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首都ベルリンのミッテ区ではことし9月、韓国系の市民団体が慰安婦問題を象徴する少女像を1年間の期限で公有地に設置しました。

その後、区が「国家間の歴史的な問題で、一方の側に立つことは避けなければならない」として設置の許可を取り消したのに対し、市民団体側は異議申し立てなどを行い、区は当面、少女像の設置を認めるとしていました。

こうした中、地元の区議会は1日、少女像の継続的な設置に向けて解決策を求める決議を賛成多数で可決しました。

決議文は少女像について、「戦時中の性暴力について議論するきっかけになる」としていて、決議を受けてミッテ区は今後、継続的な設置を認めるものとみられています。

これについてベルリンの日本大使館は「日本政府の立場と相いれないもので、極めて残念だ。関係者に説明を続けて、像の撤去を求めていきたい」としています。

#朝鮮半島

1974年から1981年にかけてフランスの大統領を務め、国際的な課題を首脳が話し合う、サミット=主要国首脳会議を提案したジスカールデスタン元大統領が死去しました。94歳でした。

フランス大統領府は声明を出し、バレリー・ジスカールデスタン元大統領が2日に死去したことを明らかにしました。

ジスカールデスタン元大統領は1926年、ドイツ西部のコブレンツで生まれ、フランスのエリート官僚の養成校である国立行政学院を卒業し、48歳で大統領に就任しました。

在任中、外交面では石油危機の影響で世界経済の低迷が続くなか、主要国の間で政策面での協力を深めようとサミット=主要国首脳会議を提案しました。

1975年にパリ近郊のランブイエで第1回のサミットを開催し、日本からは当時の三木武夫総理大臣が出席するなど主要国が集まり、サミットは国際的な課題を首脳が話し合う場として、毎年、続いてきました。

一方、内政面では選挙権年齢を18歳に引き下げたほか、人工妊娠中絶を合法化したり、離婚の条件を緩和したりしました。

しかし、1981年の大統領選挙で社会党ミッテラン氏に敗れ、1期7年で大統領の座を去りました。

ヨーロッパの統合を支持し、のちにEUヨーロッパ連合の基本条約となる、「憲法条約」の草案に関わるなど、退任後も精力的に活動したことでも知られています。

フランス大統領府は声明で「国家のあらゆるレベルで人々の利益のために働いた。その行動力と洞察力で国民を納得させた献身的な政治家だった」として、その功績をたたえています。

AFP通信などフランスのメディアは、ジスカールデスタン元大統領の家族の話として、元大統領が新型コロナウイルスに感染したため、亡くなったと伝えています。

EUアメリカの大統領選挙でバイデン前副大統領が勝利宣言したことを受けて2日、「新たな欧米の課題」と題する対米戦略を発表しました。

この中でEU「過去数年で単独主義の傾向が強まる中、バイデン氏の勝利は欧米の関係を再構築するまたとない機会だ」として、アメリカとの連携強化を目指すとしています。

具体的にはアメリカに対し、新型コロナウイルスのワクチンなどの開発のほか、トランプ政権が消極的だった地球温暖化対策について、協力を呼びかける方針です。

また、双方の間で一時、摩擦が起きた貿易については円滑なやり取りを目指すとともに、世界の貿易についても日本を含めた3者の枠組みで、不均衡の是正を促す取り組みを進めるとしています。

EUは来年前半にもEUアメリカの首脳会議を開きたいとしていて、この戦略を指針としてトランプ政権との間で、ぎくしゃくした関係の改善を進める考えです。

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#EU