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 西洋社会に計り知れない影響を及ぼした古代ローマの格言に〈法は家庭に入らず〉がある。家族間の揉め事は家庭のなかで解決するものであり、みだりに国や行政が介入すべきではないということだ。

 この法諺が紀元前から連綿と語り継がれてきたのは、人々がそこに時代を超越した真理を見出してきたからに他ならない。

 だが、21世紀を迎えた我が国では、古代ローマ人の戒めに逆らって「法を家庭に」入れようとしている。果たして、これを時代の変化のひと言で片づけてよいのだろうか――。

 3月19日、政府は、児童虐待防止法児童福祉法の改正案を衆院に提出した。法案の要点は、「親による体罰の禁止」と「児童相談所の機能強化」だ。

 この法案は、今国会での早期成立を経て2020年4月にも施行される公算が高い。現行の児童虐待防止法では、違反者に懲役1年以下の罰則が科されるが、与党内からは更なる厳罰化を求める声も上がっている。

 読売新聞が3月に実施した世論調査でも、「親から子供への体罰を法律で禁止すること」について「賛成」が59%を占めた。「反対」と答えた24%の2倍以上にのぼる数字である。

 もはや「親」と呼ぶことさえ憚られる鬼畜の所業は、虐待どころか拷問であり、なぶり殺しに等しい。

 被害女児がいずれも名前に「愛」の一文字を授けられていることも悲哀を誘う。驚くべきは、どちらの事件でも父親は自らの凶行を「しつけの一環」と供述したことだ。陰惨な事件の記憶が生々しく残るいま、家庭内でのしつけを「法」によって縛る他ないという意見が大勢を占めるのは頷けなくもない話だろう。

 とはいえ、教育現場で教師が拳をふり上げて生徒を叱れなくなって久しいなか、親すら我が子に鉄拳制裁できなくなるとは……。そもそも、こんな悲惨な事件が繰り返される最大の原因はどこにあるのか。

 評論家の唐沢俊一氏が指摘するのは、昨今の著しい「親の劣化」である。

「1980年代以降、行き過ぎた個人主義や人権主義の考え方が家庭にも入り込んできました。“人間は自由に生きるべきである”と教えられた若い親たちにとって、子どもは自由を阻害する邪魔者に見えているのだと思います。だから、“犠牲者”である自分の苛立ちや怒りを暴力という形で子どもにぶつけて恥じない。そして、虐待が露見したら、“しつけ”という言葉で正当化しようとする。卑怯極まりない振る舞いです。愛情も責任感も欠如した親が減らない限り、法改正によって虐待事件が無くなるとは到底、思えません」
 もちろん、すべての親をひと括りにするわけではないが、加減など一切考えず、容赦なく子どもに暴力を振るって命を奪う親が後を絶たないのも事実。危機感を募らせるのは、脚本家の橋田壽賀子氏も同じだ。

「すべての虐待は子どもではなく親の問題です。大人になり切れず、親の自覚もない人間がモンスターペアレントになってしまう。現実に、そんな異常な親が存在する以上、法律で“体罰はダメ”と定めるだけでは無責任ですよ。虐待をやめられない親はより陰湿な手段に流れてしまう。それとは別に、子育てに悩んで思わず手が出てしまう親も少なくないはずです。児童相談所だけではなく、親を矯正・教育する施設を造ることも考えた方がいい」

 他方、評論家の呉智英氏はこんな見解を示す。

「家庭内に法権力が介入することには慎重を期すべきです。もちろん、“それでは体罰を野放しにするのか”という意見も理解できる。しかし、悪事を働いたわが子を偶発的に叩くのと、執拗に暴力を振るい続けるのでは全く意味合いが異なります。後者の場合、親がいじめを快楽と感じている。今回の法改正はこんな親の犠牲になっている子どもを救うための緊急措置的な妥協策なのでしょう」

 要は、「いまの親は放っておけば虐待に走ってしまう」と断じられたも同然。加減を知らぬ愚かな親が増え、法で縛らないと子どもの命を守れないとは世も末だ。日本はいつからこんな情けない国になったのか。前出の唐沢氏が慨嘆する。

「このまま“ガンコ親父”と“ゲンコツ”が過去の遺物になってしまうと、子どもたちの未来がますます不安です。弱い者いじめや殺人は決して許されないという社会のルールは、幼少期から問答無用で叩き込む必要がある。それなのに法律によって親が手足を縛られたら、これまで以上に子どもへの関わりをためらうようになるでしょう。戦後の日本では一貫して家族の絆が崩壊し続けてきましたが、今回の法改正でトドメを刺された気すらします」

 元航空自衛隊空将の織田(おりた)邦男・東洋学園大学客員教授も、今回の法改正に異論を唱える。

「女児が犠牲となった虐待事件における父親の行為は、自らの鬱憤を晴らし、憎しみをぶつけるためだけの暴力です。しつけの域を大きく逸脱していることは疑いようがありません。ただ、法律によって家庭内での体罰を一律に禁じることには首を傾げざるを得ない。このご時世、体罰を禁止すれば世論の支持も集めやすいとは思います。しかし、重要なのは、法改正が本当に子どものためになるのかということです」

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野党と左翼リベラルの現役文化人は最初から白旗を上げて降参し、独裁者の大勝利で終わるかに見えたが、天皇(皇室・東宮)が粘り、粘り腰の末に老知識人と謀って逆転勝利を遂げた。

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こうした状況は複数の教員が目撃していたが、怒っている男子生徒をなだめるといった場当たり的な対応に終始した。

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大胆な理論や仮説を議論することを避けて、瑣末な枝葉の議論に終始するポストモダン的な瑣末主義である。

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そもそも『公』より『私』を優先なさるお2人の姉宮のご様子を見るにつけ、何より『公』の重要性を理解されねばならない悠仁さまへの“帝王教育”は大丈夫なのか、と不安にならざるを得ないのです

#家父長制#家族主義

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よく混同される自由と放逸は、そういう意味においてはまったく逆の意味であり、抑圧により自制を失った放逸はむしろ、自由ではなく奴隷性の象徴です。

#法の支配#令和

ひと言で言うと「子ども受難の時代」だと思います。

この30年振り返ってみると、子どもの不登校の問題、いじめの問題、教師からの体罰とか指導死と言われる問題。虐待の問題、それから貧困の問題、経済格差と学力との格差がまったく固定してしまった問題。

今言った問題が、データ的にはどんどん増えてきている。あるいはデータの変化はあまりないにしても悪質化している。子どもの分母が減っている中で、絶対的な数が増えてきているのは大変な問題だと思います。

不登校の問題は昭和の時代から言われていましたよね。だけど、平成元年のころは5万人ぐらいだったのが、現在では14万人なんです。つまり倍増しているんです。生徒数は40パーセントも減っている中で総数が増えている。

だけどそのなかには、学校ぎらいと言うか、学校をあまり必要としないという意識が広がっていて、つまり学校の価値が相対的に低くなり、学び方は多様にあるので、別に学校に行かないでホームエデュケーションをやってもいいのだという認識が広がってきたこともあるんです。それから教育機会確保という法律が通って、学校に行かないのも1つの考え方みたいに幅広く捉えられるようになってきたのは大きな進歩だと思います。

いじめの問題もデータは急激に増えていて、平成元年ごろは3万件ぐらいだったのが、今のデータでは41万数千件と、大変な増え方になっているんです。ただ、注意しないといけないのは、これまでの発生主義から認知主義になって、被害者がいじめだと思ったらいじめだとカウントしましょうと、データの取り方そのものが変わっているところも重視しないといけなくて、進歩した側面もあるんです。だから単純に捉えることはできないのですが、依然として数はどんどん増えていると、それは諸外国と比較した時にわが国の大きな特徴なんですね。

――学校の相対的価値が下がってきたというお話がありましたが、その背景に何があるのでしょうか?

いじめの問題がいちばん大きな影響を与えていると思います。命を奪われるような危険地帯に行くのは緊急避難的にやめましょうと、不登校もありだよと僕も言いますし、社会一般にもそう思う親が多くなってきた。命を懸けてまで学校に行く必要はないと、危険は避けようという考えが広まってきたというのもすごく大きいと思います。

子どもたちにとって、安全安心というのはもっとも大きなテーマですし、学校にとっても安全を確保することは、法律では明記されていませんが、大前提として学校に義務づけられていることは子どもたちの安全配慮なんです。そこのところが侵されている学校には、行かなくたっていいじゃないかというのは一理あると思うんです。

――不登校の数字が増えているのは、必ずしもネガティブな要素だけではないということですね?

だけど、本来的に言えば公教育というのは、非常に機能的にしかも国の税金を使ってやっているわけですから、そこがいちばん安全でイキイキしていて、子どもたちが主役になっている場所にならないといけない。でも、それがないので、ある意味で善後策として控えようというのは、どうかなと思いますし、子どもたちにとって必ずしも学校は安全ではなくなってきてしまったということは言えると思います。

――最初に上げていただいた問題のなかで、いちばん深刻化していると感じているものはなんでしょうか?

やはり、いじめですね。認知主義に変わったのは進歩なんですよ。これまでの昭和の定義で言えば、いじめは▽自分より立場の弱い子を、▽長期間継続的にいじめて、▽相手が苦痛を感じているもの、しかもそれは▽学校が認定したものという4つも条件が付いていたんです。

昭和の定義では、いじめっ子が主語でいじめをして、学校が調べたら本当にあったという時に認定していた。それは自殺して亡くなってもそういう認定がされてきたんです。

ところが2006年に新しい定義になって、これはおかしいというので相当運動にもなって、いじめられている当該児童生徒が主語になって、被害者が「僕はいじめを受けた」「つらいよ」と言えば認定しましょうということになったんです。

 ――中学高校の現場(※1)にいらっしゃいましたが、その頃と比較して、いじめの形は変わってきましたか?

(※1)尾木さんは昭和47年から平成6年にかけての22年間、私立高校や公立中学校で教員を務めた。

変わってきましたね。僕が高校の教員をやっている時は、いじめはほとんどなかったです。中学校でも70年代はそんなになかったです。やはり、いじめが起きてきたのは80年代からですね、急激に起きてきたのは。

だから文科省が問題意識を持ってデータを取り始めた時期ときれいに一致します。その前がちょうど校内暴力というのがあって、子どもたちはエネルギーとか不満を爆発させていて、金八先生のドラマのようなシーンがいっぱいあったのですが、教師が封じ込めていたんです。

中学の教師なんかは3年交代でグルグル回って、どんどん経験を蓄積していくわけです。こうなれば彼らは次は音楽室を襲うぞとか、次は放送室が占拠されてロックが流されるとか、大体わかるようになった。

だから事前に全部手を打てるようになってきた。ところが子どもたちは全員新人ですから、同じような過ちをして、管理主義が横行し始めたら、いじめという形で噴出したと捉えられるのが一般的ですね。

――学校や権力側に向いていたものが仲間内に向いていくようになったのでしょうか?

そうなんです。仲間うちのそれも多数が少数をという形、絶対に勝てるような状況でいじめてしまう。それが1990年の後半から2000年に入って、急速にスマホの世界、ネットでのいじめが中心になるようになってきて、深刻になりましたね。今は遺書までネットの中に書き込むようになって、親にはなかなかわからない、見えない、透明化されたいじめに変化してきました。

――今もまだ、いじめが原因で自殺をする子どもたちがいるという痛ましい状況がありますが、学校側の責任が大きいのでしょうか?

すごく大きいと思います。3月に2人の小学6年生の少女が、心中自殺のような事をやってしまった。(※2)初めはいじめは確認していないとおっしゃっていましたけど、当日に、友達に死にたいというのを訴えていたりするわけです。担任の先生もそれを噂で聞いて、「大丈夫なの?」と聞いたら、「軽い気持ちで言ったので大丈夫ですから」と言われて、それで終わってしまっている。

(※2)2019年3月、愛知県豊田市で小学6年生の女子児童2人がマンションから飛び降りて死亡した。現場にはいじめなどのトラブルをうかがわせる内容が書かれたメモが残されていた。

ただ、これまでいじめの自殺事件のご遺族に会ってみると、必ず発信しているんです。みんな発信しています。それは12歳や15歳の子どもたちが、自分の命をなくそうとしているのに平常心でいられるわけがないんです。ありえない話で、重大な変化が起きています。

ほとんどの場合は友達に発信しています。だから友達から冗談半分でも死にたいって言われた時は、必ず大人に伝えてということを徹底して教育しておく事もすごく重要だと思います。

――教育を取り巻く環境が平成の間に、いろいろな面で変わってきましたが、尾木さんが最も印象に残っている出来事はなんでしょうか?

いちばん印象に残っているのは、2011年の10月11日に起きた、大津市の中学2年生のいじめ自殺事件です。(※3)どうして印象に残っているかというと、その前にもいじめで大きく話題になるような残酷な事件があったのですが、大津の事件は本当にむごくて、いじめ自殺の練習までさせられていたらしいという話も流れて、大変な衝撃を生んだんです。

(※3)平成23年10月、大津市で中学2年生の男子生徒がいじめが原因で自殺した事件。男子生徒の自殺後に学校が全校生徒を対象に実施したアンケートで、いじめの存在を指摘する回答が寄せられたにもかかわらず、遺族に伝えなかったことなどが隠ぺいだと批判された。また、警察が学校や教育委員会強制捜査に入る事態となった。この問題をきっかけに「いじめ防止対策推進法」が制定された。

そして、あの時は大津市教育委員会が隠ぺいを試みた、校長も隠ぺいをしようとしたということがあって、第3者の調査委員会が設置されて、ご遺族側と市側と、3人3人で人数を出して、僕はご遺族側から推薦されてメンバーに入ったんです。

すごく印象に残っているのが、初回の調査委員会の時に、まず学校訪問をしてみよう、どんな所にあって、どんな校長先生なのか、お会いしてみようということで訪問したんです。

そして、校長先生から話を聞いていたら、廊下がザワザワしているんです。何だろうと思って、耳を澄ましたんです。そうしたら、外から地鳴りのような低いうめき声で、「尾木ママ隠ぺいされないで」、「尾木ママ隠ぺいされないで」と言ってドアが揺れているんです。みんな押しかけて来て、「隠ぺいされるな」って事を言っているんです。

そして帰りに外に出たら生徒に取り囲まれて身動きが取れなくなって、生徒たちが「先生、隠ぺいされないでください」「尾木ママ頼むよ」って言うんです。そこで、「僕は絶対に隠ぺいされないから安心して」と子どもたちに約束したんです。あの叫びが今もずっと、多分一生耳から離れないと思います。

だからその叫びを受け止めながら、これまでいじめの問題と向き合ってきたつもりなんです。だからどうしても教育委員会とか先生方に、ちょっと厳しい言い方になるの。尾木ママっぽさがなくなって、きつく言ってしまうのよ。

――隠ぺいはその学校の特異な例なのか、それとも教育界に共通する原因があるのでしょうか?

構造的な問題があって、「教育村」とよく言われますが、教育委員会と学校は一体なんです。世間一般的には、教育委員会は1段上で、指導機関だと思うでしょ?役割的には確かにそうで、校長を評価するのは教育委員会で、指導主事が査定します。構造的にはそうだけど、実は一体なんです。

なぜかというと、教育委員会の指導主事の先生方が、教育委員会の職員のままで退職する事は絶対をつけていいぐらいありえないです。教育委員会の指導主事は、必ず現場の校長職なり教頭職について、そこで定年退職を迎えられるんです。

どうしてかといいますと、給料体系が教師の方がはるかにいいんです。だから市町村の職員のままで終わってしまうと、先生に比べて給料が低いんです。だから高い所に身分を転換しておいて、そこで3年とか4年ぐらい勤めて定年退職を迎えると、給料も高くてボーナスも多いし退職金も多いと。そんなんでとにかく現場に下りるんです。

それに学校にはナンバースクールというのがあって、市内に10校あったら第1中学校が最もブランド力が高いんです。そこの校長が教育長になるという、取り決めではないけど不文律があるんです。大津市の場合もそうで、あの事件が起きた学校の校長先生が教育長になる予定だったんです。

自分たちの教育委員会に来る人を悪く言えますか?追及できないでしょ。そして市の教育委員会の指導主事の先生方にとっては、市内の小・中学校に、いつ自分が校長になってお世話になるかもわからない。親からクレームついたからといって、しっかりやれなんて言えますか?言える訳ないから同僚目線で、うまくやっておきなさいで終わるんです。

――大津の事件で委員をされたということですが、内容がわかってくるにつれてどう感じられましたか?

衝撃は大きかったですね。報告書を書いたのを今でも記憶していますが、ひどい隠ぺいが行われた事がわかって、それで僕は「事実のねつ造が行われた」と表現したんです。

そして、最終的に文章の調子をそろえる段階になって、委員長の弁護士の先生から「ねつ造という言葉はちょっと品がない」と、もうちょっと柔らかい言葉で「フィクションはどうですか?」とおっしゃって、委員の皆さんもなるほど、フィクションなら柔らかいねとなって、フィクションという表現を報告書に書き込んだんです。

そしたらメディアの皆さんが全然、気が付いてくれなくて、事実のねつ造っていう言葉を使えば、みんな気が付いてくれたと思うけど、フィクションって書いたらどこの放送局も新聞社も問題にしてくれなくて通りすぎたんです。

ねつ造がこんなふうに行われるのだとか、フィクションが作られる過程がすごくよくわかりました。それぞれみんな自分の弱みとか自分の利益が目先にあって、弱いなと思いましたね。

――すべての先生がそうだとは思いませんが、子どもたちに寄り添えなくなってきているところがあるのでしょうか?

聞き取り調査は口論や論戦をする場所ではなくて、あくまでも聞き取る場なんですよね。それは心得ているつもりだったのですが、あまりにも亡くなった子どものことを、いたまれないというか共感をしてくれない先生がいて、あまりにも悲しくなって、「先生は亡くなった生徒と生きている生徒と、どっちが大事なんですか?」と聞いたら、「生きてる生徒に決まっているじゃないですか」とおっしゃったんです。

僕はがく然としたんです。「先生ね、議論するつもりはないけれど、亡くなった生徒を大事にできなかったら、今、目の前にいる生徒を本当の意味で大事になんかできないですよ」と、「だから徹底して解明しようとしているんでしょ」と言ったのですが、通じなかったです。

――教師の質の低下も指摘されるようになりましたが、その実感はありますか?

僕は法政大学の教職課程センター長を務めていましたので、送り出すほうから言えば、年々レベルは上がっています。それは、教える側の力量も付いてくるし、文科省もいろいろな改善策を持ってきますから、力はついているんです。でも教師は出た先の3年が勝負なんです。

その職場について僕のゼミの卒業生なんかが、1年たって2年たって、口々に言うのは、「尾木ゼミで習ったのとまるで別世界だ」って言うんです。「苦しくてしょうがない」って言うんです。現場がかなり管理主義になっていて、初任者研修で指導教官が付いて、生徒の見てる前で間違いを指摘したりしちゃうわけです。よかれと思って政府が取り入れたものが、先生方を締めつけるだけなんです。

そうすると、子どもたちにとって、バイトの先生みたいに見えてしまう。その先生とともにクラスのいじめをなくそうとか、頑張ろうという気持ちがなくなって、子どもたちも指導教官を頼るようになってしまって先生が育たないんです。

だから悪循環になっていて、もちろん指導教員によっては優れた方もおられて、その先生が上手に指導されて、ぐんぐん力がつく人もいるのですが、全体的な制度から言えば、失敗に終わったと思っていて、現場が疲弊していますね。

それから一般的に職員会議がなくなって、みんなで議論して、その議論を新しい人とか未熟な先生が聞いて学んでいくという機会もなくなったんです。現場の管理体制が強化される中で、教員が育ちにくいという状況が広がっていると思います。

――先生方がおかれた状況が変わってきたということだと思うのですが、平成の間になぜ、いいほうにいかずに悪い方に変わってしまったのでしょうか?

社会一般にはあまり知られていないのですが、体罰の横行にしてもなんにしても、わざとやってる人はいない。愛情をもってしつけなきゃと思っていて、虐待事件なんかもしつけだったとみんなおっしゃるでしょ。だから親も善意というか、責任を果たしているぐらいに思っているんです。

だけど、親の体罰を禁止しようという動きが出てきた。(※4)これは2019年の2月に国連から勧告を受けたんです。親の体罰禁止を法律化しなさいと。

(※4)児童虐待の防止策を強化するため、政府は2019年3月19日、親による体罰を禁止することを盛り込んだ、児童虐待防止法などの改正案を閣議決定した。

1989年に国連で子どもの権利条約が批准されていて、その5年後、1994年の4月に日本が批准して、5月に発効しているんです。子どもを権利の主体として認めよう、社会は子どもの最善の利益を追求するんだと、それから子どもに意見表明権があると、これが大きな柱なんです。これを批准しているのに、国民とかあるいは教育関係とかメディアにも周知徹底する義務があると、第42条に明記されているのに、その義務を果たさなかった。

それからもう1つ、子どもの定義は国際社会でいえば18歳未満だと書かれているんです。18歳になったら当然、選挙権も出てくるということで、今から30年前には多くの国が批准して、現段階で批准していない国はアメリカ1か国だけで、最も多くの国が批准している国際条約なんです。

国際条約は国内法よりも上ですから、ほかの国は18歳選挙権は30年前に終わっているんです。でもわが国は3年前です。やんやといわれてもやらなかった、そういう子どもの権利とか権利の主体として、大人と同じように尊重すると、ケアもしないといけないのは当たり前ですが、そういう存在だというのはせっかく国際条約を批准しているのに、その理念で社会が動かなかったのが、なんと子どもが粗末にされて、子ども受難の30年が続いたのかっていう悲しさでいっぱいです。

――先生方の変化を聞いてきましたが、子どもたち、あるいは保護者も、この30年で変わってきたと感じますか?

モンスターペアレントという言葉が1990年代半ばから流行しましたけど、親御さんたちも不満があったら言うよというのが一時期広がりましたね。クレーマー社会という言葉がはやって、大きな社会問題になったこともありました。

それが教育界まで広がって、みんなクレームをとにかく言ってみようという事がすごく多くなってきた。クレーマー社会のひとつの現象が学校現場にも出てきたという感じがありますね。

――それが教育現場にどう影響をおよぼしているのでしょうか?

教育現場はものすごく防御するんです。だから自治体によっては、弁護士さんを4人雇って、クレーマーに対応する。担任の教師とか学校ではなくて、弁護士が集まって、教育委員会にも来てもらって対応をする。そういうあまりにも法律主義的に対応をしている。そこがちょっとゆがんだかなと思います。

子どもが窓ガラスを割って、1枚2000円だとすると、半額持ってくださいと学校が言うのです。それは痛みを覚えて責任を持たせようという考えなのですが。それにクレームをつけてくるお母さんがいて、そんなところに石を落としている学校が悪いという論法なんです。

今まではそんなことは想定したこともないから学校は激しく動揺するわけです。そんな言い方するかみたいな感じになって、教師のほうがすごく親を警戒するようになったということは言えると思います。

だけど、本当はお母さんを呼んで、「家庭ではちゃんとおりこうさんにしているの?」とか「困った事ない?」とか話していくと、ポロッと子育てで困っているとか、乱暴すぎて困っているとか、いろいろな事を言い始めて、そこに共感していくというか、「お母さん大変よね」って聞いてあげる。

そうしたら石を落としているのが悪いとか言っていたお母さんも「小遣いから出させて弁償させるわ」って、ころっと変わってくるんです。そういうお母さんが味方になってくれると、クラスまでまとめてくれるんです。

だから本当の敵対者はいないというのが、これまでの経験なんですが。それを真っ正面から法律で戦ったらそれは駄目ですよ。

――教育現場と家庭とのコミュニケーションが今は難しいのでしょうか?

教師もコミュニケーション力が落ちましたけど、親も落ちましたよね。昔みたいにのんびりしていて、「あんたが言えないなら私が先生に話してあげる」とか、地域の姉御肌のママがいて、そこで一旦フィルターを通していると、学校に言ってくる前に、冷静に問題点が整理されてから来るのですが、今はカっときたら直行で来ちゃう。その傾向がすごく感じられます。

――「子ども受難の時代」というキーワードがありましたが、平成の時代は子どもたちや先生たちにとって、やはり幸せな時代ではなかったと思いますか?

僕はなんていう不幸せな、教師にとっても親にとっても、もちろん子どもたちにとっても本当に不幸な時代だったなと思います。その中でも幸せになっていける兆しだとか、きっかけがないわけではないんです。それを膨らましたり尊重したりする余裕がないまま来てしまった。そんな感じがします。

それを煽りたてた社会現象が、端的に言うとゆとり教育」への批判ですね。今でこそ「ゆとり教育」は全く間違いではなくて、2020年の教育改革の基本的な柱になっているアクティブラーニングといわれるコンセプトの学び方は、「ゆとり教育」の時の精神と全く同じです。それなのに当時は徹底してたたかれて、そして「脱ゆとり」ということで詰め込みに戻りました。

それで「ゆとり教育」が大失敗に終わってしまったのですが、あの時にひどいと思ったのは、あの調査をやるのは15歳なんです。高校1年生の6月ぐらいにやるんです。それで言うと、高校1年生が3年前の2000年には中学生で、まだ「ゆとり教育」のゆの字も始まってないんです。だから、ゆとり教育で学力が落ちたなんて言えるはずがないんです。ちょっと見ればわかるんです。僕も何回も言ったんですが、なかなか伝わりきらなかったんですね。

それと、それをチャンスとばかりに、塾業界が、「ゆとり教育で円周率の3.14を3と教えるようになって、学力が低下したんです」と言ったんです。でも教科書を調べたのですが、3と教えてる教科は一社もないんです。全部3.14と書いて、括弧の中に3で扱ってもよいと書いてある。

それはもうちょっと高学年になったらやればいいのであって、まずは考え方が大事で、3.14で計算をしていると、そこでつまずいて算数嫌いになる子が大量にいたから、3として掲載してもいいという教え方なのに、ある塾が「ゆとり教育で学力が低下した」と宣伝して、それが浸透したんです。それであおられて、みんな塾へ通うようになって、公立じゃ駄目だといって私立が大ブームになったんす。怖いですよね。完全な間違いです。

――子どもたちが制度の変化のなかで犠牲になってしまった側面がありますね。

ひどい事に、ゆとり教育世代を「おゆとりさん」だとか揶揄して、何か上手にできなかったりすると、「だからゆとり世代はダメだって」、ダメな若者のことを「ゆとり教育」のせいだと、全部ラベル貼りしましたよね。そういうタイトルの本までが出ましたから、これは社会として恥ずかしいと思いますね。

――大人たちは今の子どもたちはダメだと言ってしまいがちですけど、そんなことはないのですね。

そんな事は絶対ないって、僕が子どもの時も今の高校生はダメだとボロクソに言われたんですよ。いつも年配の世代からは若い世代はダメだダメだって言われる。

だけどこの2~3年、そういう声はほとんど聞こえないでしょ。アスリートがものすごく活躍してるから、10代とかが大活躍でしょ。国際舞台でもすごく優秀な成績をあげていて、しかも大人顔負けのものすごく深いコメントをする。羽生結弦くんとか大谷翔平くんなどを見て、今の若者はダメだという人ほとんどいないです。

今、大活躍しているのはみんなゆとり世代です。だから、これからの時代は若者への見方が絶対変わりますね。

――平成の次はどんな時代になると思いますか?

これが言いたくて来たんです。次の時代は「子どもと大人のパートナーシップの時代」だと思います。

――具体的にはどんなことを指すのでしょうか?

具体的には今のアスリートの大活躍ぶりを見てもわかるように、10代だからとか、中学生だから高校生だからと、年齢でくくって評価する時代は終わってしまったと。

例えばスマホの技術にしてもパソコンの技術にしても、お母さんたちよりも子どもたちのほうが優れていますから、親が監督したり、リードしたりすることは、ほとんどできないで、子どもがリーダーシップを取って、勝手なことやっていますよね。間違った使い方も多いですけど。だから、子どもたちのIT技術にしても、いろいろな情報の受信力から発信力にしても、大人をはるかに凌駕していると思います。

それから子どもたちの発想力とか想像力だとか、批判的な思考力だとか、これは大人にないものを今の子どもたちは身につけてきているんですね。

そういう力と私たち大人の経験主義と言っては悪いですが、経験豊かな財産とを融合させて、子どもと大人が今の時代を生きているんだと、次の新しい時代を作るんだという合意のもとに、パートナーとして大人と子どもが力を合わせて次の時代をつくっていくと、それが次の時代のイメージだと思います。

だから次の時代は、大人と子どもが対等な関係でパートナーとして、頑張って時代をつくっていくというのが大きな特徴になってほしいと思います。

――大人が子どもの見方を変えていかないといけないですね?

完全に変えていく必要があります。例えば親の体罰禁止というのも、子どもたちの意見もちゃんと聞く、意見表明権といいますけれど、あなたどう思うの?と、これは児童相談所であれ親であれ学校であれ、本人に聞くべきです。「本当にお父さんから体罰はないの?」とか聞けば、すぐにわかる事です。意見表明権を明記することはとても大事だと思います。

――子どもの可能性を信じてあげることも大切ですね?

子どもに頼ってもいいんですよ。僕も中学や高校で教師をやっている時に、わからなくなる事があるんです。なぜあの子は一生懸命、毎日話を聞いてあげているのに、タバコ吸っているし非行やめないのだと思うんです。

そうした時に、クラスのリーダーの子を3人ぐらい呼んで、だいたい女子が頼りになるのですが、「僕は一生懸命やっているんだけど、どうしてあの子は非行から立ち直れないんだろう?」って相談するわけ、そうすると、「先生ね、彼は言えば言うほどいこじになるのよ。私たちに任せておいて」とか言うんですよ。それで、任せておくと素直になってくるんですよ。

そういう経験を社会とか大人が積んでくると、急速に前進すると思います。理念だけで子どもを参加させるべきだとか、子どもの権利条約に書いてあるじゃないかと言ってもだめだと思います。

――子どもたちの可能性をどうお感じですか?

子どもたちの可能性は基本的に無限だと思います。でもこれを発揮させることに失敗したら日本は終わりだと思います。

尾木 直樹(おぎ・なおき)
1947年1月3日生まれ。滋賀県出身。早稲田大学を卒業後、都内にある私立海城高校や公立中学校で22年間にわたり教師を務める。その後、大学教員として22年間、教壇に立ち学生を指導してきた。

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丸山眞男の言う「抑圧移譲」の構図ですね。

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