世の中の人の大半は自分の思ってることをきちんと文章に書けないラジよ。それなのにネットで文字コミュニケーションするんだからお互い理解できないし喧嘩になるラジよね。
— PsycheRadio (@marxindo) 2019年4月3日
【歴史学者亡国論■呉座勇一への公開状(4)】 呉座勇一の発言には、首をかしげたくなるものがある。たとえば、「 在野の研究者へ望むこと 」と呉座勇一は書いている(笑)。 - 山崎行太郎の『毒蛇山荘日記』 https://t.co/LS6OpuqAUR
— 山崎行太郎の毒蛇山荘日記 (@yamazakikoutaro) 2019年4月4日
呉座勇一の文章を読んでいると、対等の立場で論争や議論をしていない。明らかに「官尊民卑」的な上から目線で論争や議論をしている。
今、文化系学問の世界では、政府主導で「 文系学部不要論」とか「文学部解体論 」とかいうものが盛り上がって、現実に次々と文学部などが解体されているが、文系の「学者 」や「 大学院生」等は戦々恐々としているのが実情だ。
私は国文学科教員ですが、ついこの前まで「文学部なんて要らない」、「文学なんて大学でわざわざ教えなくても構わない」、「そもそも文学なんて要らない」というご意見が飛び交っていた状況がまるでウソのような、上代文学一色の2019年4月1日。
— 宮内洋 (@Hiroshi_Miyauch) 2019年4月1日
医者も弁護士も金融も技術も研究も、どんな業界も素人から見れば知識があるのでプロですが、一歩突っ込んだ質問に分かりやすく簡潔に答えてくれる本質まで分かったプロはせいぜい5%くらいだと思います。新人には、常になぜそうしてるのか納得するまで考えて「本当のプロ」になってほしいと思います。 https://t.co/AwwS7RXW8b
— 佐山展生 Nobuo Sayama (@nsayama) 2019年4月4日
宗教的に寛容っていうのは、例えば、みんなで初詣に行こうって時に「自分は宗教的理由で遠慮したい」と言ったら「いいよいいよ」って社会であって、「堅苦しいなあ。そんなに難しく考えないで行こうよ」というのではない。後者を「日本は宗教的に寛容」だと思ってる人が多い気がする。
— まつもと🇫🇷 (@matsuwitter) 2019年4月1日
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