https://d1021.hatenadiary.com
http://d1021.hatenablog.com

ポピュリズムの罪

 外国と日本との違いはポピュリズム対する姿勢の違いだと私は思う。この国ではメディアと捜査機関と政治がポピュリズムに狂っているのである。まずは大衆に迎合するメディアがある。部数を競い合う新聞と視聴率を競い合うテレビは、複雑な問題をいかに大衆に受け入れられやすいストーリーに仕上げるかに力を入れる。弱者の側に立って権威ある者を叩くストーリーが最も大衆に受ける事をメディアは良く知っている。

 メディアの大衆迎合路線にすぐ乗るのが政治と検察である。エイズ騒ぎの最中に就任した菅直人厚生大臣(当時)は抗議活動をしていたエイズ訴訟原告団を省内に招き入れ、「倉庫に隠されていたファイルを発見した」と言って「謝罪」した。しかしファイルは倉庫にあっただけで別に「隠されていた」ものではなく、「謝罪」する意味も不明だった。しかしパフォーマンスしか考えない政治家によってエイズの「悲劇」は「事件」へと捻じ曲げられる。


 国会の証人喚問は常に質問する政治家のただのパフォーマンスに過ぎず、問題を解明した事など一度もないが、安部氏に対する議員たちの質問は、頭から安部氏の責任を問うだけで、エイズについての科学的見地からの質問は全くなかったとこの本は書いている。中でも枝野幸男議員は「今度、東京地裁刑事部でお会いするのを楽しみにしています」と捨て台詞を吐いて質問を終えたという。

ロッキード事件が政治家を志すきっかけだったという菅総理はいわばポピュリズムの申し子である。