ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇が21日、88歳で亡くなりました。各国では、その死を悼む動きが広がっています。新しい教皇は、枢機卿たちによるコンクラーベと呼ばれる選挙で選ばれます。
※記事後半では「コンクラーベ」についてもお伝えしています。
目次
《世界各国から悼む声》
《サッカー界も追悼》
《国内でも悼む声 万博会場や長崎などで》
《教皇選挙「コンクラーベ」とは?》
アルゼンチン出身のフランシスコ教皇は、2013年に中南米出身者として初めて教皇に選ばれ、2019年には、日本を訪れ、被爆地の広島や長崎でスピーチを行い、核兵器の廃絶を訴えました。
ことし2月から1か月余りにわたり入院するなど、健康への懸念も広がっていましたが、20日には、キリストの復活を祝うイースターにあわせて姿をみせていました。
ローマ教皇庁は、教皇が21日午前7時半すぎに亡くなったと発表し、その後、死因について、脳卒中と心不全だったと明らかにしました。88歳でした。
バチカンにあるサンピエトロ広場では、21日夜、信者など大勢の人々が集まり、追悼の祈りをささげました。
また、フランス・パリにあるノートルダム大聖堂や、イギリス・ロンドンのウェストミンスター大聖堂などでも祈りがささげられ、世界各地でその死を悼む動きが広がっています。
ローマ教皇庁によりますと、教皇の遺体は23日にもサンピエトロ大聖堂に移され、最後の別れのために信者などが訪れることができるようになる見通しで、こうした動きは、教皇に次ぐ地位にある枢機卿たちが22日に開く会議を経た上で正式に決まるということです。
また、新しい教皇は、枢機卿たちによるコンクラーベと呼ばれる選挙で選ばれます。
ロイター通信によりますと、コンクラーベは、通常、教皇が亡くなってから15日から20日後に行われるということで今後、新しい教皇に誰が選ばれるのかについても関心が高まりそうです。
《世界各国から悼む声》
教皇が亡くなったことを受け、ローマ・カトリック教会の枢機卿の1人、菊地功さんがメッセージを発表しました。
菊地さんは、フランシスコ教皇が明確なリーダーシップを持っていて、愛といつくしみに満ちた力強い存在を失ったと追悼しました。
そのうえで「長崎、広島、東京において多くの方々と出会う中で、世界に向けて核兵器廃絶による平和の確立と、すべてのいのちを守ることの重要性を力強く発信されました」と強調しました。
また、菊地さんがローマを訪問した際、教皇と直接会話を交わしたことを振り返り「権威に基づいて命じるのではなく、耳を傾けともに歩もうとする教皇フランシスコの姿勢に私たちは多くを学びました」と述べ、謝意を示しました。
石破総理大臣は談話を発表し、この中で「深い悲しみを禁じえません。強い発信力をもって環境保護や平和外交の推進などに尽力され、2019年に教皇として38年ぶりとなる訪日を実現されると、広島と長崎を訪問し、平和への力強いメッセージを発信してくださりました」としています。
その上で「これまでのご功績に心から敬意を表し、日本政府および日本国民を代表して心から哀悼の意を表します」などとしています。
アメリカのトランプ大統領は21日、SNSに「安らかにお眠りください。神のご加護が、フランシスコ教皇と彼を愛したすべての人々にありますように」と追悼のメッセージを投稿しました。
また「メラニアと私はフランシスコ教皇の葬儀に参列する。現地に行けることを楽しみにしている」と投稿し、亡くなったフランシスコ教皇の葬儀にメラニア夫人とともに参列する意向を明らかにしました。
キリスト教徒が人口の多数を占める南米のブラジルのルーラ大統領は21日、声明を発表し「人類は他者への尊重と慈しみの声を失った。教皇は、憎しみのあったところに愛を、不和のあったところに団結を、そして皆平等であるという理解を、私たちの故郷である地球という同じ家で共に生きるために、休むことなく追求した」とフランシスコ教皇の死を悼みました。
そのうえで「教皇はその簡素さ、勇気、共感を通じて、気候変動の問題をバチカンに持ち込んだ。彼は、人類にこれほど多くの不公正をもたらした経済モデルを激しく批判した」などと気候変動や貧困問題に取り組んできた教皇の姿勢をたたえました。
専門家「次の教皇が誰になるかで世界の雰囲気変わる」
国際政治が専門で、ローマ教皇に詳しい日本大学の松本佐保教授は、教皇が亡くなったことについて「20日はイースターサンデーで世界に14億人いるカトリック信者にとってクリスマスよりも重要な日だった。その翌日に非常に悲しいニュースが飛び込んできて、世界中の人が悲しんでいる。今思えば、20日は、最期の生きる力を振り絞って信者に対して奉仕をしたのだろう」と述べました。
そのうえで、気さくで親しみやすい人柄で知られたフランシスコ教皇について「一般の信者に寄り添うという態度を非常に強く取ってきた。単にバチカンに引きこもっているのではなく、日曜日はきのうのようにサンピエトロ寺院に出てきたり、赤ちゃんをだっこしたりして、寄り添う姿が本当にシンボルで、非常に人気のある教皇だった。ショックをうけている人は多いと思う」と話していました。
またフランシスコ教皇は、ユダヤ教やイスラム教など他の宗教との対話を重視してきたとしたうえで「実際に中東のUAE=アラブ首長国連邦やイラクも訪問した。口だけで平和がいいですよ、人を愛しなさいと言うだけではなく、行動によって、紛争や対立を少しでも緩和しようとしてきた」と述べました。
そして世界で対立や、移民の排斥などが増える中、仲介役を務めようとしたと指摘し、「他者に対する排除ということに対して少しでも寛容になるべきだというメッセージを送ることが、自身の使命だと考えていたのではないか」と述べました。
さらに次の教皇が決まるまで、教皇がいない状態になることについて「14億人の信者にとっては望ましいことではないので、なるべく早く新しい精神的な指導者である教皇を選ぶことが求められる」と指摘しました。
また、松本教授は「フランシスコ教皇は環境問題についても非常に多くの発言をしてきた。次の教皇がそうした問題を重視しなくなれば、国連などの国際水準にも影響を及ぼすということは言えると思う。誰になるかでかなり世界の雰囲気は変わってくると思う」と述べ、新たに選ばれる教皇が世界に与える影響は小さくないと指摘しました。
《サッカー界も追悼》
メッシ選手「あなたがいなくなると寂しくなる」
フランシスコ教皇が亡くなったことを受けて、サッカーのアルゼンチン代表、メッシ選手は自身のSNSを更新し、教皇と面会した際の写真を添えたうえで、「フランシスコ教皇、安らかに眠ってください。世界をよりよい場所にしてくれてありがとう。あなたがいなくなると寂しくなります」とコメントしています。
アルゼンチン 国内リーグの全試合を延期
教皇の出身国、アルゼンチンのサッカー協会は、21日に予定されていた国内リーグのすべての試合を延期しました。また、27日までに行われる試合で、試合前に1分間の黙とうをささげるということです。
フランシスコ教皇はサッカー好きとして知られ、アルゼンチンのスーパースター、故・ディエゴ・マラドーナさんやメッシ選手とも面会していました。
アルゼンチンサッカー協会はホームページを通じて「悲しみと哀悼の意を表し、敬意を表します」とコメントしています。また、イタリア1部リーグも21日のリーグ戦のすべての試合を延期しました。
《国内でも悼む声 万博会場や長崎などで》
万博の会場では記帳所 メッセージはバチカンへ
大阪・関西万博の会場では、イタリアパビリオンの中にあるバチカンの展示の入り口付近に、22日朝から弔問を受け付ける記帳所が設けられました。
記帳所にはフランシスコ教皇の写真が飾られ、訪れた人たちが教皇の死を悼んでメッセージをつづっていました。
記帳した大阪府の30代の女性は「世界のためにとても尽力された方だと思うので、ありがとうございましたと伝えたいです。安らかにお休みください」と話していました。
パビリオン関係者によりますと、記帳されたメッセージは後日、バチカンに送られるということです。万博会場では、バチカンだけでなくドイツやスペインなどのパビリオンでも半旗を掲げていて、各国が弔意を示しています。
長崎では等身大のパネル
フランシスコ教皇が6年前に訪れた長崎市の西坂公園では、教皇を悼む声や、生前の功績を評価する声が聞かれました。
公園内にある「日本二十六聖人記念館」の入り口に設置されているフランシスコ教皇の等身大のパネルの前には花が供えられ、世界各地から大勢の人たちが訪れて教皇を悼んでいました。
東京中野区の修道院でミサ
東京 中野区の「イエズス会神学院」は、フランシスコ教皇の出身母体、「イエズス会」の修道院です。22日朝は、教皇が亡くなったことを受けて、アルゼンチン出身でフランシスコ教皇の弟子のホアン・アイダル神父が、ミサを執り行いました。
アイダル神父は「亡くなった教皇のために祈りたいと思う。 神様が教皇を通して与えた恵みを大切にしたい」と話すと、参列した修道士10人あまりが、手を合わせて教皇を悼んでいました。
教皇と生前から親交が深かったアイダル神父は「体調が悪いというニュースを見て心配していたが、亡くなったと聞いて驚いたし、長い付き合いだったのでとても寂しかった。私にとっては理想の先輩で、本当に裏表のない人柄だった。教会を大きく変えた人で、多くの人が世界を変えるにはお金や力が必要と考える中、優しさやよい行いが世界を変えられると示されていたと思う」と話していました。
《教皇選挙「コンクラーベ」とは?》
3分の2以上獲得まで投票繰り返される
新しい教皇は、教皇に次ぐ地位にある枢機卿たちによって「コンクラーベ」と呼ばれる選挙で選ばれます。
コンクラーベとは、ラテン語で「鍵がかかった」という意味で、13世紀に教皇の選出が紛糾して3年にわたって空位が続いた際に、怒った市民が枢機卿たちを閉じ込め、新しい教皇を選出させたことがその由来とされています。
コンクラーベは、教皇の死去や辞任の後、原則として15日から20日の間に始まることになっていますが、枢機卿が集合していれば開始を早めることも可能です。世界各地の80歳未満の枢機卿が参加し、ミケランジェロのフレスコ画「最後の審判」で知られるシスティーナ礼拝堂で行われます。
投票総数の少なくとも3分の2を獲得した枢機卿が就任を受諾すれば新しい教皇に選ばれますが、要件を満たす枢機卿が出なければ、翌日からは午前と午後に合わせて4回、投票が繰り返されます。
初日を含めて3日間、新しい教皇が選ばれない場合は、最長で1日の祈りなどの期間を設けてから再び投票を始めます。
期間中は外部に連絡できず 投票結果は煙の色で
コンクラーベの期間中、枢機卿たちは専用の宿泊施設に寝泊まりしますが、選挙の間は厳しく秘密が保たれ、緊急時を除いて外部との連絡を禁じられるほか、新聞を読んだりテレビを見たりすることもできなくなります。
投票の結果、新しい教皇が決まらない場合は煙突から黒い煙があがることになっていて、新しい教皇が決まると礼拝堂の煙突から白い煙があがり鐘が鳴らされることになっています。
教皇が新しく選ばれると、大勢の信者たちが見守る中、バチカンのサンピエトロ大聖堂のバルコニーに姿を見せ、世界に向けてメッセージを送ることになっています。
20世紀以降のコンクラーベ 最速は2日で決定 14回投票も
コンクラーベは、20世紀以降、10回行われています。
コンクラーベは、3分の2以上の票を得る枢機卿が出るまで繰り返し投票を行うことになっていて、過去10回で最も早いケースは2日目に教皇が決まっています。
1939年のピオ12世はこれまでで最も早い2日目に3回目の投票で選ばれたほか、1978年のヨハネ・パウロ1世と、前々回・2005年のベネディクト16世は、いずれも2日目に4回目の投票で選ばれました。
また前回・2013年は、2日目に5回目の投票でフランシスコ教皇が選ばれました。コンクラーベはこれまで教皇の死去に伴って行われるのがほとんどでしたが、前回は先代のベネディクト16世が高齢による体力の低下を理由に生前に辞任して行われた異例のケースでした。
一方、20世紀以降最も時間がかかったのは1922年にピオ11世が選ばれたコンクラーベで、5日目に14回目の投票で決まりました。
21日に死去したローマ教皇フランシスコの後継者の予想はあまりにも難しい。イタリアには「教皇としてコンクラーベ(教皇選挙)に臨んだ者は枢機卿のまま出てくる」という格言がある。それだけ番狂わせが多いということだ。
しかしその困難さを承知した上で後継者に浮上している枢機卿を列挙する。
・ジャンマルク・アヴリーヌ枢機卿(仏マルセイユ教区大司教、66)
1960年代にカトリック教会の改革に取り組んだ教皇ヨハネ23世に容貌が似ており、国内のカトリック界の一角では「ヨハネ24世」として知られる。庶民的かつ気さくな人柄で、移民問題やイスラム教との関係などの点で教皇フランシスコに考え方が近い。教皇に選ばれれば14世紀以降で初めてフランス人としてカトリック教会の頂点に立つことになる。
・ペテル・エルデ枢機卿(ハンガリー、72)
保守派陣営に属しながらフランシスコ教皇の進歩的な陣営ともつながりがあり、選出されれば妥協の結果と受け止められるのが確実。すでに2013年の前回の教皇選挙でも候補となった。欧州やアフリカの教会ネットワークを握るとともに、世俗化の進んだ先進諸国におけるカトリック信仰の再活性化活動における先駆者と目されている。イタリア語が流ちょうで、ドイツ語、フランス語、スペイン語、ロシア語も話す。
・マリオ・グレック枢機卿(シノドス事務局長、68)
地中海に浮かぶマルタ島の出身で、教皇フランシスコによってバチカンの要職、シノドス(世界代表司教会議)事務局長に抜擢された。当初は保守派と目されていたが、この数年はフランス教会改革の騎手となった。
・フアン・ホセ・オメラ枢機卿(バルセロナ教区大司教、79)
教皇フランシスコに似て気さくな人物。1970年代にスペインの教区で司祭を務めた後、コンゴ民主共和国(旧ザイール)で1年間布教活動を行った。聖職者による児童への性的虐待についてたびたび謝罪しているが、虐待の件数自体はそれほど多くないとしている。
・ピエトロ・パロリン枢機卿(バチカン国務長官、イタリア、70)
進歩派と保守派の双方にとって妥協的な候補者と見られている。長年にわたって外交に携わり、2013年からバチカン国務長官を務める。バチカンの中国、ベトナムとの和解を成し遂げる上で主要な役割も担った。
・ルイス・アントニオ・タグレ枢機卿(フィリピン、67)
社会正義を重視する姿勢から「アジアのフランシス」とも呼ばれる。教皇に選出されればアジア出身者として初めてとなる。1982年に叙階して司祭となり、数十年にわたる司牧経験を持つ。その後、司教、大司教となり運営面で経験を積んだ。
・ジョゼフ・トビン枢機卿(米ニュージャージー州ニューアーク大司教、72)
米国人が教皇になる可能性は低いとみられるが、もしそのようなことが起きるならトビン枢機卿が選出される場合だろう。デトロイト出身。世界各地で過ごし、イタリア語、スペイン語、フランス語、ポルトガル語を操り、米全土のカトリック教会のトップの職にある。
・ピーター・タークソン枢機卿(ガーナ、76)
サハラ以南のアフリカ出身者として初の教皇候補。長いことガーナで司牧活動を行い、バチカンでも実務経験を積んでおり、コミュニケーション能力は高い。
・マッテオ・ズッピ枢機卿(イタリア・ボローニャ大司教、69)
選出されれば1978年以来初のイタリア人教皇となる。ブエノスアイレス時代のフランシスコ教皇と同様に「ストリート・プリースト(街の司祭)」として知られる。移民や貧しい人々への支援に力を入れ、儀式や形式にはほとんど関心を持たない。ボローニャでは公用車ではなく自転車を使うこともある。