム、社会システム、そして企業は、これまでのパラダイムの中での漸進的変革だけに汲々として、大きな変化にとても対応できるようになっていない。これも多くの人に共有されていた感覚だろう。変化の予感と対応力不足の認識。これが、社会全体の閉塞感や将来への不安感につながっていたような気がする。

 昨今の政治の世界でのドタバタ劇だけではなく、日本の政治システムの機能不全が語られて久しい。特に、リーダーを鍛える場の欠如が顕著であること、政策の合意・実行よりも政局が優先すること。この2点については目を覆うばかりだ。過去の様々な問題を忘れて、「これなら中選挙区、自民党派閥政治全盛期の方がマシだった」などと、ついつい考えてしまいがちだ。

自動車、家電といった商品を購入する中心層が「新興国の“これから中流になっていく”人々」にシフトするという潮流は否定しがたい。

彼らに適した商品を、彼らが買える価格で提供するモデルは、現地生産(場合によっては現地開発)ということになる。

 こう考えていくと、大きな潮流の中で、日本の輸出のほぼ半分を占める輸送機器・電気機器といった商品は、企業の競争力を担保していくうえで、これまで以上に海外生産比率を上げていくことになろう。

 企業側の努力でこれまで成功を収めてきた、「輸出立国」という国家の基本コンセプトが大きく揺らいでいる。この中で今、日本企業とそのリーダーに求められているのは、(日本企業が海外生産で生き残るというレベルを超えて)日本という国のこれからのあり方を形作っていくうえで、企業がどのような役割を果たしていくのか、必死になって考え、かつ日々の経営の中で実行していくことなのではなかろうか。

金融セクターだけでなく、実体経済側の企業も、海外への投資から生まれる収益を徹底的に向上させ、日本に還流させる仕組みを作り上げる。

 日本企業とそのリーダーがこういうふうに向かっていけたら、あるいは、私自身もそのほんの一部でもお手伝いできたら、といったことを考え続けている今日この頃だ。

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