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私がツイッターを始めた理由。昨年の国会で「働き方改革一括法案」の規制緩和に反対するために、労働弁護団でいくら国会前や日比谷野音で集会をやり、国会請願デモをやっても 全く世論に響くことはなく、世論を味方につけることができなかったことの反省からです。ネット対策の重要性を痛感しました。

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 ここに知識人の変わらぬ悲哀がある。いくら神学を勉強しても信仰が深くなるわけでもない。あるいはだんだん神から遠ざかるであろう。いくら科学を研究しても、安心立命が得られるわけではない。あるいは自己を喪失することもあろう。魂の感動に基づかねば真の生命を得ることはできない。

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 およそ煩わしく面白からぬことの多い人世において、夜の一時を独り静かに偉人の伝記や好きな書を読み耽るほど楽しいことはない。その時こそ生き返るような感じが身心に満ちてくる。その時こそ高きものへの憧れがひたすらにわが心をうつと共に、彼も人なり我も人なりというような奮発や自負心、来て見ればさほどでもなし富士の山というような高慢な心も時に起きる。しかしまた静かに己を顧みる時、そしてその人々の心境を更に深く思う時、更にその人々の事跡に思いを致す時、やはり偉いわいこの人は、という気持が私を恥じらわさずにはおかぬ。
 ある日、薩摩の若殿原が新納忠元を訪れて、いろいろ学問武道の話を聴きながら、「胆力はいかなる時に据わるのですか」と問うた。忠元は微笑みながら彼等を見渡していたが、静かに口を開いて「御身たちは古聖賢の書または偉人の伝を読んで心の底から感激し、または愉快を感じて胸の中がわくわくする時があろう。その時に胆力が据わるのだ。また戦場に出て場数を踏む中に、いつとはなしに胆力は据わってくる」と話したという。吾人の学問はあくまで実学でなければならぬ。そのためには第一に良き師を求めて日夕深くみずから留意してその言行を観、みずから学び、みずから場数を踏むようにつとめねばならぬ。そして真剣にみずからに引き較べつつその講学を聴くべきである。書を読むにもその精神・境地に深く思いを致し、その事に処する態度を会得すべきである。読んで快心のところに至った時はもちろん、わが欠点を深く突かれた時も、やがて喜びはおのずから心に湧く。そして更に新たな勇気が心身にあふれてくるのを覚える。忠元の言のようにこういう時に胆力は据わるのかも知れない。実に読書は練心でなければならぬ。

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忠元は陣中、火縄の明かりで『古今和歌集』を読んでいたと伝えられるなど、和歌や連歌に関する逸話が多い。

水俣城攻略時、忠元が「秋風に 水俣落つる木ノ葉哉」と詠んで射掛けたところ、敵将の犬童頼安は「寄せては沈む 月の浦波」と詠んで射返した。

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妻に先立たれたときの歌がまた泣けます。
「さぞな春 つれなき老いと 思ふらむ 今年も花の のちに残れば」
(意訳)「春はわしをさぞ、”風情のない老人だ”と思っているだろう。今年もまた、花が散る季節まで生き残ってしまったから」
「つれなき」は「連れ合い(妻)がいない」、そして「花」は妻という意味にも取れ、技巧と心情が合わさった名歌です。

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1. 駒のひづめも匂ふまで、
「道もせに散る山櫻かな。」
しばしながめて、
「吹く風を 勿來の關と思へども」
かひなき名やとほほ笑みて、
ゆるく打たせしやさしさよ。
2. 落ちゆく敵をよびとめて、
「衣のたては綻びにけり。」
敵は見かへり、
「年を經し 絲のみだれの苦しさに」
つけたることのめでたきに、
めでてゆるししやさしさよ。

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ある日、道灌が鷹狩に出かけたところ、急に雨が降ってきました。近くの粗末な小屋で蓑を借りようとしたところ、中から若い娘が出てきて、黙って山吹の花一枝を道灌に差し出します。花を求めたのではないのにと、道灌は娘の真意もわからぬまま怒って立ち去りました。

後でそのことを家臣に話すと、それは、

七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき

という古歌を踏まえたもので、娘は貧乏で道灌様にお貸しする蓑一つもございませんということを、山吹に託してそっと告げたのでしょうと語りました。それを聞いた道灌は自らの無学を恥じ、それ以来和歌に精進し、立派な歌人になったと言われています。

孤鞍(こあん)雨を衝(つ)いて茅茨(ぼうし)を叩く
少女為に遣(おく)る花一枝(いっし)
少女は言はず花語らず
英雄の心緒乱れて糸の如し

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直弼は十三歳から彦根の清涼寺(曹洞宗)の道鳴、師虔、仙英の歴代の和尚に参じ、修禅に励んだと云われています。
 「大徹底の人はもと生死を脱す。何に依ってか命根不断なる――大悟徹底した人は生死を超越する。どうして生死に執らわれない命を得る事が出来るか」

という仙英和尚の問いに、直弼は即座に、
わたつ海の底にはふちも瀬もなくて 水のみなかみ常にたえせず

と答えます。和尚はこの道歌に頷き、偈を与えます。
無根水上の活飛龍
雲を排し霧をひらいて九重を出づ
威気自然畏るる処なし
霊幽未だ窺い窮むることを許さず

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「純真多感な少年時代を大和河内の間に過ごし、日本を大和の国と教えられ、『しきしまのやまと心をひと問わば朝日に匂う山桜花』という本居宣長の歌を心に刻んで育った私は、大和という言葉が好きであった。その後、いろいろと学ぶにつけ、また世間を知るようになって、ますます会心の言葉となってくるのであった」

福岡の勤皇の志士平野国臣が詠んだ和歌、『我が胸の燃ゆる思いに比ぶれば煙は薄し桜島山』

西郷隆盛の、『上衣はさもあらばあれ敷島の大和錦を心にぞ着る』

鬼神も泣かずにはおれないような境遇で、魂が磨かれていった。

一貫唯々の諾/従来鉄石の肝/貧居傑士を生じ/勲業は多難に顕る/雪に耐えて梅花麗し/霜を経て楓葉丹し/もしよく天意を識らば/豈敢えて自ら安きを謀らんや