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 さて、この「物ぐさ太郎」譚にかんする従来の研究で議論が続いている最大の問題は、説話の前半と後半で「物ぐさ」から「まめ」へと劇的な性格変化を遂げる太郎の性格の理解である。信濃では類のない物ぐささであった太郎は、京都への旅立ちによって、一転して「まめ」な性格を顕在化させる。京都では、彼は一転して「すこしもものくさげなるけしきもなし」という働き振りで、「是程にまめなるものはあらじ」といわれるまでに変身したのである。このような太郎の唐突ともみえる変身をどのように統一的に理解すべきか、それが従来の国文学の側からの研究にとって最大の問題であったのである。

第二の理解として根強く維持されているのが、物くさ太郎の宗教性を重視する捉え方である。それは、物くさ太郎の異常な性格や行動原理を、彼が神すなわち善光寺如来の申し子であることに求める立場であり、いってみれば物くさ太郎の異常な「物くさ」「欝」の性格とその転変を「聖」を中心にして理解する立場である。

 たしかに、物ぐさ太郎の神格は、「神」「聖」というには、あまりにも矮小なものであるかもしれない。しかし、もし、人がそのような神は「神」「聖」の名に値いしないというならば、『神道集』の「人となって苦しむ神々」のほとんどは宗教世界から追放されることになってしまうのである。

https://d1021.hatenadiary.jp/entry/20180303/1520073504(「芳村氏は大中臣の後裔にして、神道の家系に属し、異日千載不伝の神道を継ぎ、これを天下に明らかにすべし」)
https://d1021.hatenadiary.jp/entry/2018/10/18/200210八角理事長と貴乃花ではどちらが力量上かといえば、間違いなく貴乃花の方が数段上。弱い方が強い方を数を頼んでいびり出している図。醜悪そのもの。取材歴長い解説者たちは、これまでと今後の貸し借りを考えて、長いものに巻かれろーをやっている。貴乃花を引退に追い込むような相撲界は逆転している)

ほと - Wikipedia

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なぜ母イザナミのホト(陰部)を焼いて彼女を死に至らしめたのですか?また、母殺しの罪を背負いながら一方で生産の神々を生む契機となっているのはどうしてですか?

火之迦具土神は、火+かぐ+ち=火+輝く+ち(威力のある霊)です。火の力は、土を土器に焼きあげ、食料を食事に適したものに変え、鉄を剣に変えてくれます。こうした偉大な力をもつ火は、古代人にとって、神とされるに十分な資格を持っているでしょう。神とされる存在は、他方では、危険や厄災をもたらします。海神、雷神、水神、みな荒振れば、人に害があります。そこで神として祀り、ねぎらい、和らげるのです。火の神が産まれた時、その母が火傷を負うことなしに描かなかった我々の祖先は、大変なリアリストです。そして母の本質とは、次代に命をつなぐことにあるという考えかもしれません。
ここからは推測です。天に返るために、火で焼かれる必要があったのかもしれません。クマ送りの熊をカムイモシリに還す時、子羊の燔祭も火で焼いて、天に送ります。今でも中国文化圏では、死者に紙の家やお金を燃やして、送り届けます。今の日本人も、火葬で、死者が煙となって天に上ると考えている所があると思います。

カグツチには書紀に火産霊(ほむすび)の別名があります。イザナミの死を怒ったイザナギカグツチを斬り殺し、雷神、刀剣の神が産まれます。ここには、「むすび」の、自らが死んで多くの命を生み出すという意味があります。

香具山の土は、国の生成のもと。という埴安姫の言葉は、カグツチと関係しているのかもしれないと思います。埴、陶土を火にあて、八十平かの器を作り、神を祭ったという話です。

https://d1021.hatenadiary.jp/entry/2018/10/27/200110

物くさ太郎 - Wikipedia

垢にまみれた物くさ太郎を風呂に入れてやると見まごうばかりの美丈夫に変貌する。噂を聞きつけた帝と面会すると太郎が深草帝の後裔であることが明らかになり信濃の中将に任ぜられ故郷に下向した太郎は子孫繁栄し、120歳の長寿を全うした。

死後、太郎は「おたがの大明神」(穂高明神あるいは松本の多賀明神と思われる)、女房は「あさいの権現」として祭られ人々に篤く崇敬された。

穂高神社 - Wikipedia

若宮相殿:信濃中将(しなのちゅうしょう) - 御伽草子のものぐさ太郎のモデルとされる。

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標高2931メートルの明神岳は、かつて「穂高大明神が鎮座する山々」という意味で、穂高連峰全体をさす言葉として使われていたといいます。かつて上高地へは徳本(とくごう)峠を越えて入山するのが常であり、穂高神社奥宮の祭られた明神は峠を越えた到着点として、この地を見た人々は神々しく見つめて崇拝したにちがいありません。「上高地」とは現在の明神を指しての言葉とも言われています。
現在の明神岳は、前穂高岳から張り出した尾根の一つを称しますが、ふもとの明神には穂高神社奥宮が祭られ現在も多くの人々に信仰されています。

明神の由来と穂高神社

三年寝太郎 - Wikipedia

寝太郎は3年間ただ眠り続けていたのではなく、いかにして灌漑を成し遂げ、村を旱害から救うかということを考えていたのであった。

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