自然科学の論文では手法→結果→考察のステップで、結果は「その手法から入手可能なデータ」しか書けないので誰がやっても(ほぼ)同じになりますが、そのデータを元にした考察は個々の主観を排除できませんし、「そのデータから論理的に導かれる結論」が複数になることもあります。
— さときち (@sato_sato_kichi) 2019年3月24日
だからその複数の結論(=次段階の仮説)を検証する追加実験の必要性を述べて終わる論文も多いんですが、なのでちょっと違和感を感じました。
— さときち (@sato_sato_kichi) 2019年3月24日
確かに個人経験は初発の契機ですが、ただその個人の多様な経験が広く学術世界に反映することは重要な意味があります。分析は総合されなければ叙述に展開しませんが、分析論文を超えた総合叙述には再び個人経験が関わってきます。歴史学はそういう全身的学問で、それが歴史学の説得性に関わると思います
— 保立道久 (@zxd01342) 2019年3月24日
歴史学において個人の経験はどういう意味をもつかという場合、個人経験によって分析結果が相違するということがあってはならないのは当然のことである。分析結果は個人経験から離れたものでなければ科学ではない。個人経験はいくら重要であってもそれはまずは初発の契機として相対化されねばならない。
— 保立道久 (@zxd01342) 2019年3月24日
しかし歴史学にとって個人経験は極めて重要である。個人の多様な経験が広く学術世界に反映することは重要な意味がある。分析は総合されなければ叙述に展開しない。分析論文を超えた総合叙述には再び個人経験が関わってくる。歴史学はそういう全身的学問で、それが歴史学の説得性に関わるのである。
— 保立道久 (@zxd01342) 2019年3月24日
社会史研究はこの問題を正面に押し出した。つまり過去の人々の意識と感情に踏み込んで分析をするさいに、研究者は自分の意識や感情を変換することが要求されるが、それは個人経験を反映する。叙述はさらにその全体を反映する。社会経験をふまえた歴史の研究が必要であり、可能だということである。
— 保立道久 (@zxd01342) 2019年3月24日
d1021.hatenadiary.jp
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届いた本を読むと、antiquarianism という言葉がよく見られる。
E.H.カーは『歴史とは何か』岩波新書で「歴史とは現在と過去との対話である」という言葉を幾度も使用しているでござる。これは過去の歴史というものは、現代の歴史家の未来意識により規定され、またその逆でもある双方向的なコミュニケーションということでござる。極めてアクチュアルでござるね。
歴史哲学という学問分野があるでござる。歴史学が「史実」を探求しそれを実証的に積み重ねであるのに対し、歴史哲学はそもそも「史実」とは何かを疑い、歴史家の主体性と問題意識の「史実」への関わりを問題とするメタ学問でござるよ。歴史哲学の名著では『歴史とはなにか』岩波新書があるでござるよ。
歴史学者が、特定のイデオロギーではなく、過去を背負い、未来に開かれた時間の流れの途上に位置する現代が抱える問題意識に基づいて過去を解釈する時、歴史はより一層客観性に近づく。
「歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話である。」(p. 40)
一般的には、歴史的な事実というと、考古学や日本史の遺跡発掘のイメージで「客観的事実」を宝探しの宝を探すように「発見」し、それを記述したら歴史が出来上がり、という感じがするのだが、そうではない、とカーは言いたいのである。そして「主観的」という言葉が何か悪いものであるかのように考えられがちだが、そうではなく、歴史家の「判断」があって初めて「歴史的な事実」として認められるのだということである。そうすると主観的な判断が入るので「客観的事実はない」「不変の真理はない」と嘆いたり、怒ったり、ぐれたり、すねたりしてしまう人がなぜがいる。それが学問的態度ではない、って言うことなのだ。私たちができることは、限りなく近づこうという態度で臨むことだけだ。
遠山:構想力といいますか、これは数学ばかりでなく、科学ぜんぶがそうだと思います。科学をあまり知らない人は、科学というのはわれわれの世界を写真みたいに写す学問だというように考えている。そういう人が多いのですが、実際は写真みたいな写し方ではない。むしろ、絵に近いです。不必要なものは大胆に捨象してしまう。重点的な点だけつかみだして見ていくんですね。だから、科学的な精神というのは、なにかおのれをむなしくして、写真のカメラみたいにならなければいけないように考えている人が多いようですが、実際は、そうではない。非常に主観がはいるわけです。
直観主義に立つ正義論の最も美しく完成された、そしてその後世への絶大な影響力の点でも最も重要な形態は、言うまでもなくプラトン(427〜347B.C.)の思想に見られる。プラトンの師ソクラテス(469〜399347B.C.)は、「正義に果して自然的基礎ありや」というソフィストの鋭い問題提起を正面から受け止め、各人は、「真知(エピステーメー)」の顕現を妨げているさまざまな邪念妄執(特に「無知の知」)を払拭し、明鏡止水の境地に達することによって、心中に宿る「良心(ダイモニオン)」の謬らざる声に耳を傾け、正邪曲直を弁別する能力を生得的に具備しているという独特の主知主義的倫理学説を説いた。「客観主義」・「主観主義」という二分法に照らしてソクラテスの立場を位置づけるならば、尾高の指摘するように、一種の主観主義的客観主義であり、「主観そのものの中に、時と場合によって左右されることのない客観的原理を求めよう」とする試みであった、と言うべきであろう。プラトンの正義論は、師ソクラテスの理論から出発し、一方で彼の認識論と表裏一体を成すと同時に、他方では、ギリシャ的ポリスの伝統を維持しようとする壮大な企図であった。
夕方の仕事を開始。結局、すべて真淵・宣長までさかのぼらなければならないことを実感している。日暮れて道とおし。神道神学が学界として体系的に詰められてこなかったのだ。神学は信仰するかどうかには関わらず必要な学問だ。キリスト教神学と同じくらいのエネルギーを注いで悪いことはなかったのだ。
— 保立道久 (@zxd01342) 2019年3月24日