通信途絶えたインドの無人探査機 月面で残骸発見 #nhk_news https://t.co/sf9b3WDV4c
— NHKニュース (@nhk_news) 2019年12月3日
インドはことし7月、世界で初めてとなる月の南極への着陸を目指して無人探査機「チャンドラヤーン2号」を打ち上げ、9月に着陸を試みました。
ところが、着陸の直前、高度2.1キロまで降下したところで、突然、通信が途絶え、その後、状況はわかっていませんでした。
この探査機に関してアメリカのNASA=航空宇宙局は3日、アメリカの探査機が月面を撮影した写真でインドの探査機の残骸を発見したと発表しました。
それによりますと、インドの探査機が衝突したとみられる場所から広い範囲にわたって残骸が飛び散っていたということです。
インド政府は先週、議会に提出した報告書で、探査機が着陸のために減速している途中で誤作動が発生し、十分な減速ができないまま着陸予定地点から500メートルほど離れた場所に衝突したという調査結果を明らかにしています。
今回、インドが着陸を成功させていれば、旧ソビエト、アメリカ、中国に次ぐ4か国目でしたが、月の南極は地形やマイナス157度以下という過酷な環境から困難が予想されていました。
NASA finds debris of crashed Indian moon lander https://t.co/dlhKZIlayP
— NHK WORLD News (@NHKWORLD_News) 2019年12月3日
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【速報 JUST IN 】アフガニスタンで中村哲医師 銃撃されけが 現地で医療活動 #nhk_news https://t.co/10FT8tsQW9
— NHKニュース (@nhk_news) 2019年12月4日
Afghan police: 5 dead, Japanese doctor injured https://t.co/UDwwEh4OQA
— NHK WORLD News (@NHKWORLD_News) 2019年12月4日
中村医師銃撃でNGO会見“右胸に銃弾1発 命に別状はない” #nhk_news https://t.co/FMt2L7BENS
— NHKニュース (@nhk_news) 2019年12月4日
【速報 JUST IN 】アフガニスタンで銃撃された中村哲医師死亡 #nhk_news https://t.co/Kc9MT3mBBf
— NHKニュース (@nhk_news) 2019年12月4日
アフガニスタン東部ナンガルハル州の警察などによりますと、福岡市のNGO「ペシャワール会」の現地代表の医師、中村哲さん(73)が現地時間の4日午前、日本時間の4日午後、ナンガルハル州の州都ジャララバードを車で移動中に、何者かに銃撃されました。
中村さんはけがをして病院で手当てを受けていましたが、病院関係者や地元の当局者によりますと、その後、死亡が確認されたということです。
地元の当局者はNHKの取材に対し、中村さんは治療を受けるため、ナンガルハル州の病院から首都カブール近郊にあるアメリカ軍のバグラム空軍基地に搬送される途中で死亡が確認されたことを明らかにしました。
また中村さんが手当てを受けていたナンガルハル州の病院の広報担当者はNHKの電話取材に対し、「病院に運ばれてきた時、中村さんの容体は悪く、すぐに手術が必要な状態だった。腹部には銃弾2発が撃ち込まれていた。担当した医師によると、集中治療室で治療を行い、容体はいったん安定したものの、その後、地元の空港に搬送される途中で亡くなった」と話しています。
地元の警察などによりますと、同乗していた運転手や警備員など5人も死亡したということです。
中村さんはアフガニスタンで長年、農業用水路の建設など復興に携わってきました。
現場となったアフガニスタン東部はイスラム過激派の活動が活発な地域で、最近では反政府武装勢力タリバンに加え、過激派組織IS=イスラミックステートの地域組織が台頭し、治安が悪化していました。
事件の発生を受けて、タリバンは声明を出し、「今回、ジャララバードで起きた事件について関与を否定する。日本のNGOはわれわれの土地でこれまで復興支援に取り組んできており、攻撃の対象にしたことは一切ない」として、犯行への関与を否定しました。
中村さんは銃撃を受けてけがをしたあと、現場近くのナンガルハル州の病院に搬送されました。
この後、首都カブール近郊に移されることになり、NHKの取材班が現地で撮影した映像では中村さんがストレッチャーに乗せられ、救急車でカブールに向けて出発する様子が確認できます。
ナンガルハル州の病院で、中村さんの治療に当たった医師がNHKの取材に対し明らかにしたところによりますと中村さんは病院から運び出される際には意識はあったということです。
通信社のロイターやAPが配信した事件現場の映像では市街地の舗装された路上に中村さんが乗っていたとみられる白いピックアップトラックが止まっています。
車のフロントガラスに銃弾によってあいたと見られる3つの穴があるほか、運転席側の窓ガラスが粉々に割れています。
現場に居合わせた男性は当時の状況について「警備員や運転手、そして日本人に対して銃撃があった。日本人の男性は頭をあげた時に負傷した。そして周囲が『彼はケガをしている。搬送しよう』と言ったら襲撃犯が武器を向けて『動くな』と言ってきた」と証言しました。
車体の周りには治安当局者が集まり、状況を調べていました。
中村さんが銃撃されたアフガニスタン東部のナンガルハル州はパキスタンと国境を接する山岳地帯を拠点として、イスラム過激派の活動が活発な地域です。
2001年にアメリカで起きた同時多発テロ事件のあと、事件の首謀者とされた国際テロ組織「アルカイダ」のオサマ・ビンラディン容疑者やメンバーが潜伏している可能性があるとして、アメリカ軍などによる大規模な掃討作戦が行われました。
ここ数年は過激派組織IS=イスラミックステートの地域組織が活動を活発化させているほか、ISと対立する反政府武装勢力タリバンもテロや襲撃を繰り返し、治安の悪化に歯止めがかからない状態が続いています。
現地に駐留するアメリカ軍やアフガニスタン政府の治安部隊は、イスラム過激派が潜んでいるとして山岳地帯を中心に空爆を繰り返していて、去年まで3年連続でISの地域組織のトップが殺害されています。
中村哲さんはアフガニスタンで農地の再生などに取り組んでいる福岡市のNGO「ペシャワール会」の現地代表の医師です。
福岡市出身で35年前、パキスタンのペシャワルに赴任したのをきっかけにパキスタンと隣国のアフガニスタンで医療支援を行ってきました。
16年前からは干ばつで苦しむアフガニスタンの人たちを助けようと用水路の整備など、農地の再生にも取り組んできました。
こうした活動が評価されて中村さんはアフガニスタン政府から名誉国民に認定され、ことし10月、市民証が授与されました。
アフガニスタンで外国人が名誉国民として認められるのは初めてで、中村さんはビザなどがなくても現地で活動を行うことが認められていました。
中村さんは、2003年には「アジアのノーベル賞」とも言われるフィリピンのマグサイサイ賞を贈られました。また2009年には「福岡市市民国際貢献賞」を贈られ、中村さんは授賞式でアフガニスタンの状況について、「干ばつが難民化を招き治安が悪くなっている。医療活動以前の問題だ。水と食べ物があればほとんどの病気が予防できるので、干ばつ問題に取り組んできた」としたうえで、「治安の悪化で一時的に活動ができなくなるかもしれないが、現地での仕事は続けていきたい」と話していました。
中村さんはこれまで、地元の福岡県で報告会や講演などをたびたび行ってきました。
平成28年、福岡市の西南学院大学で開かれた報告会ではアフガニスタンの用水路の建設に、江戸時代に筑後川で築かれた「山田堰」の治水技術が用いられていることを紹介しました。
そのうえで「軍事作戦よりも農業復興を進めていくべきだ。日本で現地の活動をサポートする人材を育てていく必要がある」と訴えていました。
去年、山田堰のある福岡県朝倉市をアフガニスタンの現地スタッフとともに訪問した際には取材に対し、「昔の日本の農業が生産性の改善につながることを期待したい」と話していました。
また平成28年、福岡市中央区で企業の社員や自治体の職員らに講演を行った際にはアメリカによるアフガニスタンへの攻撃で多くの子どもや女性が犠牲になったと批判するとともに、「アフガニスタンの多くの人が願っているのは1日3回の食事を取ることと、ふるさとに家族と住めるようになることです」と指摘していました。
中村さんが現地代表を務めている福岡市の国際NGO「ペシャワール会」は1983年9月に中村さんのパキスタンでの医療活動を支援する目的で結成されました。
16年前からは干ばつで苦しむ隣国アフガニスタンの人たちを助けようと、用水路の整備など、農地の再生にも取り組んできました。
アフガニスタンのガニ大統領はこうした活動を高く評価し、中村さんを名誉国民と認め、ことし10月に市民証を授与していました。
また、中村さんは、紛争が絶えないアフガニスタンから逃れた難民の支援にも力を尽くし、2003年にはアジアの発展に貢献した人や団体に贈られるマグサイサイ賞を受賞しています。
授賞式で中村さんは「戦争反対と言うと、直ちに反米的だなどと言われる世の中でも、素直に私たちの平和への思いを評価してくれたことが非常にうれしかった」として喜びを述べていました。
中村さんは日本とアフガニスタンの間を頻繁に行き来し、ペシャワール会によりますと、最近では、先月帰国して、山口県の東亜大学で「アフガニスタンに命の水を」というテーマで講演を行っていました。
そして先月29日に日本をたち、アフガニスタンに戻ったばかりでした。
現地で活動している国連のアフガニスタン支援団はツイッターに声明を発表し、「広く尊敬されている日本の中村医師が殺害されたことはおぞましく、糾弾する。アフガニスタンの弱い立場の人々を助けるために人生をささげた、彼に対する愚かな暴力だ」と非難しました。
外務省幹部は午後5時半すぎ、記者団に対し「地元当局から、日本の大使館に対して『中村さんが亡くなった』という連絡があり、それをもって外務省としても死亡を確認した。心からお悔やみを申し上げたい。今後、ご家族などに対して、できるかぎりの支援を行っていきたい」と話しています。
外務省は、当時の詳しい状況や事実関係について、地元当局と連絡を取るなどして確認を急いでいます。
政府高官は午後6時前、記者団から「中村さんの死亡を政府として確認したのか」と問われたのに対し、「確認した。最初から厳しいと思っていた。亡くなった場所や誰に襲われたのかは分からない」と述べました。
Japanese doctor shot and killed in Afghanistan https://t.co/ltbcSuRDs3
— NHK WORLD News (@NHKWORLD_News) 2019年12月4日
東京にあるアフガニスタン大使館はホームページに中村さんとガニ大統領が並んでうつった写真とともに日本語で声明を出しました。
声明では「中村医師が病院で亡くなられたニュースを聞き、大変悲しみに包まれています」としたうえで、「中村医師はアフガニスタンの偉大な友人であり、その生涯をアフガニスタンの国民の生活を変えるためにささげてくださいました。彼の献身と不断の努力によりかんがいシステムが改善され、東アフガニスタンの伝統的農業が変わりました」とその功績をたたえています。
そして「アフガニスタン国民と政府は中村医師の功績に敬意を表し、ご家族、同僚の皆様、ご友人、そして日本国民の皆様に謹んで追悼申し上げます」と結んでいます。
安倍総理大臣は4日夜6時半すぎ、総理大臣官邸で記者団に対し、「中村先生は医師として、医療分野、かんがい事業などで、アフガニスタンで大変な貢献をしてこられた。危険で厳しい地域にあって本当に命懸けでさまざまな業績をあげられ、アフガニスタンの人々からも大変な感謝を受けていた。このような形で亡くなられたのは本当にショックで、心からご冥福をお祈りしたい」と述べました。