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六根清浄の大祓
「人間は宇宙と比べればちっぽけな存在だ」とか、
「自分ひとりでは何もできない」とか、
言わないわけだ。
そうした言葉は、小我(穢れ)を否定する際には使われるとしても、
本体(仏教では「仏性」)は、無限の可能性を秘めているからだ。
それゆえに「絶対」であり、「天上天下唯我独尊」なのだ。
ある日、弘忍禅師は突如、門下の大衆を集めて、各自の見性を叩いて法嗣を定めるといい出しました。これに応じてまず自己の悟境を発表したのが神秀上座(じんしゅうじょうざ)であります。
「身是れ菩提樹 心明鏡台の如し 時々に勤めて拂拭せよ 塵埃をして惹かしむる勿れ」(莫遣有塵埃にも作る)
しかるに、これに対して先の風来坊(盧行者)は、
「菩提本と無(非)樹 明鏡また台に非ず 本来無一物 何処にか塵埃を惹かん」(何用拂塵埃にも作る)
の一偈をもって報いました。
釈尊や祖師方は、このようには説かない。
陽明学では「満街の人みな是れ聖人」(街中の人すべてが聖人)というように、すべての人が本来的に聖人であるとし、その心の良知を静坐により発揮しさえすれば(致良知)、それが聖人の証であるとした。
3:54
だから個々の自己は非常に微々たるもの
と考えるかも知れませんけど実はその内には偉大なものを
秘めているわけですですからその偉大なものを
受けていることを自覚すればそこで自分の生きる道は
どうかということがおのずから明らかになって実現される
#中村元
全てを否定したその先に:朝のお祈り(2020/05/05)
#パターナリズム#家父長制#父権主義#家族主義#温情主義
#自己愛世間愛
#般若心経
最晩年に示された「絶対矛盾的自己同一」は、哲学用語と言うより宗教学での用語のように崇められたり、逆に厳しく批判されたりした。その要旨は「過去と未来とが現在において互いに否定しあいながらも結びついて、現在から現在へと働いていく」、あるいは、鈴木大拙の「即非の論理」(「Aは非Aであり、それによってまさにAである」という金剛経に通底する思想)を西洋哲学の中で捉え直した「場所的論理」(「自己は自己を否定するところにおいて真の自己である」)とも言われている。そこには、行動と思想とが言語道断で不可分だった西田哲学の真髄が現れている。論文『場所的論理と宗教的世界観』で西田は「宗教は心霊上の事実である。哲学者が自己の体系の上から宗教を捏造すべきではない。哲学者はこの心霊上の事実を説明せなければならない。」と記している。
利をうとんずるといふ事は、
— 吉田松陰 (@shokasonjuku) June 21, 2020
必ずしも富を厭ひ
貧を欲するといふ事ではない。
貧富によりて少しも心を
みださないといふことである。
志定まれば、気盛んなり。
— 吉田松陰 (@shokasonjuku) June 21, 2020
学問をする眼目は、
— 吉田松陰 (@shokasonjuku) June 21, 2020
自己を磨き
自己を確立することにある。
6月末まで30%オフです。
— 安田貴行@答案添削講師〔司法試験/予備試験/公務員試験〕 (@y_takayuki515) June 21, 2020
『民法演習サブノート210問論述例データ』(総則〜家族法)|安田貴行@試験対策オンラインサロン @y_takayuki515 #note https://t.co/ITM8NWfDDL
【キャリア】
— PRESIDENT Online (@Pre_Online) 2020年6月21日
「読書家なのに話がつまらない人」に欠けている5つの視点
大きな差を生むのは、読む量や読み方ではなく「読め方」なのでしょう。 #読書 https://t.co/ZiBjPgeNmc
#書斎
押印するためだけに出社することなどがテレワークの障害になっているとの指摘があります。法務省は、内閣府、厚労省と共に押印についてのQ&Aを作成し、必ずしも押印が必要では無いことを発信しています。https://t.co/19NTRDFS3m
— 森まさこ MORI Masako (@morimasakosangi) June 21, 2020
Q&Aはこちらhttps://t.co/BGC5EAu2xG
#勉強法