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【賢者に学ぶ】「この道しかない」という狂信…歴史の背後にあるもの 哲学者・適菜収 - 産経ニュース

 世界最高峰の物理化学者マイケル・ポランニー(1891〜1976年)が哲学者に転向した理由は、「なぜ世界は不幸になったのか」を明らかにするためだった。1935年、ポランニーは共産主義の理論派ブハーリンにモスクワで会いショックを受ける。その言動の中に、「機械論的(テクニカル)な人間観や歴史観(『暗黙知の次元』)を見出したからだ。


 ナチスソ連全体主義は、自由を抑圧し、非道徳的態度を貫いたが、ポランニーはその根本に自由主義と道徳主義が存在すると指摘する。これはどういうことか?


 近代啓蒙(けいもう)主義は教会の権威を弱体化させ、実証主義および科学的懐疑主義はすべての超越的価値の正当性を否定してきた。権威が引き摺(ず)り下ろされた結果、虚無主義ニヒリズム)が蔓延(まんえん)する。こうして懐疑主義は物質的必然性を唱えるしかなくなった。一方、自由主義により伝統に裏打ちされた道徳は崩壊したものの、キリスト教に起源を持つ道徳的熱情や憎悪は消え去ることはなかった。


 この両者が不幸にも結合したところに「新しい形の狂信」すなわち共産主義全体主義が発生したのである。


 彼らはどこで大きく間違えたのか。それを解明する鍵になるのが、暗黙知という概念だ。


 ポランニーは、「私たちは言葉にできることより多くのことを知ることができる」と言う。たとえば人間は、知人の顔とその他大勢の顔を区別する能力を持っている。しかし、どのようにして顔を見分けているのかは言葉に置き換えることができない。このように意識の表面には上らないが「知る」という作用に背後で決定的な影響を及ぼしているのが「暗黙知」である。化学や心理学の実験データなど厖大(ぼうだい)な例証を挙げた上でポランニーはこう述べる。


 「世に謳(うた)われた近代科学の目的は、私的なものを完全に排し、客観的な認識を得ることである。(中略)しかし、もしも暗黙的思考が知(ナリッジ)全体の中でも不可欠の構成要素であるとするなら、個人的な知識要素をすべて駆除しようという近代科学の理想は、結局のところ、すべての知識の破壊を目指すことになるだろう」(同右)


 近代啓蒙主義とは、理性や明示的なものを信仰し、説明不可能なものを「迷信」と斬り捨てる運動であった。科学的歴史法則が存在するなら、それに従うことが「正義」となる。その成れの果てに登場した「絶対的な知的自己決定」という発想が地獄を生み出したのは歴史を振り返れば明らかだ。


 知は単なる情報の集積ではないし、人間理性には限界がある。科学的記述でさえ社会的権威と信任に基づいていることを考えれば、ポランニーがエドマンド・バークに言及しながら、節度ある自由、聖なるものに対する配慮を説いた理由がよくわかる。保守的であること、伝統を重んじることは、思想的哲学的にもっとも誠実な態度なのだ。ポランニーは言う。


 「伝統主義とは認識する前に、さらに言えば、認識できるようになるために、まずは信じなければならぬと説くものだ。するとどうやら伝統主義は、知識の本質や知識の伝達に対して科学的合理主義などよりも深い洞察を携えているらしい」(同右)


 知に対する浅薄な理解が「この道しかない」という狂信を生み出すのである。

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