吉野氏は、長野県の出身で昭和16年に外務省に入り、昭和46年からおよそ1年半の間、当時のアメリカ局長を務め、沖縄返還交渉を担当しました。その後、外務審議官や西ドイツ大使などを歴任しました。
吉野氏は昭和47年の沖縄返還の際、本来、アメリカが負担すべき基地撤去後の原状回復費用を日本が代わりに支払ったとする「密約」があったことを当時の政府関係者として、後に初めて認めました。
そして、平成21年には「密約」を巡る裁判に、証人として出廷し、密約の存在を裏付けるとされる外交文書に、みずからのイニシャル「BY」で署名したことを証言しました。
吉野文六氏は、日米の「密約」問題を検証する有識者委員会が報告書を出した平成22年3月、NHKのインタビューに答え、「密約」を認める証言をした理由について「歴史に対してうそを言っちゃいけない。長い目で見てうそを言うような国には国民はついていけない」と話していました。またみずからがイニシャルでサインした「密約」を裏付けるとされる外交文書がアメリカで公開された一方、日本では見つからなかったことについて、「日本の場合、必要のないものは情報を知る必要もないし、知らせてはいけないという形で仕事をしてきた。官僚組織の中には排他的なものがある」と話し、外務省に対し、外交交渉について適切に記録を残すよう求めていました。