繰り返し示されているように,最も交通事故を多く起こす世代は20代だが,それを理由に20代の運転者全員から免許を取り上げることができるか。これは多くの人が「できない」と答えるのだが,なぜそれはできなくて老人から免許を取り上げることはできるのか。
— PsycheRadio (@marxindo) 2019年4月26日
社会的に有益あるいは不可欠な行為は,それが法益侵害の危険を伴うものであっても許容されるとする理論。その行為から実害が発生したとしても,結果回避につき相当な措置がとられていれば違法ではないとする。
「許された危険」という言葉をご存じだろうか。
例えば,自動車は,ひとたび事故を起こせば大きな被害が発生するし,また事故を100%防ぐことは不可能であり,そうすると必ず大きな被害が発生することになる。自動車にはそのような危険性が存在するのに,なぜ禁止されないのか?
それは,被害が発生するというマイナスよりも,なお自動車を利用することによる社会のメリットの方が大きいからであり,そのようなメリットがあるからこそ,自動車という危険はその存在を許されているのである
ところで、今回取り上げた問題に「保険に加入していれば、どちらが損害を負担するにせよ、損害を担保できる」と答えた学生がいた。確かに、この仕組みならば発生した損害の引受先がひとまずは存在することになる。
しかし、この回答は社会の動向や、それを踏まえた上で個人と社会のあり方を考える視点が希薄になりかねない。素晴らしいシステムに寄りかかるだけでは、本質的な解決にはならない。
また、生じるリスクを社会全体でどう負うべきかの議論を後退させかねないと、私は思う。本質論からの考察を放棄せず追求するならば、われわれはカンカンガクガク、望ましい社会のあり方について議論を重ねるべきなのかもしれない。