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大前 研一氏 金融大地震に世界がやるべきこと、日本ができること(1)

 米国は長いトンネルに入ってしまったな、という感は否めない。オバマのキャビネットを見る限り日本との唯一の違いは日本では5〜6年かかったこうした政策が数カ月で矢継ぎ早に繰り出されているところだ。しかしそれが吉と出るのか凶と出るのかは今のところ予断を許さない。

 もちろん、現在も米国では住宅ローンは出されている。しかしそれは、かつてあった健全さは失われている。なにしろ住宅ローンのうちの26%は、FHA(Federal Housing Administration:連邦住宅局)の保証がついている。

つまり、本来はとても買えそうもない人に、政府保証があるからいざというときにも大丈夫ですよと甘言をささやいて、今もなお買ってはいけない人々に住宅を売り込むという人為的な操作が行われているのだ。

 現在、我々はかつて見たことのない米国を目の当たりにしている。すなわち「なにか問題があった場合には連邦政府がフォローする」という米国だ。言うまでもなくそれは「米国=自由主義経済・市場原理」といったイメージの対極にあるものだ。

そうしたなか、唯一日本は落ち着いているといってよい。幸か不幸か日本は落ちるところまで落ちてしまい、この危機のおかげで他の国ほどバブルがなかったからだ。

今後日本に強いリーダーが現れて経済運営をしっかり行えば、世界経済のターンラウンドをリードすることができるということだ。

 実は、金融危機というのは、この20年ほどのあいだに何回か起こっている。1988年の米国ではS&L危機があった。

 日本では1989年12月からバブル崩壊が始まった。北欧では1991年から1993年に銀行危機があった。その後1990年代の世界経済はかなり快調に回復してきたが(日本を除く)、1997年6月のアジア通貨危機(著名な投資家ジュリアン・ロバートソンがタイのバーツを売り浴びせた)の影響は大きく、12月には韓国にまで波及した。ほぼ同時期にはロシアでも危機、この時ロシアはデフォルト(債務不履行)を宣言し、これを契機にエリツィンは失脚し、プーチンの登場となったという経緯がある。

 日本では不良債権処理の際に多くの銀行が倒れ、「too big to fail(=倒産させるには規模が大きすぎる)」の方針のもと、大蔵省(当時)の主導で3行に合併させた。

 2000年に入ってから、いわゆる「新興国ブーム」が到来した。この新興国の経済成長の裏で、資源や食料などの需要と供給のバランスが崩れはじめた。つまりはレアメタル穀物が暴騰するというバブルが生じたのである。2000年以降の世界の経済成長はこうした新興国が牽引してきた。

 一方、その間、先進国はひたすら経済成長せず、住宅の方へと走った。

 日本の場合、ファンダメンタルは悪くはない。しかしこの間、伸びていた産業は「中国特需」であった。構造不況業種といわれているような鉄鋼、造船といった産業が中国特需で戻ってきた。その意味では「バイアグラ経済」とでも呼ぶべきものである。中国需要がなくなれば、こうした産業も減速する。

 この損失をどう補填するか。日本の不良債権危機では、国民が低金利を受け入れ、配当されてしかるべき利息を補填に回した。だが、米国人はゼロ金利政策下の銀行に定期預金を預けたままにしておく国民性ではない。そこで引き揚げられた預貯金は、海外のどこへ運用先を求めていくのか、そこがまったく未知である。

 今、ドルの価値はある程度、維持されている。その大きな理由の一つがヘッジファンドの解消売りである。ヘッジファンドを解消した場合、戻ってくるのは2〜3割程度。それでも売りに出すのは、ロスを出してもキャッシュが欲しいという構図があり、それによってドルが不足し、その高さが維持されているのだ。けっしてドルが信頼されているからではない。

 この動きはあと数か月で終わるといわれている。

 EU欧州中央銀行の創設を定めたマーストリヒト条約には、通貨を防衛するという機能がうたわれていない。ユーロ圏15カ国は通貨防衛という試練にさらされたことがないのである。ヘッジファンド欧州中央銀行を空っぽにしようと思えばできる状態であって、だからこそユーロの空売りが行われている。

 ブッシュ政権下で財務長官を務めているヘンリー・ポールソン氏は、元ゴールドマン・サックスの会長兼最高経営責任者である。だから、問題が起これば解決するという本能がある。しかしシステミック・プロブレムに対してはシステミックに対応しなければならないところを、個別案件処理で対応してしまっている。だからパニックが去らずに、本稿冒頭の「地震計」で見ていただいたように、地震は収まる気配がない。