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落合洋司

昔、駿台京都校に、西賀茂至誠寮という、今はもうない寮から通っていたが、京都産業大学が近くて、京都産業大学生が周囲に多かった。懐かしさが募る。近くに、餃子の王将があり、よく食べに行っていた。

落合洋司

上賀茂神社近く、御薗橋たもとの王将。懐かしくて入ってみた。内部のレイアウトはすっかり変わっているが、場所は変わっていないはず。寮生で、30分皿洗いして、一食タダで食べさせてもらっている人がいた。

落合洋司

チャーハン、餃子に、車なのでノンアルコールビール@王将

落合洋司

寮に入り、夏に、両親が車で京都まで来てくれて、食事したりドライブしたりして楽しく過ごした後、両親と別れ、寮の自室で、無性に寂しくなり泣けて泣けて仕方がなかったことがあったのを思い出した。まだ18歳で、子供だったな。

落合洋司

@京都産業大学

落合洋司

環境面では最悪時代の早稲田で学んだ者としては、京都産業大学のように、綺麗で環境の良い大学はうらやましい。

落合洋司

極王天津飯、餃子、ノンアルコール。

落合洋司

賀茂川のほとりは、息抜きに散歩していた。実に懐かしい。

京の桜日記2014 - 賀茂川(上賀茂御薗橋〜北山橋周辺)|KBS京都
鴨川北山橋〜出町柳往復 ジョグマップ ・ ジョギングコース [7255]

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20141016#1413455999

Kuni Sakamoto

「「在俗」と称している司祭たちは、俗世の人間であって、キリストにみずからを捧げていないかのようで、この重荷を修道司祭に押しつけ、修道司祭はそれを修道士に、戒律のゆるい修道士はそれを戒律の厳格な修道士に、これらのあらゆる者たちが一緒になって、それを托鉢修道士に…

Kuni Sakamoto

托鉢修道士はそれをカルトゥジオ会修道士に押しつけますが、このカルトゥジオ修道士たちのもとでのみ信仰心は深く秘められておりまして、あまりに奥深く秘められていますので、外からは窺いようがないほどなのです」エラスムス痴愚神礼讃』(沓掛訳)

赤江雄一

小澤さん、阿部謹也を読んで、っていってたね。彼の著作については現役の研究者の立場から思うことはあるけれど、いまの中堅の西洋史研究者の少なくない人が、彼の数々の著作に大きな影響を受けて研究をはじめている。

阿部謹也ゼミの思い出 - とある法学部教員ブログ

先生は毎週、京大カードに目を通しながら、中世ヨーロッパのカトリックの告白制度こそが西欧の近代的自我を形成したのであり、それは愛の誕生と軌を一にしているという内容の話をあれこれしてくださった。

阿部先生からは「歴史学を勉強するということは自分の中にある歴史を発見するということである。であるから、自分の歴史を語ること」という課題を出された。

友人たちが自分自身と向き合い、自分を形成してきたものを語ることで、自分を見つめ直す。他の人間は、その場に居合わせることで、友人をより深く知ることになる。阿部先生はみんなの発表に対して、あまり多くをコメントせず、「ふんふん」とただうなずいていたような気がする。

原 基晶 講師 - 東海大学文学部ヨーロッパ文明学科

ヨーロッパのキリスト教文学の古典、中世の詩人ダンテ・アリギエリの代表作『神曲』の研究をしています。この作品により近代への扉が開かれたとさえ言われ、現代文明を考える上での拠所のひとつです。

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母が重くてたまらないー墓守娘の嘆き - 原宿カウンセリングセンター

本書には3つの柱がある。墓守娘とその母と父の3人である。

本書をきっかけに、墓守娘という言葉が静かに広がることを願っている。そして何より、私が伝えたかったことが、父・母・娘の三者にそれぞれ伝わることを願っている。

貞子ちゃんの連れ連れ日記:書評「母が重くてたまらないー墓守娘の嘆きー」

「墓守」という言葉は、もう守る意味さえ無くなっている「家の中の日本の古い伝統」に置き換えられる。
つまり「敬老の精神」「家父長制度」「日本が全体主義に走っていた戦前のファシズム集団主義)を受け継いでいる人々が若者に家の中でさえも一斉に押しつけてくる不快な文化」などがそれなのかもしれない。
その不快な文化を「守れ」と若者に言うのは、少子高齢化の進む21世紀では、あまりにもむごい。むご過ぎるのだ。


さらに、「母が重くてたまらない」とは、「高齢者が重くてたまらない」「国家が重くてたまらない」「形骸化した制度や伝統や慣習や慣例が重くてたまらない」と置き換えても、意味が通じてしまうのだ。「母」を「父」「国家」と置き換えても、「娘」を「息子」「国民」と置き換えても意味が通じてしまうのだ。


自虐でも他罰でもない、お互いの違いを認め合って、多様性を容認する日本型個人主義がまだまだ根付いていないから、こういった「置き換え」ができてしまうのだろう。


日本型の個人主義が根付かなければ、日本型の資本主義も、なかなか根付かないのではないかと思ったりする。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20141016#1413456008
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言論抑圧―矢内原事件の構図 - Uehara-monologue

これまでの歴史叙述はいずれも、「大学の自治に対する弾圧」「キリスト者としての矢内原個人の闘争」「東京帝大経済学部内における権力闘争」「右翼勢力からの言論攻撃」といった個々の側面に単純化してこの事件を捉えてきたと筆者は指摘する。そしてそのいずれもこの事件の全貌を描き出すには不十分であり、この事件を取り巻く個々のアクターの立場や思考を当時のままに細密に叙述する「マイクロヒストリー」の手法を用いることで、多様な側面の相互関係を描き出すことの重要性を強調している。

筆者のそもそもの専門はヨーロッパ政治思想史である。また博士論文においては14世紀のフランチェスコ会ウィリアム・オッカムの異端的教皇への抵抗の理論を研究している。日本や欧州といった空間的な制約を離れたとき、筆者の中で通底するテーマは「暴政への抵抗思想」である。本書以前の筆者の研究は抵抗思想の理論的側面を捉えたものが中心であったが、本書において筆者は「理論としてわかっていても現実に実践するのは難しい不正な政治への抵抗の実態」を矢内原事件を通じて考察することで、政治思想史学者としての現実へのコミットメントを果たそうとしたと振り返っている。

本書に詳述されている矢内原事件の全貌は、マイクロヒストリーという形での重層的な歴史叙述を通じて現れた複雑な構図である。そこには最高の責めを負うべき唯一の責任者」は存在しない。それぞれがそれぞれの意思を持って行動し、それが形作る何か(あえて「空気」とは言わない)が「矢内原辞職」という帰結をもたらしたのである。descriptionとしての歴史が果たすことが出来るのは、こういう複雑な構図をありのままに世に問うていくことなのではないかと感じる。

異端論の脱法学化 将基面「ウィリアム・オッカムと中世ヨーロッパにおける異端の概念」 - オシテオサレテ

 ウィリアム・オッカムが異端理論にもたらした革新を論じた論考です。13世紀の初頭から教会は異端の摘発を強化しはじめます。従来の弾劾主義にかえて糾問主義を採用した異端審問制度を創設し、異端者(とみなされた者)の効率的摘発にのりだしました。この迫害圧力の高まりは大学にもおよび、神学研究が思想検閲の対象となります。とくに13世紀末からは大学内で勢力を伸ばす托鉢修道会に脅威をおぼえた教区司祭教授たちが、托鉢修道会の清貧理念の正統性に疑義を示すことにより、いわゆる「清貧論争」が起こりました。14世紀前半には教皇ヨハネス22世がフランシスコ会の清貧理念に異端宣告を下します。これに抗して逆に教皇こそ異端であるとの論陣をはったのがウィリアム・オッカムでした。この過程で彼は中世最大の異端理論書を著します。

矢内原忠雄 - Wikipedia

旧制第一高等学校に在学中、無教会主義者内村鑑三が主催していた聖書研究会に入門を許され、キリスト教への信仰を深めていった。

父神の権威を背景にしたアマテラスによる代理支配という構図があって、これが「空気」の正体。


http://d.hatena.ne.jp/d1021/20131215#1387104071
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20130221#1361458942


http://d.hatena.ne.jp/d1021/20141018#1413628614
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20141018#1413628615


http://d.hatena.ne.jp/d1021/20140914#1410691973
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20140827#1409136021
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20140826#1409049590
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20140819#1408446627
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20140815#1408099509
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20140814#1408013816
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20140813#1407927243
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20140811#1407753635
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20140810#1407667917
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20140808#1407494100
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20140805#1407235308
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20140720#1405853543
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20140710#1404990262
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なぜ今、「天皇主権説」再考なのか?・その5(完) (連載「パックス・ジャポニカへの道) - 原田武夫国際戦略情報研究所公式ブログ

上杉愼吉が語った憲法論が最終的に思い描いた国家イメージこそ、その時、想い出されるべきものなのである。至高の賢者が構成員の全てと「気持ち」でつながり、それを忖度しながら前に進んでいく。それを支えるのが高度に専門的な知見を兼ね備えた本当の意味での「官僚制」であり、意思決定システムが明瞭な分だけ迅速に、しかしその最高統治者は絶えざる自己研鑽を通じて「全体意思」との同一を自己規律として課し、かつオール・ジャパンとしてベストの知見がそこ出の判断基準となる。


そう、我が国において怖れることなく議論されるべきは全く新しいこの意味での「天皇親政」の可否なのである。上杉愼吉はその天皇主権説をもってその必要性を彼の時代に説き、結果として弾圧された。しかしその結果残された明治憲法下の成れの果ての体制は勝てる見込みの無い日中戦争、そして日米戦争への突入を止めることは出来ず、ついには灰燼へと帰したのである。「大正デモクラシー」や「天皇機関説」がその淵源であったことは間違いなく、これらに戻ることはもはやできない。だが今や、その抜本的な是正策として移植されたはずの「アメリカン・デモクラシー」という意味での議会制民主主義も無効であることが明らかになったというわけなのである。したがってこれから私たち日本人が辿るべき道はただ一つ、あらゆる苦難の歴史の中にあっても残ってきた「天皇制」の本旨に立ち返りつつ、それをベースに他の誰にも指示されることなく、この頭、そしてこの身体、さらには我が「魂」をもって全く新しい体制を築き上げることなのである。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20141017#1413542235
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20141016#1413456047
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20141010#1412938078


上杉慎吉 - Wikipedia

教え子の岸信介(木曜会・興国同志会会員)と安岡正篤に大学で自らの講座の後継者として残るようにすすめたが、両者は官界に進んだ。

天皇機関説 - Wikipedia

昭和天皇自身は機関説には賛成で、美濃部の排撃で学問の自由が侵害されることを憂いていた。

安岡先生も「天皇機関説でいい」と仰っていた。
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20140902#1409654998
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20140902#1409654999

耳証人

岩波文庫12月刊行予定
『テアイテトス』プラトン/田中美知太郎 訳、『冗談』ミラン・クンデラ/西永良成 訳、『ビヒモス』ホッブズ/山田園子 訳、『大いなる遺産(下)』ディケンズ石塚裕子岩波文庫メールニュースより


テアイテトス (対話篇) - Wikipedia

本対話篇では「知識とは何か?」という問いについてソクラテス、テアイテトス、テオドロスの間で対話が為される。

「知識とは何か?」という問いとそれへの回答に絡ませて、『プロタゴラス』でも検討されたプロタゴラス相対主義的主張の論駁、ヘラクレイトスの学説の論駁、そして〈有〉についてという『ソピステス』でより深く語られるようなテーマなども語られており、『テアイテトス』の内容には知識の反例を示す大きな意味がある。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20140913#1410604636
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20140822#1408705074


Amazon.co.jp: 冗談 (Lettres): ミラン クンデラ, Milan Kundera, 関根 日出男, 中村 猛: 本


ベヒーモス (ホッブズ) - Wikipedia

リヴァイアサン』では、社会契約によって形成される理想的な国家(コモンウェルス)体制が怪物リヴァイアサンになぞらえられたが、対照的に『ベヒーモス』では、上記の題名からも分かるように、清教徒革命・イングランド内戦やその下における長期議会(Long Parliament)という、現実の(少なくともホッブズにとっては)あまり望ましくない混乱・逸脱的国家体制・状況が、ベヒモスに例えられている。


Amazon.co.jp: 大いなる遺産 (上巻) (新潮文庫): ディケンズ, 山西 英一: 本
Amazon.co.jp: 大いなる遺産 (下巻) (新潮文庫): ディケンズ, 山西 英一: 本

ノーベル賞の天野教授 母校であいさつ NHKニュース

名古屋大学で開かれた卒業生の集まりに出席した天野さんは、濱口道成総長らから花束を手渡されたあと、出席者に向けてあいさつしました。この中で天野さんは「自分がノーベル賞を受賞すると思っておらず、発表の日に海外出張の予定を入れていました。出張先のフランスの空港で、記者の人たちに自分も受賞したと聞き大変驚きました」と述べて会場を沸かせました。そして名古屋大学での研究を振り返り、「この大学で勉強や研究は人の役に立つことが究極の目標だということを理解することができました。ノーベル賞は大学の仲間や先生方との議論の中で生まれた成果なので、皆さんと喜びを分かち合いたい」と感謝のことばを述べると、会場から大きな拍手が起きていました。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20141010#1412938080
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20141008#1412765894
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20141008#1412765895
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Kuni Sakamoto

「『マックス・ウェーバーは激昂して、ロシアの発展段階での共産主義はまさに犯罪であり、その道はかつてない人間の悲惨をつきぬけて、恐るべき破滅に終わるだろうと』言った」(1918年) 伊東、根井『シュンペーター岩波新書、1993年、44ページ。

NHK 番組表 | NHK海外ネットワーク

ハンガリー経由で医師をめざす日本人

ハンガリー医学部進学プログラム|ハンガリー医科大学事務局


【まみみ】 ABC・斎藤真美 Part4【 】

姉は北野高の時に医者志望だったが学業成績不足で医学部を断念して
受験したのが神戸大海事科学部

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