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本庶さんは、NHKのインタビューに対して、これまでの研究を振り返り、「自分が何を知りたいか、はっきりしていないと研究というものはぶれてしまう。何ができるかでなく、何が知りたいかであって、できることばかりやっていると目標を見失う。常に何が知りたいか問いかけながら研究をやってきた」と述べました。

また、受賞に結びついた信念として「教科書がすべて正しかったら科学の進歩はないわけで、教科書に書いてあることが間違っていることはたくさんある。人が言っていることや教科書に書いてあることをすべて信じてはいけない。『なぜか』と疑っていくことが大事だと思っている」と話していました。

そのうえで、基礎研究を積み重ねてきたみずからの成果を踏まえて「基礎研究というのは一般的に地味で、直接患者さんを治療をするわけではありません。ただ、医者として治療できる人数は何百人か何千人ですが、基礎研究で、このような結果が出たときは何百万人という人を救えるし、自分が死んだ後も続くわけですから、そういう意味では基礎研究はすばらしいと思う」と述べ、その意義を強調していました。

たまにではありますが、この治療法によって重い病気から回復して元気になった、あなたのおかげだと言われるときがあると、本当に私としては自分の研究が本当に意味があったということを実感し、何よりもうれしく思っております。

そのうえに、このような賞を頂き、大変、私は幸運な人間だというふうに思っております。

Q:自分が心がけていること、モットーは?

「私自身は、研究に関して、何か知りたいという好奇心がある。もう1つは、簡単に信じない。それから、よくマスコミの人は、ネイチャー、サイエンスに出ているからどうだ、という話をするが、僕はいつもネイチャー、サイエンスに出ているものの9割はうそで、10年たったら、残って1割だと思っています。まず、論文とか、書いてあることを信じない。自分の目で、確信ができるまでやる。それが僕のサイエンスに対する基本的なやり方。つまり、自分の頭で考えて、納得できるまでやると言うことです」

「賞というのは人が決めることで、それは賞を出すところによっては考え方がいろいろ違う。ひと言で言うと、私は非常に幸運な人間で、『PD-1』を見つけた時も、これが、がんにつながるとは思えなかったし、それを研究していく過程で、近くに、がん免疫の専門家がいて、私のような免疫も素人、がんも素人という人間を、非常に正しい方向へ導いていただいたということもあります。それ以外にもたくさんの幸運があって、こういう受賞につながったと思っています」

Q:日本の研究の方向性についてどう思うか? また、日本の製薬企業についてどう感じているか?

生命科学というのは、まだ私たちはどういう風なデザインになっているかを十分理解していない。AIとか、ロケットをあげるというのはそれなりのデザインがあり、ある目標に向かって明確なプロジェクトを組むことができる。しかし、生命科学は、ほとんど何も分かってないところで、デザインを組むこと自身が非常に難しい。その中で応用だけやると、大きな問題が生じると私は思っています。つまり、何が正しいのか。何が重要なのかわからないところで、『この山に向かってみんなで攻めよう』ということはナンセンスで、多くの人にできるだけ、たくさんの山を踏破して、そこに何があるかをまず理解したうえで、どの山が本当に重要な山か、ということを調べる。まだそういう段階だと思います。あまり応用をやるのでなくて、なるべくたくさん、僕はもうちょっとばらまくべきだと思います。ただばらまき方も限度があってね、1億円を1億人にばらまくと全てむだになりますが、1億円を1人の人にあげるのではなくて、せめて10人にやって、10くらいの可能性を追求した方が、1つに賭けるよりは、ライフサイエンスというのは非常に期待を持てると思います。もっともっと、たくさんの人にチャンスを与えるべきだと思います。特に若い人に」

「製薬企業に関しては、日本の製薬企業は非常に大きな問題を抱えていると思います。まず、数が多すぎます。世界中、メジャーという大企業は20とか30くらいですが、日本は1つの国だけで、創薬をやっているという企業だけで30以上ある。これはどう考えても資本規模、あらゆる国際的なマネジメント、研究で、非常に劣ることになる。なおかつ、日本のアカデミアには、結構いいシーズ=研究の種があるのに、日本のアカデミアよりは外国の研究所にお金をたくさん出している。これは全く見る目がないと言わざるをえないと思います」

Q:研究者を目指す子どもに思ってほしいことは?

「研究者になるということにおいていちばん重要なのは、何か知りたいと思うこと、不思議だなと思う心を大切にすること。教科書に書いてあることを信じない。常に疑いを持って、本当はどうなってるんだ、という心を大切にする。つまり、自分の目でものを見る。そして納得する。そういう若い小中学生にぜひ、研究の道を志してほしい思います」

Q:製薬企業があげた利益を大学などに還元することについて?

「今回の研究に関して製薬企業は全く貢献していません。それはもう非常にはっきりしています。企業側は特許に関して、ライセンスを受けているわけですから、それに関して十分なリターンを大学に入れてもらいたいと思っています。そのことによって、私の希望としては、京都大学で次世代の研究者がそのリターンを元にした基金に支えられて育っていく。その中から、また新しいシーズ=研究の種が生まれる。そして、それが日本の製薬企業に再び帰ってくる。そういうよいウィン=ウィンの関係が望ましいと、製薬企業にも長くお願いしている」

Q:本庶先生は特別厳しいと学生から聞くが、今後も厳しくやっていく?

「他の人と自分を比べていないので、自分が厳しいのか分からないが、真実に対して厳しいのは当たり前で、間違えではないか厳しく問う、何が真実か問う。研究では、常に世界の人たちと戦ってきたつもりですから、戦うには厳しくないと戦えないです」

Q:以前、高校生向けのシンポジウムで本庶さんが『基礎研究を徹底的にやっているから、失敗は絶対しない』とおっしゃっていましたが、その考え方はいつごろから?

「ことばを間違えて欲しくないのだが、実験の失敗は山ほどあります。しかし、大きな流れが進んでいて、『こうだ』と思っていたら断崖絶壁に落ちてしまった、というのはなかったと申し上げた。それは、崖に行く前に気付かないといけないという意味です。サイエンスというのは、だんだんと積み上がっていくんです。積み上がっていくときに、端と端をつなぐというのは危ない。この間に、たくさん、互い違いつないでいくことで、その道が正しいかどうかがわかる。そういうことを申し上げたわけです」

https://d1021.hatenadiary.jp/entry/2018/10/02/200108(木村草太)
https://d1021.hatenadiary.jp/entry/2018/09/28/200152(『憲法学のゆくえ - 諸法との対話で切り拓く新たな地平』)

 ノーベル医学・生理学賞の受賞が決まった本(ほん)庶(じょ)佑さん(76)は、日本の生化学分野の権威だった故早(はや)石(いし)修(おさむ)・京都大名誉教授に師事した。数多くのノーベル賞候補を生み出した京大・早石研究室において、本庶さんの受賞決定は、日本を代表する頭脳集団が待ち望んだ吉報になった。

 「早石先生にお礼を言いたい」。本庶さんは1日の記者会見で亡き師に思いをめぐらせた。

 多くの人を助ける医師になりたいと京大医学部に進み、2年生で早石研究室の門をたたいた。「研究は国際的に」「論文は疑え」。早石さんから研究者としての心構えをたたき込まれ、海外留学は当たり前という雰囲気の中で、研究には国際的評価が必要という考えが身についた。

 「早石研は、世界の第一線の研究を意識できる研究室だった」。早石研の門下生で、本庶さんの9歳上の先輩にあたる畑中正一・京大名誉教授(85)は振り返る。畑中さんもウイルス学研究の第一人者としてノーベル賞候補にあがるほか、多くの早石研の先輩や後輩が、同賞の候補に名を連ねた。

 畑中さんが一番印象に残っているのは、ほぼ毎日開かれた「ランチセミナー」。昼食を持参し、当番の研究生らが最新の論文を取り上げ、着想や方針、結論に導く過程について討論する勉強会だった。早石さんが、米国留学中時代の恩師、アーサー・コーンバーグ博士(1959年ノーベル医学・生理学賞受賞)から学んだ取り組みだ。「みんなこのセミナーで鍛えられ、いろんな意味で研究に役立ったはず」と畑中さんは話す。

 一方で、畑中さんや本庶さんら門下生らを次々と海外へ送り出した。畑中さんは、昭和42~55年、平成6~11年ごろの2度にわたり米国で研究。その間、本庶さんも米国で研究していた時期があった。

 約25年前から、早石さんを中心に畑中さんや本庶さんら京大関係者で、年に数回、当番が持ち寄ったワインを楽しむ「輪飲(わいん)会」を開催。早石さんが平成27年に95歳で亡くなった後も行われており、いまも門下生としてのつながりは続く。

 「受賞にふさわしい人物がノーベル賞を取った」。畑中さんは後輩の快挙を喜びつつ、こう語る。「僕たちはノーベル賞を目指して研究を始めたわけじゃない。早石先生に研究者のあり方を教わり、それぞれの分野で伸びた。それだけです」

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