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臨時の評議員会は4日午前11時前から東京 両国の国技館で始まり、元文部科学副大臣で議長を務める池坊保子氏など5人の評議員が出席しました。


相撲協会は先月28日に臨時の理事会を開き、警察に被害届を出しながら巡業部長として相撲協会に事案を報告せず、その後も調査に協力してこなかった貴乃花親方について、理事や巡業部長としての責任は重いとして、理事解任の議案を、権限を持つ評議員会に提案していました。


評議員会のあと池坊議長が会見を行い「貴乃花理事の解任が決定した。暴行問題に対して報告義務を怠り危機管理委員会の調査への協力を拒否した。公益法人の役員としては考えられない行為で忠実義務に反している」と述べて貴乃花親方の理事解任が全会一致で決議されたことを明らかにしました。


相撲協会の理事が解任されるのは初めてで、貴乃花親方は役員待遇の委員に降格しました。


会見した池坊議長によりますと、決議を受けて貴乃花親方から相撲協会の事務局に連絡があり貴乃花親方は「わかりました」と述べて解任を受け入れる姿勢を示したということです。


そのうえでことし3月に予定されている理事の改選に向けて、池坊議長は「貴乃花親方が理事候補としてあがってきたならば話し合いをするとかいろいろな過程を経て評議員会で真摯(しんし)に粛々と決めさせて頂くことになる」と述べました。

横綱 貴乃花貴乃花親方は45歳。元大関 貴ノ花の次男で、現役時代は兄の元横綱 若乃花とともに「若貴フィーバー」と呼ばれる空前の相撲人気をつくりました。


平成6年の九州場所後に65代の横綱に昇進し史上6位となる22回の優勝を果たしたほか、幕内での勝ち星の数も史上9位の701勝を挙げました。


平成15年初場所で引退したあと、大相撲の発展に大きく貢献したとして、大鵬北の湖に続いて現役のしこ名のまま親方になれる一代年寄を贈られました。平成16年に、父の二子山部屋貴乃花部屋として継いだあと、師匠として貴ノ岩貴景勝などの関取を育てました。


また、平成22年にはそれまで一門と呼ばれるグループ内で候補者を調整するのが慣例となっていた日本相撲協会の理事選挙に、貴乃花親方を支持する親方とともに、二所ノ関一門を離脱して立候補し、他の一門の一部の親方の支持も受けて37歳で当選しました。現在まで理事を4期連続で務め、この間に審判部長や総合企画部長などを歴任しました。


おととし3月の理事長を選ぶ互選では八角理事長に敗れ、現在は協会のナンバー3にあたる巡業部長を務めていました。

日本相撲協会評議員会は、定款の変更や理事の選任・解任など協会の重要事項を決議する強い権限を持つ機関で、現在は外部の有識者を含め7人が評議員に選任されています。
トップの議長は元文部科学副大臣池坊保子氏が務めています。
このほか出雲大社宮司の千家尊祐氏、公認会計士の小西彦衛氏、元NHK会長の海老沢勝二氏の3人が外部の有識者として評議員を務めています。
また、年寄名跡を持つ親方から湊川親方の南忠晃氏、大嶽親方の佐藤忠博氏、二子山親方の竹内雅人氏の3人が相撲協会を一時的に離れて評議員を務めています。4日の臨時の評議員会は、千家氏と海老沢氏の2人が欠席しました。


相撲協会の定款では、理事会には理事である貴乃花親方を「降格」処分にする権限はなく、今回、権限のある評議員会に貴乃花親方の理事解任を提案しました。
評議員会では、出席者の過半数が賛成すれば理事の解任を決議することができます。

貴乃花親方は、弟子の貴ノ岩が去年10月26日の未明に暴行を受けたあと、その日のうちに「酔っ払って転んだ」という報告を受けたということです。しかし貴乃花親方は、「第三者を巻き込んだ事件の可能性もある」などと考え、10月29日に警察に被害届を提出したとしています。


貴乃花親方は、この段階で相撲協会に報告しておらず、その後、警察から連絡を受けた相撲協会が11月3日に問い合わせた際にも「具体的なことは知らない」などと答えたということです。これについて貴乃花親方は、「自分の弟子のことだから調べようと思い、すぐには報告しなかった。また警察に相撲協会への報告を依頼したので巡業部長としての報告義務は尽くしていた」などと主張しています。


さらに相撲協会の危機管理委員会が始めた聞き取り調査に対しても貴乃花親方は、警察が捜査中であることを理由に被害者である貴ノ岩や自分への聞き取り調査を断り続けてきました。
貴乃花親方が貴ノ岩への聞き取りを承諾したのは暴行から2か月近くたった先月19日で、自分自身の聞き取りに応じたのは先月25日になってからでした。貴乃花親方は、貴ノ岩だけでなく自分への聴取も拒否していた理由について、「弟子である貴ノ岩と一体だと考えていたので2人一緒に協力すればいいと考えた」などと説明しているということです。


理事会ではこうした貴乃花親方の言動について、「合理的な理由はなく、とうてい納得のいく説明とは言えない」などと批判し、理事や巡業部長としての責任は重いとして先月28日、貴乃花親方の理事解任を、権限を持つ評議員会に提案しました。貴乃花親方は、理事会の中で一連の対応についての弁明を聞かれたものの「特にありません」と答えたということです。

今回の問題をめぐっては、貴乃花親方以外の関係者に対しても厳しい処分が行われています。


暴行を行った元横綱 日馬富士に対しては、横綱審議委員会で「引退勧告に相当する」と全会一致で決議されたことを受けて理事会でも引退勧告相当であることを確認しました。引退した力士に支払われる功労金については今後、減額を検討することにしています。


また傷害の現場に同席していた横綱白鵬鶴竜については、横綱としての責任は軽くないとして、ともに「減給」の懲戒処分としました。白鵬については、初場所が開催される今月の給与は全額支給せず2月の給与は50%減額されます。また鶴竜については、今月の給与は全額支給しないとしています。


日馬富士の師匠の伊勢ヶ濱親方は、師匠としての責任を取って理事を辞任し2階級下の役員待遇委員に降格しました。


八角理事長は、残りの任期3か月間の報酬の全額を返上することをみずから決めました。


一方、暴行を受けた貴ノ岩については、初場所を休場した場合でも診断書の提出を条件に幕下に陥落させず、十両にとどめる救済措置を設けることを明らかにしています。


評議員会のあと記者会見した池坊議長は、貴乃花親方の理事解任を決議した理由について、「元横綱日馬富士の暴行問題に対して報告義務を怠り、危機管理委員会への協力を無視したことは公益法人の役員としては考えられない行為。忠実義務に大きく違反している。危機管理委員会の調査を拒否し続けたことによって今回の問題が大きくなり長引いた。その責任を重く考えた」と述べました。

池坊議長は会見で、貴乃花親方の理事解任について「全会一致で決議した」と述べ、池坊議長は採決には加わらず、評議員4人全員が貴乃花親方の理事解任に賛成したことを明らかにしました。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20171230#1514630323
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20171229#1514543931

#AI


―― 当初は、広く「予言」をテーマにした本を考えられていたんですよね。そもそもどうして予言に興味を持ったんですか?


五島 それは、自分がクリスチャンの家に生まれて、母親からいろいろと聞かされてましたから。私の家のキリスト教は、ローマカトリックじゃなくてロシア正教です。ニコライ堂を建てたニコライ大主教が、明治時代、函館に上陸して布教を始めたとき、最初の信者の一人が私のおばあさんなんです。おばあさんは早くに死んじゃいましたけど、母に受け継がれた話の中に、黙示録や予言の話がありました。


―― それはどんなお話だったんでしょうか?


五島 海の向こうから怪物がゴーッと出てきて、人間をみんな飲み込んじゃうというような話でした。私が聞いたのは小学1年生くらいです。怪物そのものがいるとは思わなかったんですが、その怪物は何だといったら、これからのアメリカのことだと。


―― まだ戦争が始まる前ですよね。


五島 始まってないですね。今考えれば、それは黙示録の一部ですよ。でも、そんな話を聞かされていたから、ずっと後になってキリスト教の予言とかにもビビッとくるんです。

―― ノストラダムスの名前を初めて知ったのはいつ頃ですか?


五島 旧制高校のときですね。たしかフランス語の先生だったけど、いろんな話をしている間にちらっと一言だけ、16世紀のフランスにノストラダムスというすごい人がいて、王様がいつ死ぬとか全部予言したんだよ、ってことを話してくれたんです。その先生は、東京外語のフランス語科を一番で出た学識の深い人でした。あくまで別の話のついでに個人的に喋ってくれたというだけでしたけど。


―― 『大予言』を書くずっと前に出会ってるんですね。それから興味をもって調べ始めたわけですか?


五島 いや、その時はまだ高校生で、あまり興味もなかった。ノストラダムスと再会するのは、ずっと後です。旧制高校を出てからは、大学へ行きましてね。東北大学の法学部なんですけど、何も勉強しなかったから、どこへも就職できなかった。でも、たまたまアルバイトで書いた小説を買ってくれる東京の出版社があってね。エロ小説みたいなものでしたが、数ヵ月に1回採用されて原稿料をもらえました。それで大学を出ても就職ゼロが決まった時、その出版社に電話をかけて、「私はこれから一文無しでそっちへ行きますが、食べさせてくれますか?」って正直に言ったら、「それじゃあ、いらっしゃい」と言ってくれました。


―― 今だと考えられない話です。五島さんに何か光るものを感じたんでしょうね。


五島 いや、たまたま親切というか、太っ腹の編集者に出会えたんだと思います。それでありがたく上京して、小さな物置みたいなところを借りて、ものを書いてました。そしたら、幸いにして週刊誌ブームも始まったんです。


 ちょうどその頃ですよ。古本屋かどこかにあった誰かのエッセイの中に、ノストラダムスの4行詩の訳文が1、2篇紹介されているのを見つけたんです。「あっ、これはどこかで聞いた名前だ」と、ビビッときた。それから、週刊誌の仕事をしながら、少しずつ調べるようになりました。

―― なるほど。そういった蓄積があって、『大予言』が誕生したんですね。発売の翌年には100万部を突破し、映画にまでなりました。映画版をご覧になっていかがでしたか?


五島 良い映画、悪い映画ということを越えて“変わってる”と思いました。


―― 変わってる映画ですか?


五島 本が売れた段階で、東宝がぜひ映画にしたいと言ってきたんです。だけど、彼らの根底にはゴジラ体験があり、優秀な人たちだったけど話が合わなかった。彼らはゴジラ的な恐怖娯楽を入れたい。私はもっとリアルな国際政治を入れたいと思ったけど無理でした。しかも主演が丹波哲郎さん。「俺のライフワークにする」とか言って熱演して、最後は丹波哲郎の演説で終わりました。結局、ノストラダムスの映画なのか丹波哲郎の映画なのか、分からなくなりましたね。


―― それはそれで興味深い(笑)。しかも文部省の推薦映画で。今では「封印作品」となって、見られないのが残念です。映画以外にも、『大予言』出版以降、数々の類似本が出ていますが、そちらはどうでしたか?


五島 それと関連しますが、最近、講談社の編集者から連絡があって知ったんですが、水木しげるさんがとても面白い漫画を描いてるんですね。


―― ああ、『水木しげるノストラダムス大予言』ですか。


五島 水木さんの全集の解説を書いたんですが、私の思想とか考えについて肯定的にとらえてくれたのは水木さんだけです。すごいアイデアをそこからもらいました。


―― 漫画が一番よかったというのは、面白いですね。


五島 一番いい。どこがいいかはその漫画のあとがきに書かせてもらいました。やっぱり水木さんってすごい才能のある人だなと思いました。

―― このことは聞いておかなければと思うんですが、五島さんの『大予言』シリーズで繰り返し言われたのは、1999年の7の月ですよね。今、あらためて1999年7月と書かれたことについて、どのように思われていますか?


五島 弁解するわけではないんだけど、私は「大予言」シリーズの初巻の最後に、「残された望みとは?」という章を書いていて、予言を回避できる方法がないか考えようと言ってるんです。もちろん、米ソの対立とか核戦争の恐怖とかがあって、ノストラダムスが警告した状況が来ることは間違いない。それは破滅的なことかもしれないけど、みんながそれを回避する努力を重ねれば、部分的な破滅で済むんだということを書いたんです。だからこの本は、実は部分的な破滅の予言の本なんです。


 だけど、私がこの本を書くとき、ノンフィクション・ミステリーという手法に挑戦したことで誤解を生んでしまった。ミステリーが最後にどんでん返しをするように、初めに全滅するんだと書いておいて、最後になって人類が考え直して逆転して、部分的な破滅で済むんだと、それに向かって努力しなければならないと書いたんです。だけど、ここのところをみんな読まないんです。


―― たしかに多くの人が、1999年7月に全滅するんだと信じていましたね。


五島 ただ、私はそのことをちゃんと主張できるけど、当時の子どもたちがね。まさかこんなに子どもたちが読むとは思わなかった。なんと小学生まで読んで、そのまま信じ込んじゃった。ノイローゼになったり、やけっぱちになったりした人もいて、そんな手紙をもらったり、詰問されたりしたこともずいぶんありました。それは本当に申し訳ない。当時の子どもたちには謝りたい。

―― 五島さん自身は、1999年7月に何をされていたんでしょうか? 


五島 普通にしてましたよ。そのときの私の気持ちは、もうちゃんと落ち着いていました。1999年の7の月には何も来ないかもしれないと。でも、そういう事実がないということではなくて、多少の時間差の中では必ず何かが起こるはずだと思っていました。そしたら、2001年9月11日にアメリカで同時多発テロが起きた。つまり、2年の誤差があったものの、ノストラダムス予言に近いことが実際に起きた。しかも9・11後、中国の進出や北朝鮮の核など、新しい切実な脅威が起こって、人類危機はいっそう深まってる。


―― 五島さんとしては、今もなお危機は去っていないということですね。現在の思いを率直に語っていただき、ありがとうございます。次に、五島さんが『大予言』へと至るまでのライフヒストリーを聞かせてください。


―― 『ノストラダムスの大予言』を書くまで、五島さんは週刊誌のライターとして長くご活躍だったんですよね。


五島 上京後しばらくしてから、出版社が次々と週刊誌を創刊する時代になりました。私は、光文社の『女性自身』に創刊号から書いてるんです。

―― 五島さんのライター時代のお仕事の中では、1970年頃に池田大作氏に関する本を書かれてますよね。これはどういったご関心からですか?


五島 最初の取っ掛かりは、別に大したことはなくて、周りに大作さんにインタビューした人がいなかったからです。それで、私がやってみたいと思ったんです。交渉してみたら、会ってくれるというんで、信濃町まで行きました。バラックと言うと怒られるかもしれないけど、粗末な板葺きの二階建てで、そこに創価学会本部もありました。


 大作さんに会った印象は、非常に精力的な人で、偉ぶったところが全くなかった。反権力みたいなものを感じましたね。それ以前に既成政党の幹部と会うこともあったけど、彼らは国民から金をかすめ取ってる官僚みたいな感じがしたんですよ。それに比べると、清新な感じを受けました。私は、「雑誌としてはどうだか分からないけれども、ライターとしてあなた方のことは好意的に見てます」と伝えて、それから付き合いが始まりました。でも、だんだん彼らが偉くなって、権力を持つにつれて、接し方が少しずつね。


―― だんだん壁ができた感じですか?


五島 そうですね。ただ、しばらくの間、創価学会というのを一つの新しい光みたいにこっちが見ていた時期がたしかにあるんです。でも、今の、自民党の言うことは何でも賛成で、アメリカと一緒になって軍備を増やすことにまで賛成する政党にどうしてなったんだろうというのはあります。

―― 終戦の時はどちらにいらっしゃったんですか? 


五島 北海道の十勝の新得の近くで農作業をやってました。アメリカ軍が入ってくれば中学生も戦わなきゃいけないというので、日曜日には戦闘訓練です。古臭い木箱を背負わされて、その中に大砲の弾を1発ずつ入れられるんです。20キロくらいあってすごい重い。


―― それは、要するに特攻のようなことですか?


五島 何かのときにはこれで戦車にぶつかれと。でも、できるわけないですよね。すごい重たいし、ヨタヨタ歩きですから。それをやらされたときに、日本の権力や軍隊というのは、なんてひどいことを強制するんだろうと思いましたよ。


―― 終戦の放送はどんな気持ちで聞かれたんですか? 


五島 聞きませんでした。新得というのは十勝の山の中ですから。道で出会った同級生から「日本は負けた」と知らされました。すぐそこにみんなで座り込んじゃって、どうしたらいいかというようなことを相談しました。ただ、いろんな日本人がいるものだと思ったのは、すぐにジャガイモを買い付けに来た商人がいたんですよ。


―― 8月15日の当日にですか?


五島 当日です。他に食料がないわけですから、もちろん儲かりますよね。だから、日本全体がどうすべきとか、みんな一緒になって行動しようとか、よく言うじゃないですか。だけど、やはり一人一人が終末的な状況と向き合って、各自それぞれのやり方で、そこから脱出することを考えておいたほうがいいな、と。

―― 今日は、個人的なこともたくさんお話しいただき、ありがとうございました。五島さんのお仕事の根っこの部分を感じられたように思います。今も何かお書きになってるんですか?


五島 黙示録をテーマにしたものです。まだ書いてませんけど。

―― とてもシンプルな仕事場なんですね。今でも手書きですか?


五島 ええ、私はずっと手書きです。


―― 最後になりますが、これからの日本に言い残しておきたいことがあるとすれば、どんなことですか?


五島 そうですね……。「終末を思う」というのは、自分の家族とか一番大事な人たちをどうやって守るかということなんですよ。この時代、​誰も守ってくれないわけですから。​さっきのジャガイモの話じゃないけど、この前の戦争の時も、戦後に立ち直った人というのは自分で考えていた人です。だから社会がおかしくなったとき、それに立ち向かっていく力を持つ人なら​、未来を切り開いていける​と思う。​私も長く生きてきましたけど、言い残しておけるとすればそういうことですね。「終末を思え、終末の先を切り開け、道は開かれる」

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「僕のまわりを見ている限りでの話ですが、中学→高校→大学と上がるにつれて、ピアノをやっている友人の割合が明らかに増えていったんです。中学は地元の普通の中学だったので、いろいろな家庭事情の生徒がいました。ピアノをやっていた友人は少なかった。でも高校は一応県下ナンバーワンの進学校で、ピアノをやっている友人が結構いました。そして東大に行くとおよそ2人に1人がピアノ経験者なのです。これは親の所得層とも関係するんじゃないかと思いました」

「ピアノは両手で微妙に違う指の動きをすることと、譜面を先読みして覚えて後追いしながら弾くことに意味があるのではないかという説が有力です。ピアノのレッスンを通じて、脳の構造が良い方向に変わることが実証されている、とのことでした」

「かぶき的心情」とは何か

ご承知の通り、幕府はこのような「かぶき者」の気風の横行に手を焼いて、しばしば弾圧を行いました。こうした「上下関係を重んじ、徳を重んじ、武芸に精を出す」ような気風がどうして封建制度にそぐわないのかと言うと、彼らの発想の原点には「強烈な自意識・自己主張」があって、何かの拍子にそれが噴出して封建制度の序列・体系といったものを内部から破壊していく方向に働くという危惧があったからでした。戦国の世ならばそうした気質はプラスにも働らいたかも知れません。しかし、平時においては「強烈な自己主張は秩序の破壊につながる」と受け取られたのです。派手で異様な風俗が嫌われたというのは外見的な要素でして、江戸幕府はこのことをこそ真に恐れたのです。

封建制の主従関係というのは「一所懸命」という言葉からも分かるように、もともと主君が与えられた恩賞としての土地を守ることで、主君と契約関係を結ぶことでありました。ある意味ではドライなもので、恩賞としての土地を取られてしまえばもはや主従関係は成立しないのです。例えば、「織田信長明智光秀に対して丹波の領地を取り上げ、まだ敵の領地である鳥取を与える」、このことを光秀が主従契約の一方的な破棄だと受け取ったとしてもそれは不思議ではない、と思います。これが本来の「主従関係」なのです。


ところがこの主従関係のなかに「意地」や「一分」といった、主従関係とは本来は結びつかないはずの「かぶき的心情」が次第に入り込んでいきます。ひとつには、平時において「戦う機会を持たない武士たち」が武士たるアイデンティティを維持するためにこれは必要なことであったのかも知れません。


山本常朝の「葉隠」(享保元年:1716)には、「武士道とは死ぬことと見つけたり。二つの場(いずれかという場合)にて、早く死ぬかたに片付くばかりなり。別に子細なし。胸すわって進むなり。」という有名な科白がありますが、この裏にも「かぶき的心情」が潜んでいるように感じられます。武士道の根源を「個人のアイデンティティ」に求めなければ、武士が平時に緊張を保ちつづけることは難しかったのでしょう。しかし、それはまた同時に、封建社会の秩序を内部崩壊させる要素をも孕んでいたのです。

こうした「かぶき的心情」が大きな社会問題になったのは、赤穂義士の討ち入り事件でした。大石内蔵助らの行動の裏には、武士の「一分」を守るという強烈な体面意識がひそんでいました。「四十七士の討ち入りは義挙か・暴挙か」、この問題で江戸幕府のなかだけでなく世間が揺れました。それは仇討ちという行為が「かぶき的心情」の所産であり、それが誰の目にも明らかであったのに、それを公に否定すれば封建制の精神的柱である「忠孝」が否定され、それを公に肯定すれば封建制度の「法秩序」が否定される、というジレンマがあったからです。


赤穂浪士の討ち入りとは「赤穂藩士によるアイデンティティの強烈な主張であり、自分たちの存在を世間に認知させようとした行為であった」、こう考えて初めて、赤穂義士たちのエネルギー・世間の賞賛と熱狂・そして幕府の困惑も理解されるでしょう。討ち入りから47年もたってから成立した「仮名手本忠臣蔵」では、こうしたどろどろした熱い要素は整理整頓されて、スッキリときれいな形で提示されています。だから「忠臣蔵」だけ見ていると、このことは十分読みきれないと思います。


赤穂義士の討ち入りを「御政道に対する反抗であった・封建制への批判であった」とする見方は後世の眼から見た読み方だと思います。

かぶき的心情と「世間・社会」

こう考えますと、例えば「寺子屋」(菅原伝授手習鑑)において、松王が我が子小太郎を若君菅秀才の身替わりに立てる行為も「かぶき的心情」から読むことが可能であるかも知れません。

あるいは「熊谷陣屋」(一谷嫩軍記)において、熊谷直実が我が子小次郎を敦盛の身替わりに殺す行為も義経が「若木の桜を守護せん者熊谷ならで他にはなし」と謎をかけたのを直実が受けたわけですが、これも藤の方へのご恩返しであると同時に、「義経が自分を見込んだからには、これに応えなければ俺の体面は果たされない」と直実が考えたと理解されます。


松王・直実がこう考えることが当時の江戸の人々には自然のことであったということが「かぶき的心情」において理解されれねばならないと思います。それは「松王が松王である」・「直実が直実である」ことの証(あかし)を自らたてようとする行為であった ・つまり「自己のアイデンティティー」を主張する行為であったということです。

ここでまず問題にしたいのは、「松王・直実は『自己のアイデンティティー』なるものを誰に対して・何に対して証明しようとしているのか」ということです。身替わりをしたということが世間にばれてしまっては意味がない訳ですから、松王・直実の行為は「世間一般」に向けての行為でないことは明らかです。やはり、これは「自分自身に対して、おのれの体面・義理を果たそうとする」という行為であると思われます。その行為における判断基準は自分にあるということです。これが「かぶき的心情」の根本です。


このことは大事なことなので十分に検討していきたいと思います。松王は「世間は自分を不人情だと言って責める」と言って嘆きますが、しかし松王の行為は世間に対する自分の主張・誇示ではありません。「世間は分かってくれなくても良い、俺は俺の信じる道を行く・これが俺だと言える道を行く」ということなのです。明らかに世間の目を意識はしているけれども、世間は松王の行為の対象ではありません。松王が世間に対して「そら見ろ、俺の忠義が分かったか」と叫んだ訳ではありません。ここが重要な点なのです。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20180103#1514976150
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http://d.hatena.ne.jp/d1021/20180103#1514976157
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20180103#1514981058

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20180103#1514976157

#勉強法


Steve Bannon has nothing to do with me or my Presidency. When he was fired, he not only lost his job, he lost his mind. Steve was a staffer who worked for me after I had already won the nomination by defeating seventeen candidates, often described as the most talented field ever assembled in the Republican party.


Now that he is on his own, Steve is learning that winning isn’t as easy as I make it look. Steve had very little to do with our historic victory, which was delivered by the forgotten men and women of this country. Yet Steve had everything to do with the loss of a Senate seat in Alabama held for more than thirty years by Republicans. Steve doesn’t represent my base—he’s only in it for himself.


Steve pretends to be at war with the media, which he calls the opposition party, yet he spent his time at the White House leaking false information to the media to make himself seem far more important than he was. It is the only thing he does well. Steve was rarely in a one-on-one meeting with me and only pretends to have had influence to fool a few people with no access and no clue, whom he helped write phony books.


We have many great Republican members of Congress and candidates who are very supportive of the Make America Great Again agenda. Like me, they love the United States of America and are helping to finally take our country back and build it up, rather than simply seeking to burn it all down.


 ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)が原稿を確認した書籍によると、バノン氏は2016年6月にトランプ陣営の側近とロシア人弁護士が持った会合について「裏切り行為」だと述べている。


 16年大統領選挙へのロシア介入疑惑や、トランプ陣営がロシア政府と介入を共謀したかを巡り、会合はロバート・モラー特別検察官率いる捜査の焦点になっている。トランプ氏は陣営とロシア側の共謀はなかったとし、ロシア政府も大統領選の介入疑惑を否定している。


 バノン氏はこの書籍で、トランプ氏の長女で大統領補佐官でもあるイバンカ・トランプ氏について、「実に愚か」だと述べたと記されている。イバンカ氏の広報担当は今のところコメント要請に応じていない。


アメリカで来週、トランプ政権の内幕を描いたとする本が出版されるのを前に3日、その内容の一部が報じられました。


それによりますと、ホワイトハウスで一時は「陰の大統領」とも言われたバノン前首席戦略官が、本の著者のインタビューに対し、大統領選挙中にトランプ大統領の長男のジュニア氏や娘婿のクシュナー氏らがロシア人の弁護士と面会していたことについて「裏切り行為だ」などと非難し、「すぐにFBI連邦捜査局に通報すべきだった」と述べたということです。


これに対しトランプ大統領は声明を発表し、「バノン氏は私と何の関係もない。解任され、職を失っただけでなく正気も失った」などと激しく批判しました。またホワイトハウスのサンダース報道官は、本の内容について、「うそだらけだ」と反論し、トランプ大統領が激怒していることを明らかにしました。


バノン氏は、去年8月に政権を去ったあともトランプ大統領の政策を支援する姿勢を取ってきましたが、今回の発言に対してトランプ大統領が強く反発し、双方の関係が悪化したことで、今後どのような影響が出るのかに関心が集まっています。


トランプ大統領は去年5月、過去の大統領選挙で不正がなかったかを調査するためとして委員会を設置し、徹底した調査を求めていましたが、ホワイトハウスは3日、大統領がこの委員会を解散する大統領令に署名したと発表しました。


この委員会をめぐっては、トランプ大統領がおととしの大統領選挙で民主党クリントン氏の得票総数が自身を上回ったのは、数百万人の不法移民が不正に投票したためだと繰り返し主張していたことから、「大統領がみずからの主張の正当性をアピールするための結論ありきのものだ」などと批判にさらされていました。


委員会は、有権者登録している人の個人情報を提供するよう各州政府に求めていましたが、「不正はない」として拒否する州が相次いだほか、市民団体もプライバシーの侵害にあたるとして訴訟を起こすなど反発する動きが出ていました。


トランプ大統領は調査への協力が得られず、みずから設置した委員会の解散を余儀なくされた形です。

#ロン・ポール


中東欧では、ハンガリーポーランドなどの政権が、EUが決めた難民の受け入れを各国で分担する政策に反発し、この政策の実行を求めるEUのヨーロッパ委員会との間で厳しく対立する事態となっています。


去年10月にはオーストリアでEUの難民政策の見直しを掲げる中道右派の政党が国民からの支持を集めて勝利し、極右政党との連立政権を設立させ、EUが進める共通政策に批判的な政権が増えています。


これらの国々は、政策の連携を進めて独自の難民政策を提案するなど、EUの中で存在感を高めつつあり、これまでフランスやドイツを中心に進められてきたEUの政策合意が一層困難になるとの見方も出ています。


難民政策だけでなく、ハンガリーなどがロシアに対する経済制裁の見直しを求めているほか、ポーランド温室効果ガスの削減目標の見直しを訴えるなど、外交政策環境政策でも既存の合意に異を唱えるケースが相次いでいます。


ここ数年、EUを引っ張ってきたドイツのメルケル首相の求心力の低下が指摘される中、ことしはイタリアやハンガリーで選挙が予定されEUの共通政策に批判的な政党が影響力を強めるとの見方もあり、今後、加盟国間の対立が厳しさを増すとの見方も出ています。


ロシアでことし3月18日に行われる大統領選挙では、通算4期目を目指し、支持率が80%を超えるプーチン大統領に対抗できる政治家がいないことから、再選は確実と見られています。


プーチン大統領が再選されれば、2024年まで大統領を務めることができ、事実上4半世紀近くロシアを率いることになります。


しかし、ロシアの民間の調査機関「レバダ・センター」が先月行った調査では、「投票に行く」と答えた人の割合は58%と、ここ最近の大統領選挙前の調査の中では最も低く、若者を中心に長期政権に対する閉塞感が広がっているためだと見られています。


去年3月、ロシアの野党勢力プーチン政権の汚職疑惑の追及を求めて呼びかけたデモには各地で合わせて1万人以上が参加し、国民の間で汚職への不満が高まっていることがうかがえます。


また、ロシア統計庁によりますと、去年11月末の時点で、ロシアでは、収入から税金などを差し引いたあと手元に残るお金、いわゆる可処分所得がおととしに比べて1.4%低下するなど、経済状況は依然として厳しく、課題は山積しています。


 シリアのロシア空軍基地が2017年末に大規模な攻撃を受け、航空機7機、負傷者10人などの大損害を出していたことがわかった。


 1月3日付のロシア有力紙『コメルサント』によると、攻撃を受けたのはシリア西部にあるフメイミム空軍基地。2015年9月の軍事介入開始以来、ロシアの主要拠点として用いられてきた基地で、常時30-35機程度の戦闘機や戦闘爆撃機と、これとは別に戦闘ヘリコプター部隊や無人偵察機部隊などが展開してきた。


 攻撃は大晦日の12月31日に行われ、迫撃砲によってSu-24M戦闘爆撃機4機、Su-35S戦闘機2機、An-72輸送機1機が破壊されたほか、弾薬庫も誘爆を起こしたという。人的損害を別とすれば、1日で7機の航空機を喪失するのはロシアのシリア作戦史上において最悪の損害ということになる。

 フメイミム基地といえばプーチン大統領が12月11日に電撃訪問し、シリアにおける対テロ作戦の勝利を宣言したばかりだった。この際、プーチン大統領はフメイミム基地から「大部分の兵力」を撤退させるよう国防省に命じるとともに、「再びテロリストが頭をもたげたら、かつて経験したことのないような力を以て粉砕する」と述べていた。


 フメイミム基地を攻撃した勢力は今のところ特定されておらず、ロシア国防省からも公式の発表はないが、事実であればプーチン大統領の勝利宣言に対する強烈なカウンターということになる。

 とはいえ、このことを以てロシアのシリア戦略が大きく変化することも考え難い。一時は風前の灯となっていたアサド政権にロシアは軍事的支援を与え、シリア内戦をめぐる構図を大きく書き換えることに成功した。ロシアの関心は、すでに内戦終結後のシリアに移っている。


 ほぼ明らかなことは、アサド政権を軍事的に打倒することは不可能になったということと、ロシアが今後ともシリアへの軍事プレゼンスを維持するということである。


 すでにロシアはフメイミム基地の長期租借協定を結び、基地の大拡張を完了しているほか、今後は地中海のタルトゥース港に設置された小規模な補給・整備施設を本格的な海軍基地へと拡張することも決定している。ロシアはエジプトとの間でも飛行場の使用に関する協議を行っており、かつてのソ連が地中海から中東に掛けて有していた程度の軍事プレゼンスを復活させようとしているように見える。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20171211#1512989243


FRBは3日、半年ぶりに政策金利の引き上げを決めた先月の会合の議事録を公表しました。


この中では、トランプ政権による法人税の大幅な減税を含む税制改革が景気に与える影響について議論され、会合の参加者の多くが企業の設備投資や個人消費が後押しされると指摘していたことが明らかになりました。


ただ、先月の会合の段階では税制改革の法律が成立していなかったことなどから「影響は不透明だ」としています。


一方、何人かの参加者が、株式など資産価格の上昇が金融市場の安定に向けたリスクになっていると指摘し、過熱感が高まっていることに懸念を示していました。


FRBは、ことし3回の利上げを想定して、引き続き緩やかな利上げを進めていく姿勢を示しましたが、税制改革の影響や伸びが鈍化している物価の動向を見極めながら、利上げのペースを検討していくことにしています。

#FRB