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齊藤 誠  一橋大学大学院経済学研究科教授 低生産性・高コスト構造を自覚せよ|デフレ日本 長期低迷の検証|ダイヤモンド・オンライン

──日本経済の現状をどうとらえているか。


 実質国内総生産GDP)も物価水準も為替レートも、主な経済指標は「長期均衡水準」にある、と思う。長期均衡水準とは、さまざまな歪みが調整された後の実力値のことだ。日本経済は今、実力どおりの水準に落ち着いている。

 だが、人びとの期待値は、長期均衡水準よりも高いところにある。そのギャップを我慢できず、なんとかして埋めたいという思いが需給ギャップ解消、デフレ脱却、成長戦略前倒し、といった勇ましい政策要求につながっている。

──なぜ、主な経済指標が長期均衡水準にあると考えるのか。


 GDPは、2002年から07年にわたる戦後最長の景気回復期に約1割増加した。だが、08年に入って失速し始め、リーマンショックでとどめを刺されてからGDPの約1割が消し飛んだ。戦後最長の景気回復は、実力不相応の砂上の楼閣だったからだ。


 なぜか。当時の日本の物価水準は、他の先進国に比べ1割ほど低かった。物価水準が低下すると、通常ならば通貨が上昇、つまり円高になって実質修正される。だが、日本は量的緩和が続けられていたことで、逆に通貨は下落、1割ほどの円安になった。合計2割も円が安くなったことで、輸出が急拡大し、景気回復を主導した。


──当時の円安は、通常ならありえない異例の事態ということか。


 そうだ。だから、リーマンショックで調整が起こった。内外物価価格差を埋め合わせるように円高が進んだのだ。ただし、08年から09年にかけては世界的金融危機が起こり、基軸通貨のドルに対して需要が集中、円とのあいだでは調整が進まなかった。その後、本来の意味の円高修正が起きて、今、長期均衡水準に見合うに至った。

 確かにデフレは続いているが、年率1.1%程度の軽微なものだ。

いずれにしろ、日本経済に惨禍をもたらすようなデフレは、データにいっさい認められない。

 自分にとってのあるべき姿というフィルターを通してデータを取捨選択する、あるいは、あるべき姿に合わせて現実を歪めて解釈することが、この10年間、度を越えていたのではないか。


 年率2〜3%の物価上昇が望ましいと考える人は、現実の水準は危険に見える。輸出振興の立場からは、実質為替レートではなく名目為替レートだけに着目して、15年ぶりの円高だと騒ぐ。こうした視野の狭い危機感にあおられ、マクロ経済政策を拙速に打ち出すべきではない。

 長期均衡水準だからといって、現状をよい状態だと是認しているわけではない。為替レートを購買力平価で換算し、日米を比較すると日本の1人当たりGDPは米国の90%程度、1人当たり家計消費は70%台前半という惨めさだ。他の先進国と比べても消費力は低く、豊かな生活は望めない。

 日本経済の実力値を上げる努力をするしかない。そのためには、低生産性で高コスト体質という根本問題から目をそらさず、経済構造を本気で変える議論をあらためて始める必要がある。

 02〜07年の景気回復は輸出と設備投資の増強が牽引したが、前述したように物価と為替で2割もコストが低下するという神風が吹いた。リーマンショックで神風がやみ、長期均衡水準に向かって調整が始まると、輸出産業のもともとの低生産性・高コスト構造が露になった結果、輸出は落ち込み、回復は今も遅れている。


 産業界は当時、神風を実力だと勘違いした。当時の力が実力だと錯覚しているから、現在の水準が低過ぎるように見え、マクロ経済政策に責任を転嫁するのだ。当時ができ過ぎで、正味の力ではなかったと冷静に受け止められなければ、体質改善に向き合えない。


 実力を過信せず、あるいは為替の要因が大きいのだから韓国企業の躍進に怯えて自信喪失にも陥らず、国際競争力をいかに向上させるか、地道に努力するしかない。

──政府の果たすべき役割は何か。


 1997年から02年までのあいだ、日本経済はかつてない雇用調整に直面した。失業者は230万人から359万人に増加、失業率は3.4%から5.4%に跳ね上がった。ところが、この5年間で節約できた実質労働コストはわずか1%だった。


 なぜか。雇用調整が非正規社員と若年層に集中し、コストの高い中高年の正社員は守られたからだ。この構造を企業は自覚していない。


 ただし、自覚していたとしても対処は難しい。問題の核心は、厳格過ぎる解雇規制など硬直した労働市場にあるからだ。政府はこうした社会経済インフラの改革にこそ立ち向かうべきだ。なにより、政策発想の転換が今こそ必要だ。

──どんな政策発想の転換か。


 量から質へ、あるいは、フローからストックへの政策転換だ。今後の少子高齢化の加速を考えれば、GDPの増大は望みにくい。だが、それは人びとの不幸せに直結しない。GDP総量ではなく、1人当たり家計消費を経済の体温計にして、生活の質の向上に政策の焦点を当てるべきだろう。


 たとえば、戦後の日本は住宅投資によって景気回復を図る発想が非常に強く、時々に優遇税制や融資支援制度を設けてきた。だが、もはや、都市部の住宅ストックは人口比で十分蓄積されてしまった。今後必要なのは、個々の住宅の質の向上であり、それも住宅と公園などを組み合わせた都市全体の縮小再設計の一環として行われることだ。とにかく住宅着工件数を増やすことに専念してきた政府の発想転換が必要だ。

──では、日本銀行の役割は何か。


 経済指標が長期均衡水準から上下に離れた場合は、金融政策は有効だが、日本経済の実力向上という長期課題にできることはない。


──政府はデフレ脱却のために、日銀に量的緩和を迫っている。


 ごく普通の知性のある人なら、金融政策がどんな形態を取ろうとも魔法の杖になるなどと思わないはずだ。政府その他で量的緩和論が盛んなのであれば、議論のレベルが低いとしかいいようがない。


 物価だけでなく、為替にしても、需給のありようにしても、経済事象を一つだけ取り出して、それを改善するためにがむしゃらに働きかけることなど、すべきではない。わざわざコストをかけて、新たな歪みを生じさせるだけで、実力値を向上させるという日本経済の課題を解決するものではない。


 すべての産業で、たとえば私の所属する大学のような知識集約産業も、国際競争力が欠如していることを自覚し、自らの責任として立ち向かうべきであり、政府はその支援に回るべきだろう。