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官房長官閣議のあとの記者会見で、「桜を見る会」の前日に安倍総理大臣の後援会が開いた懇親会について安倍総理大臣および夫人は、乾杯を除いていずれの会場でも飲食を行っておらず、会費は支払っていないということだ。ゲストのようなものだったのではないか」と述べました。

また、民主党政権で開かれた際の推薦者の数について「資料が残っていないため正確に確認できないが、報道によれば各議員に10名から15名の推薦枠があったとの発言や、後援会への招待名簿の提出依頼といった文書も見られた。その中で当時の与党の人数からすれば、4000人から5000人になるんだろうと思う」と述べました。

内閣府が、参議院予算委員会の理事懇談会に提出したのは、ことしの「桜を見る会」の招待者の推薦者名簿のうち、各府省庁などに残っていた3954人分です。

それによりますと、府省庁ごとの内訳は、外務省が891人、内閣府が584人、文部科学省が546人などとなっています。

ただ、氏名と役職が公開されたのは、各府省庁の事務次官や局長といった幹部公務員などだけで、それ以外の「功績者」の欄はほとんどが黒く塗りつぶされています。

これに対し、野党側は、適切に推薦が行われたか検証できないと反発し、すでに廃棄したとしている安倍総理大臣や自民党関係者などからの推薦者名簿の電子データを復元して提出するよう求めました。

さらに野党側は、参議院規則に基づく予算委員会の開催や、会計検査院による検査を求め、与党側は持ち帰って検討する考えを示しました。

立憲民主党蓮舫参議院幹事長は記者団に対し、「なぜ『政治推薦枠』だけがきれいに速やかに廃棄されているのか。疑惑は深まったと言わざるをえない」と述べました。

官房長官は、午後の記者会見で、国会に提出した推薦者名簿について、記者団が「野党側は、大半が黒塗りだったほか、『政治推薦枠』が出されていないと批判を強めているが」と質問したのに対し「理事会からの要請を踏まえ、公文書管理法や個人情報保護法に基づいて、各省庁が保存している名簿について適切に対応している」と述べました。

一方で菅官房長官は「反社会的勢力と見られる人たちが参加しているが、対策が十分でなかったのではないか」と問われ、菅官房長官「結果として、そういう人たちに入られたということは、そのように言われてもやむを得ない」と述べました。

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 聞き手を務めた政治ジャーナリスト・田崎史郎氏が明かす。

「長期政権が続いている要因は幾つかありますが、その一つが人事です。閣内では、麻生太郎副総理、菅義偉官房長官という骨格は政権発足以来、変わっていません。一方で、官邸の官僚を見れば、今井尚哉首相秘書官や北村滋国家安全保障局長を巡る人事が注目を集めています。この人事について、首相に質問をぶつけてみました」

 安倍首相は今年9月、今井尚哉首相秘書官を首相補佐官兼務とし、内閣情報官だった北村滋氏を国家安全保障局長に任命した。今井氏は首相の右腕と言われる最側近官僚で、今回、補佐官兼務となったことで、より大きな権限を握ることとなった。一方、警察庁出身の北村氏が就任したのは、“外務省枠”と見られていた国家安全保障局長のポストだ。一体、首相にはどういう狙いがあったのか。

安倍 私自身は第一次政権の失敗を含め、当時の経験を今回生かしているわけですが、今井補佐官も北村局長も第一次政権では総理秘書官でした。2人ともそもそも優秀な官僚ですが、ちょっとしたミスが政権の根幹を揺るがしかねないという経験も共有しています。長谷川榮一補佐官もそうですが、仕事をしていく上においては、何をどうやるべきか、共通認識を持つことが非常に重要だと思うんです。ただ、彼らは決してイエスマンではありません。みんな私にも、言いたいことはしっかりと言います。それは、かえって気心が知れているから、言いたいことが言えるというのもあるんですよ。

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「本来なら圧倒的に先頭を走っていなければいけないんだけどなあ」(安倍首相に近い自民重鎮議員)。ポスト安倍レースを走る岸田文雄政調会長(62)のことだ。

 首相の意中の後継候補が岸田氏なのはもはや永田町の常識。最大派閥(97人)の細田派を率いる首相の後ろ盾があるだけでも、圧倒的に有利なはずだ。加えて有力ライバルの菅義偉官房長官は失速。自らに近い菅原一秀河井克行両大臣のW辞任で「令和おじさん」の勢いは削がれた。本来、「次はやっぱり岸田さん」との声が高まりそうなものだが、そんな気配は微塵もない。

 永田町の空気は霞が関にも伝播する。大学入試への英語民間試験の導入延期を萩生田光一文科相が発表した11月1日朝、岸田氏は番記者に怒りをぶちまけた。政調会長の私に、事前に何の報告もなかった」。実力政治家への根回しは官僚の基本動作。与党幹部で「次期首相」最右翼ならば、根回しされるのは当然のはずなのだが……。

 そもそも岸田氏には以前から重みがなかった。伝統派閥の宏池会古賀誠元幹事長から譲り受けた時のこと。岸田氏を領袖に指名した理由を若手議員が尋ねたところ、古賀氏は一言、「岸田さんは、私の存在を超えないからね」と吐露した。

 昨年の総裁選での立候補を一時期、模索した岸田氏。派の中堅議員が政策を練り、「理解しやすいように」とA4用紙2枚程度にまとめて渡したが、岸田氏は「難しくて頭に入らない」。中堅は「まじか」と頭を抱えた。

 そんな岸田氏に「神輿は軽い方がいい」とばかりに接近するのは、キングメーカーを目指す麻生太郎副総理だ。11月13日夜に2人は会食。政治部デスクは「生臭い話をしているはず。松本さんも同席しているので」。同席したのは麻生氏の最側近である松本純国対委員長代理。実は松本氏、周囲にこんな秘策を漏らしていた。「古賀さんがいる限り麻生派と岸田派の合流は難しい。ならば、岸田さんと側近数人だけでも麻生派に入ってほしい」。

 そもそも麻生派は、宏池会の分裂で生まれた派閥。麻生氏は両派合流の「大宏池会」構想が持論だが、古賀氏とは犬猿の仲で実現は難しい。一方で麻生派には衆目の一致する「ポスト麻生」候補もいない。麻生氏は河野太郎防衛相に目をかけるが、松本氏ら派幹部による河野評は「人望がない」など散々。そこで松本氏が狙うのが、ポスト麻生候補も兼ねた岸田氏一本釣りだ。

 実現すれば永田町を揺るがす動きだが、政治記者は鼻で笑う。「岸田氏にそんな決断ができるなら、今頃、ポスト安倍レースの圧倒的先頭です」。

 方谷は幕末の陽明学者で、逼迫した備中松山藩財政再建と藩政改革を成功させた人物です。10万両に膨れた藩の借金を8年で返済し、さらに10万両の蓄財を成し遂げたのですから、まさに伝説の改革者。幕末の備中松山藩は、公称5万石でありながら実際には2万石と、現代でいうなら粉飾決算を繰り返した末の破産状態でした。その状況を巻き返したのが、方谷というわけです。

 良質な砂鉄が採れる地域特性を生かし、鉄工場を設立。輸送船を使って江戸で鉄釘などの鉄製品を直売し、藩の専売事業にして利益を上げました。藩を挙げての大倹約令を断行しつつ、一方で農民の保護策を徹底。新田開発や殖産により財政が豊かになると、税を軽減して生産意欲を刺激させるという庶民ファーストな計らいもしています。

 本誌で紹介した「柚餅子」も、方谷に関係する高梁名物です。方谷は、城下の家々に柚子の木を植えることを奨励。採れた柚子を使って柚餅子を大量に製造し、江戸、大坂に販売したのです。

 方谷のほか、私がもっとも推したい備中松山城ゆかりの人物は、寛永19年(1642)に城主となった水谷勝隆です。備中松山藩の発展はこの人の功績にあると言っていいでしょう。勝隆が目をつけたのが、備中松山藩の飛び地だった高梁川河口付近の玉島(倉敷市)。広大な干潟だった玉島新田を本格的に開発したことで、繁栄に成功しました。

 高梁川と瀬戸内海を結ぶ、高瀬舟の整備を行ったのも勝隆です。備中松山城の麓を流れる高梁川は古くから流通を支えてきましたが、高瀬舟の整備により、さらに瀬戸内海と備中の内陸部の交通が円滑になりました。鉱山業を振興し、近隣の阿哲(新見市阿哲地区)や成羽(高梁市成羽)の鉄、吹屋(同)の銅などを高瀬舟で流通させたのです。玉島を瀬戸内海の玄関口として、鉱物のほか、和紙や漆、煙草などの物産が運ばれました。

 なかでも、煙草は江戸で大ヒットしたようです。松山往来や新見往来など陸路もありましたが、大量輸送には舟運のほうが効率がよく、高瀬舟は大活躍して藩に潤いをもたらしました。

 備中松山城に、現存する天守や累々と残る壮大な石垣を築いたのは、勝隆の子の勝宗です。勝宗がこれほどの城の大改修をできたのは、藩の財政が潤っていたからでしょう。水谷時代の石高は5万石でしたが、実際には10万石以上だったともいわれます。

 備中松山城の石垣の積み方を見ると、先進先鋭な織田・豊臣系の城の技術ではなく、1680年代に築造されたわりには洗練された石垣とはいえません。政権の流れを汲まず、地元の職人が技術を駆使して積み上げたのでしょう。やはり、それだけの人を動かす経済力が当時の藩にあったのだと思われます。社会背景も読み解ける、野趣に富んだオリジナリティ溢れる備中松山城の石垣が、私は大好きです。

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