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鈴木敏文氏、流通人生・退任劇・将来を語る(上)|Close-Up Enterprise|ダイヤモンド・オンライン

──名誉顧問となり、本社から新しいオフィス(ホテルニューオータニ・オフィス棟)に移りました。仕事のペースは変わりましたか。


 今のところ、これまでよりも忙しいくらいですよ(笑)。取引先をはじめとする付き合いのある人たちが、あいさつに来たりしているから。朝はだいたい午前8時半に来ているし、夜はお客さんがいなければ早く帰るけれど、生活自体はあまり変わっていませんね。


 会社からの報告はある場合とない場合がありますよ。とはいえ、こちらから積極的に言うことはありません。


──新しいオフィスの場所は鈴木さんが決めたのですか。


 いや、後藤(克弘副社長)とかが、「この場所はよさそうだからどうですか」と言うので決めました。どこでもよかったのですが、ホテルの方が何かと便利でしょう。

業界にいろんな矛盾があるんじゃないか、開拓されていない点があるんじゃないかと自分で考え、挑戦してきました。

──コンビニエンスストアを日本に根付かせました。


 きっかけは、ヨーカ堂の出店に、地元商店街から猛烈な反発があったことです。大型店が出店すれば小型店の存立が危うくなるというのが理由だったのですが、もっと根本的に考えると、小型店が時代の変化に対応できていなかった。だから、変化に対応すれば共存できるという発想ですよ。


 そんな折、米国視察でセブン−イレブンに出会った。帰国して資料を見たら、当時のサウスランド社は約4000店を運営して利益を上げ、米国の大手小売業に負けていなかった。そこで提携し、ノウハウを得ようとマニュアルを翻訳してみたら、清掃の仕方とかしか書いていなかった(笑)。


 だけど、提携した以上、ロイヤルティーの支払いもある。だったら時代の変化に対応できる店を作ろうと考え、試行錯誤の末に鍋釜や食品、雑貨などをそろえた小型店をオープンさせたのです。


──コンビニは時代の変化に対応できたから成長したのですね。


 そうです。でも、これからも時代の変化に対応できないと駄目になりますよ。みんな言うんですよ。「コンビニの時代も終わった」とか。そうじゃないんです。時代の変化に対応すればいいだけ。業態の問題じゃないんだよ。


──「変化対応」の考え方はどこから生まれたのですか。


 それは、歴史を見りゃ分かるでしょう。昔から世の中は常に変わっている。従って、従来の延長線上のままでいては駄目なんです。コンサルタントなどは、よく、過去の現象を引き延ばして物事を考えます。僕はそれでは駄目だと言っている。セブン−イレブンの立ち上げのときに僕が言ったことは「絶対にイトーヨーカ堂のまねをしちゃいけないよ」と。


 私の哲学というか、常に頭にあるのは、あらゆるものには寿命があるということ。チェーンストア理論も駄目になるでしょう。

──その発想の先にあるのがオムニチャネル戦略なのですか。


 オムニチャネルと皆が言いますが、僕が目指すのはどこにもない取り組みです。インターネットとリアルの融合といっても、多くの場合は、メーカーの商品を集める単純なものばかりです。


 僕の考えは、コンビニや百貨店、専門店、スーパーなどグループの多様な資源を使って商品を作り、ネット上で販売すること。それに加えて、メーカーの商品も扱う。ここまでできると、世界に例のない取り組みになります。


──商品作りまで手掛けることが重要だということですね。


 そう。でも、今後うちができるかどうか分かんないよ。だって、僕が引いちゃったから。


 今、百貨店やスーパーが苦しいのは、どこも同じ商品を売っているからです。なぜなら、問屋が同じだから。では、今成長している企業はどこですか。衣料品はユニクロ、家具はニトリ。全部、自主マーチャンダイジング(MD)をやっています。そして、最初におにぎりや弁当などの自主MDを始めたのがセブン−イレブンですよ。


 だから、人任せにしては駄目。新しい業態や、新しい消費を作り続けないといけない。そんなことは本を読んでも書いていない。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160710#1468147223
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160708#1467974351
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160425#1461580646

#ユーザーイン

鈴木敏文氏、流通人生・退任劇・将来を語る(下)|Close-Up Enterprise|ダイヤモンド・オンライン

──後継者については、どう考えていたのですか。


 自分は年も年だし、若い人にということを考えていた。そうしたところに息子(鈴木康弘取締役)が入社してきた。そうしたら、息子に譲ると周囲から見られるようになった。


 冗談じゃない。資本と経営の分離について、僕は散々強調してきた。(世襲は)考えてもいない。息子は隣に住んでいるけれど、仕事の話はしたことがない。


 (息子が取締役になったのは)「ネットのことが分かるのは、工学部出身で、富士通ソフトバンクでの勤務経験がある彼しかいない」と周りが言うから。「それだったら」とやらしただけで、僕が引き立てたわけではない。


 (今回、会長を辞任したのは)自分の考え方や方針と違うことを周囲に言われて、「もう、俺の出る幕じゃないな。勝手にしてくれ」と感じたんだ。だから、僕はぽっと辞めることを決断した。みんなに反対されたけどね。


 顧問として残ることも、もともとは白紙だった。記者会見で後継者について聞かれ、「僕は後継指名には参加しない」と答えたが、あれは本当の気持ちだったんです。


──顧問として会社に残ることも嫌だったのですか。


 このまま残っていたんじゃ駄目だなと思っていた。中途半端なことは嫌だったから。結局、顧問として残ると決めるまでに2カ月近くかかったけれど、なぜ残ったのかといえば、取引先から「流通業界に残っていてもらわないと困る」と言われたからです。


 また、セブン−イレブンのオーナーさんからも「あなたを信用して加盟したんだ」という声を頂きました。顧問も受けず去ろうと思っていたけれど、こういう形で残ることになりました。


──それまでの過程は、大きな騒動になりました。


 みっともないなと。僕は(会長辞任の)記者会見をしたときに、こんな大きな問題になると思っていなかった。新聞の隅っこに、記事が出るくらいだと考えていた。


 でも、辞めるにしても、本当のことを言っておかないと、「悪いことをしたから辞めたんだ」という臆測が出てしまいかねない。だから、顧問の2人に一緒に会見に出てくれと頼んだんだ。

──後輩たちにはどんなメッセージを伝えたいですか。


 変化を常に見ていなさいということだね。業界を見ることもいいけれど、世間の変化を知ることが大切です。


 僕は売り場や商品の仕入れやレジ打ちの経験はなかったけれど、歴史やマスコミのニュースなどを通して、世の中の変化や、そのときの人間の心理に関心を持つことを常に意識してきたから。


──今後の流通業界はどう変わっていくと思いますか。


 世の中がどう変わっていくかなんて、軽々には言えません。時代の変化をいち早く捉え、ぱっと変わり身ができるかどうか。そうした訓練を普段からやっている企業が残るのではないでしょうか。

【解説】

セブン&アイは連結営業収益6兆円を超す巨大流通グループへと成長した。だが、個々の事業会社の業績に目を転じると“優等生”はコンビニエンスストアと銀行だけ。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160509#1462790468
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160407#1460025475