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本郷和人氏(以下、本郷):これは結構難しい話なんです。先日、文春オンラインのインタビュー記事で西尾幹二先生が「物語のない歴史は歴史ではない」というようなことをおっしゃっていたのですが、まさにこのあたりが問題になりやすい。

まず、戦前の歴史は天皇を中心とした物語だったわけです。ところが、それを戦後の歴史は全部否定した。どういうことかというと、「歴史は物語ではない」と物語性をなくしてしまったんです。果たしてそれは正しかったのか。

本郷:高校レベルでは暗記する仕方をしないと大学受験に受からないという現実がありますからね。正直なところ、私は大学入試から歴史の科目を落としたほうがいいと思っています。

本来、大学入試で見るのは頭の柔らかさだと思うんです。理系でいえば、数学は頭の柔らかい人が点を取れる科目です。では文系の頭の柔らかさをどうやって測るか。実は国語で充分なんですよ。論理的な文章を読んでしっかり理解できますかと。

東大の国語の問題を見ると、非常によく考えられています。それさえできれば、文系の学問は何を学ぶにしてもなんでも来い。そうすれば入試に社会科はいらなくなって、子供に暗記を強要しなくて済みます。

本郷:古代から近代まで全部かけ足で教える必要はないから、高校の授業を思い切って変えられることです。「暗記しなさい」から、「なんで君たちは明智が信長を襲ったと思うか?」を十分時間をかけて議論するという授業に切り替えることができる。

その時、先生はMCやコミュニケーターとして議論を適切にさばく。それが先生の仕事になるといいと思っています。ただ、それをやってもらうには先生方に相当勉強してもらわないといけないですよね。日本史だけでなく、政治経済、世界史など、いろんな本を読んで学んでもらう必要があると思います。

本郷:私はここ(東京大学史料編纂所)で長く研究している身ということもあり、まぁ信用してもらえるだろう、と参考文献を挙げない派です。なので、自分の首を絞めるのを承知で言いますが、基本的には参考文献が載っていない本はダメです。参考文献や歴史資料がない本は自分勝手な妄想の世界ですから。

歴史観」というものがどうやってできるかについて話しましょう。歴史を研究するとき、我々研究者はまず、「史実」を復元することから始めます。これはいろんな歴史資料を読んで、どの資料が信頼に足るものかを比較検討しながらおこないます。

たとえば、本能寺の変なら、「100年後に書かれたものと事件がおこった2週間後に書かれたもの、どちらが信頼できる?」「信長の側近で命からがら逃げ出した人が書いたものと、九州の端にいた人が書いたものとどちらが信頼できる?」というようなことです。もちろんリアルタイム性が高ければ何でも信頼できるというわけではなく、少し離れていたほうが真実をつかんでいるという場合もある。そういうことも含めて、「歴史のソース」を一生懸命読み込んでいかないといけない。

これは歴史研究を志す大学院生がまずやるトレーニングです。こうやって、新聞記者が事件のウラを取るのと同じように、歴史のウラを取る。そうすると歴史のひとつの事件の真相が見えてきます。こうしたトレーニングをしないと、古文書や当時の貴族が書いた日記だとかを読み込むのは難しいんです。

次に、「史像」というものがあって、史実をいくつも並べていくと、歴史の流れがわかってくる。なるほど戦国時代ってこういう時代だったんだな、ほかの時代と比べるとこういう特徴があって、そのなかで本能寺の変っていうのはこうやって位置付けられるんだな、ということが見えてくる。史実を復元するには1年くらいかかりますね。そこから史像にたどりつくのは数年必要です。

それを繰り返しながら、戦国時代だけでなくその前の室町、鎌倉時代と比較した時にようやく歴史観というのが生まれてくる。そしてさらに広く、古代・中世・近現代と見ていきながら、歴史観というのを作り上げていく。これは並大抵のことではありません。そう考えると、ひとつひとつの歴史の資料を読み解くことから始めて、自分なりの歴史観を持てるようになる研究者はそうはいないんです。

本郷:昔の偉い先生方は、「死ぬ前に1冊本を書け」とよく言われていたんです。自分の歴史観に基づいて1冊本を書いて、死んでいく。今は大学も成果を求められるので色々本を書くようになりましたが、優秀な歴史学者でも「歴史観」にはなかなか到達できるものではないんです。どうしても時間がかかる。

大学の学部や修士課程でこれ、博士課程ではこれというように、基本的なトレーニングを積んでいるかどうかが重要なんです。基本ができている人はあるところまで行ったら伸びるし、基本ができてない人は途中で息切れする。一握りの天才はそういうことにこだわることはないと思いますが。

本郷:学者では今のところいないんじゃないかな(笑)。偉大な先生はちゃんとトレーニングを積んでいらっしゃるから。それ以外で大きな仕事をしたのはやっぱり、徳富蘇峰幸田露伴森鴎外あたり。でも、彼らは大学人ではなくて、在野の人です。ただ、彼らは私たち現代の研究者以上に漢文や古典に親しんでいます。

本郷:今の歴史小説は、「誰かがこう言っていた」というのを元に組み立てていることが多い。だから、司馬遼太郎だとか海音寺潮五郎の小説を自分の理解のなかで構成し直して出している。そうすると、二番煎じになってしまうんですよね。

私から見ても、司馬遼太郎海音寺潮五郎は歴史資料をちゃんと読み込めていてすごいと思います。やっぱり自分の足で稼いだ情報は強い。

本郷:一応、そういう作りにはなっていますが、勘違いしないで欲しいのは、人が歴史を作るわけではないということです。つまり、織田信長という英傑が出てきたから歴史が動くわけではない。そのときの世の中の動きが織田信長を選ぶということ。時代の要請がその人を輝かせる。本当はそっちなんです。

私たちは信長という人がこれだけ活躍できたということの背景に、そういう関係性を見出したい。そのつもりで織田信長という人を見てみると、信長が何を求めていたのかということも見えてくる。ひと言で言ってしまえば、それはおそらく、平等よりも平和だったんだろうと私は思います。彼は一揆を起こした一向宗を虐殺するなど、平等を否定しつつ、その流れで世の中を進めていった。

ということは、やはり当時の人々は平等を手放しても平和を求めたんだと思います。だから平等が明確な形で姿を表すのは、明治維新が起きる200年後、300年後。それまではとにかく平和が欲しいといって、平和な世の中=江戸時代ができた。それだけみんなが平和を求めていたんですね。

こうやって人間を追っていくことで、時代の流れを追うことができる。それを踏まえて、この本を子供に読んでもらえたらと思っています。

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歴史は「昔、むかし」あった物語である。

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江戸末期から明治の頃であれば、ほとんどの知識人が漢文を勉強していたわけです。夏目漱石にせよ森鴎外にせよ、しっかりした漢文の素養を持っていた。

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私たちの認識は以下の3つの能力を通じて構成されている。

感性:外部データを採取する能力
悟性:感性によって得られたデータを結合して、概念化する能力
理性:完全性(完全なもの)を構想する能力

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