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藤田東湖の著作を読むと、その多くが「実践」「実行」「行動」を重視しているようにみえる。たとえば、藤田東湖の主著の一つである『 弘道館記述義』に 、こんな文章がある。
《 学問事業、ソノ効ヲ殊二セズ》

これは、学問と事業とはその効用を異にするものではない、ということである。さらに、こんなことを言っている。

《学問と事業を一つとするのがむずかしいというのは多くの理由によるが、もっとも大きい弊害が四つある。「実践躬行を怠る」 こと。「実用的学問をしない」こと。「型どおりのの考えに拘泥する」こと。「情勢に応じすぎる」ことの四点である。》

これは、もちろん、実践が大事で、学問は疎かにしてもいい、というような意味ではない。同じく「実用的学問」が、すぐ役に立つ学問や、どの時代の情勢に妥協し、便乗する学問のでもないことは言うまでもない。学問を極めることは、実践も伴うということだろう。実践の伴わない学問もなく、学問の伴わない実践もないということだろう。学問か実践か、というような二者択一的な 、いわゆる二元論的な意味ではない。

藤田東湖は、「学校=藩校」の設立について も、学校を建てなかった「義公(水戸光圀)」について興味深いことを言っている。

《 してみれば、義公(水戸光圀)が学校を建てられなかったのは、そのために道があるいは廃れるかもしれぬことを懸念されたからであり、後世、学校が建てられなかったのは逆に道があるいは盛んになるかもしれぬことを懸念したからである。そもそも義公は修史に非常な熱意をもたれていた。したがって当時、学問ある人々はたいてい史館に集められていた。》

私は、この問題を理解しやすくするために、参考のために、文芸評論家(&哲学者)の柄谷行人の『 政治と思想』から引用したい。
《このような「動く集会」は、近代に始まったものではない。人類は本来、遊動的な狩猟採集民であり、日々の生活が「動く集会」であった。それは定住以後に失われたが、国家以後の社会においても、様々なかたちで回復されてきた。たとえば、普遍宗教の始祖たちは、神社や寺院を拒み、人々を引き連れて歩き、また、共食した。思想家たちも都市から都市へ移動し、広場で議論した。その後にできた教会、寺院、大学などの荘厳な建物の中には「動く集会」はない。したがって、そこには生きた思想もない。ということである。》(柄谷行人『政治と思想 』)

先日、丹羽先生が青年会で『基督教青年』という雑誌を発行し、私にも送ってくれました。その後、東京で丹羽先生に会ったとき、「どうですか」と感想を聞かれたので、本当のことを言いました。

「失礼ですが、いただいた雑誌はトイレットペーパーとして使っています」

丹羽先生はもちろん激怒しました。私は理由を言いました。

「それは、この雑誌がつまらないからです。優れた論文が載っていないからではありません。若者が若者らしくないことを書くからつまらないのです。学者の真似をして、いろいろな本から切り貼りして、くだらない議論を書くから、読む気がしなくなるのです。もし若者が素直に自分の気持ちを書いてくれたら、私はこの雑誌をハードカバーに装丁して、私の蔵書の中で、もっとも価値のある本として大切にします」

と言いました。

それからその雑誌はかなり改善されました。私のような読者や社会は、優れた評論を読みたいのではなく、老若男女がそれぞれ本当に思っていることを知りたいのです。それが文学です。

思ったままを文章で表してみて下さい。そうすれば、文章が多少ぎこちなくても世の中の人は読んでくれます。それが私たちの遺すべきものです。もし何も後世に遺すものがなければ、思うままを書けばいいのです。

私の家に、高知出身の家政婦がいて、家事をして、母親のように私の面倒を見てくれます。そしてとても面白い女性です。彼女は手紙を書く時、思ったままを、とても荒々しく書くのです。自分のふるさとの言葉である土佐弁を使って、ひらがなで長々と書きます。読むのに苦労しますが、読んでいると私はいつもうれしくなるのです。

彼女はキリスト教の信者ではありませんが、こんな信心深い一面があります。毎月三日月の頃に、「小銭を6厘下さい」と言うので、何に使うのかと聞くと、「いいから下さい」と理由を言わず、小銭を渡すと、豆腐を買ってきてお月さまにお供えをしたのです。「旦那様のために三日月様にお祈りをしないと悪いことが起こる」と言うのです。

それ以来私は感謝の気持ちをこめて、毎月6厘を渡します(笑)。七夕の日も、いつも私のために、七夕様に団子や梨や柿をお供えします。私を大事に思ってくれて、月や七夕の星にお供えをしてくれるのはとてもありがたいことだと思っています。

そんなやさしいところのある彼女の手紙は、学者の文章が載っている『六合雑誌』(明治・大正期のキリスト教系の思想雑誌)よりすばらしい文章です。他人の心に訴える、本当の文学です。文学とは何でもない、私たちの心に訴えるものなのです。

文学がそういうものなら(そうあるべきなのですが)、私たちは文学者になろうと思えばなれます。文学者になれないのは、書いたことがないからでも、漢文が書けないからでもありません。心に思想がわいてきたそのままをバンヤン(イギリスの宗教文学者)のように書き出すことができるなら、それが最高の文学です。

カーライル(イギリスの歴史家)の言ったとおり「深く突き詰めると、その深いところには必ず音楽がある」というような文章です。

私の経験からも、文天祥(中国、南宋末の宰相)や白楽天白居易。中国、中唐の詩人)が書いた文章を表面的に分析して、それをまねようとして書いた文章より、誤字脱字があったとしても、自分の思ったままを書いたほうが、自分で読んでも、他人が読んでもいい文章になるようです。それが文学の秘訣です。

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【津田】今の話で思い出したんですが、東大法学部の先輩で、昭和50年代に大蔵省にトップで入ったものすごい秀才がいました。
彼は司法試験もトップの成績で通ったんですが、試験のあとにどんな答案だったのかを、みんなの前で再現してみせてくれたんですよ。

それを見せてもらった同級生たちは、あっと驚いてしまった。なぜかというと、彼が答案中で引き合いに出している判例にはけっこう間違いがあったんです。

【鈴木】つまり、暗記に関してはかなりあやふやだったと(笑)。

【津田】そうなんです。しかし、答案そのものはとにかく徹底的に考えて書かれているので、論理性が非常に高い。だから知識が間違っていても、司法試験でトップになれたというわけなんですね。

当時の東大では、司法試験をいかに効率的にクリアするかという風潮があったんですが、彼の答案を見たことで「そうか、日本の法曹界が望んでいるのはこういう頭脳なんだ」とみんなの認識がガラッと変わりました。だから、その再現答案を見せてもらった人たちは、みんな翌年の司法試験に受かったそうです。

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 この夏期学校に来ますついでに私は東京に立ち寄り、そのとき私の親爺と詩の話をいたしました。親爺が山陽の古い詩を出してくれました。私が初めて山陽の詩を読みましたのは、親爺からもらったこの本でした(本を手に持って)。でこの夏期学校にくるついでに、その山陽の本を再び持ってきました。そのなかに私の幼さいときに私の心を励ました詩がございます。その詩は諸君もご承知のとおり山陽の詩の一番初めに載っている詩でございます、「十有三春秋、逝者已如水、天地無始終、人生有生死、安得類古人、千載列青史」。有名の詩でございます、山陽が十三のときに作った詩でございます。それで自分の生涯を顧みてみますれば、まだ外国語学校に通学しておりまする時分にこの詩を読みまして、私も自から同感に堪えなかった。私のようにこんなに弱いもので子供のときから身体が弱おうございましたが、こういうような弱い身体であって別に社会に立つ位置もなし、また私を社会に引ッ張ってくれる電信線もございませぬけれども、ドウゾ私も一人の歴史的の人間になって、そうして千載青史に列するを得るくらいの人間になりたいという心がやはり私にも起ったのでございます。その欲望はけっして悪い欲望とは思っていませぬ。私がそのことを父に話し友達に話したときに彼らはたいへん喜んだ。「汝にそれほどの希望があったならば汝の生涯はまことに頼もしい」といって喜んでくれました。

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山田方谷

十四歳

父や我を生み、母や我を育つ。
天や吾を覆い、地や吾を載す。
身・男児たり、宜しく自ら思うべし。
苶苶(でつでつ=疲れた様子。または、ぼんやりの意。)なんぞ草木とともに枯れんや。
慷慨、成しがたし、済世の業。
蹉跎(さた=志を得ず、思うにまかせないこと。)いかんともなせじ、隙駒(げきく=奔馬が隙間からチラッと見えるほどの速さで駆けるの意。月日や時間の経つのが速いこと。)の駆けるを。
幽愁(深い憂いや思いに沈むこと。)、柱によりて独り呻吟す。
我を知る者は言う、我が念深しと。
流水停まらず、人老い易し。
鬱鬱(うつうつ=気がふさがるさま。)縁(よ)って、胸襟を啓(ひら)くなし。
生育覆載(ふうさい=天地のこと。)、真に極まりなし。
識らず、何の時か此の心に報いん。

後世への最大遺物

後世への最大遺物

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この「神」=キリスト教の神=父神が、天井を作って個人を抑圧しているから、この天井を外せば個人が自由になる、と考えるのだろう。
しかし、宇宙の本質は造化にあって、人間も生成化育進歩発展を基本としなければならない。
したがって、他人を傷つけないだけでは足りない。

#木村草太(ポストモダン憲法学)#伊藤建(反立憲主義

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