https://d1021.hatenadiary.com
http://d1021.hatenablog.com


ウクライナ情勢をめぐって欧米と対立するロシアは、旧ソビエトベラルーシとともに4年に1度の大規模な合同軍事演習を行っていて、欧米側は演習の規模や内容が不透明だとして警戒を強めています。


こうした中、アメリカやイギリスなどNATO加盟国とウクライナの合わせて15か国が今月8日からウクライナ西部のリビウ州で合同軍事演習を行っていて、19日、その様子が公開されました。


演習には過去最大規模のおよそ2500人が参加していて、演習場では、アメリカ軍とウクライナ軍の軍用車両が共同で展開する訓練や、敵の攻撃で負傷した兵士をヘリコプターで救急搬送する訓練などが行われました。


ロシアは4年前の演習のおよそ半年後に、ウクライナ南部に部隊を派遣してクリミアを併合しました。ウクライナ軍のミロノビッチ中佐は「仮にロシアが何らかの計画を実行に移そうとするなら、演習に参加した各国は、ウクライナなど東ヨーロッパの国々を全力で支援する用意がある」と述べ、ロシアの動きをけん制しました。

#NATOexpansion


ソビエト軍の中佐だったスタニスラフ・ペトロフ氏は、1983年9月、モスクワ近郊でアメリカの核ミサイル攻撃を警戒する任務についていた際、5発のミサイルがソビエトに向けて発射されたという警報を確認しました。


しかしペトロフ氏は、ミサイルの数が少ないことから監視システムが誤作動した可能性があると判断し、あえて上官に報告しなかったということです。


警報は誤作動だったと判明したものの、東西冷戦で緊張が続く中、仮にペトロフ氏が上官に報告していれば、ソビエトが報復として核攻撃を行った可能性もあり、ペトロフ氏の行為は「全面的な核戦争の勃発を防いだ」として、ソビエト崩壊後、注目されるようになりました。


ペトロフ氏自身は軍の規約に反して報告を怠ったとして批判され、出世の道を絶たれましたが、その後、世界的に知られるようになり、2014年にはペトロフ氏をモデルにしたドキュメンタリー映画も公開されています。


当時の心境についてペトロフ氏は、2013年のBBCのインタビューで「判断から23分後、何も起きていないことがわかり、とても安心したことを覚えています」と語っていました。複数の欧米メディアによりますと、ペトロフ氏はことし5月、モスクワ近郊の自宅で亡くなったということです。77歳でした。