数々の名勝負を支えた「将棋めし」の聖地を巡礼してきた (みんなのごはん) https://t.co/3C3tnycKec
— BLOGOS編集部 (@ld_blogos) May 12, 2019
[ライフ] #加藤一二三 #blogos
その将棋人気に比例するように、将棋に関連した報道も増えておりますが、対局中に「棋士が何を注文するのか?」も同じように注目されニュースになったりしています。
大事ですね。将棋ってやはり長時間の戦いですから、できれば自分の好きなもので、そして腹持ちのするものがいいな、と。
私の場合はそれがうなぎだったんです。約40年間食べ続けましたからね。
基本的に僕はね、運というものは、ゲン担ぎみたいなもので引きつける事はありえないと思ってます。
ただね、一応注意はしますよ。例えば、将棋のタイトル戦の日にね、泊まっているホテルとかで朝食をとりますよね。これから将棋を指しに向かうぞっていうタイミングでね、隣の席でね、険しい話をしている事が結構あるんです。トラブった話とかね、そういう話をしているお客さんが居てね、その隣で食事をした日は殆ど負けてます。
神様からするとこうなの。「加藤よ、貴方が心を乱されるような客の隣に行った事が軽率なのだ」ってことなんですよね。
例えばね、年配のお客さんだったんだけど、一方が「織田信長は偉い」「たいしたやつだ」と言っているの。「信長は桶狭間で勝って凄い」と褒めてるわけです。
でももう一方は、「織田信長は本能寺で討たれた。結局は失敗してる」と言ってるわけです。
二人の言い分はどちらも本当なんですけど、その内、喧嘩腰の議論になっちゃって。それで僕も「織田信長は偉いのだろうか」って余計な事を考えて負けちゃった。
勝つか負けるかの、半分はちゃんと眠れたかどうかで決まりますね。判断力も鈍るし、短気になっちゃうから。
何が言いたいかというと、棋士にとって一番大事なのは自己管理なんです。
隣の会話が気になったり、「対局前に髪の毛を切ろう」と思って向かった散髪屋がお休みだったり、対局前に聞くクラシック音楽のCDを買いに行ったらレコード屋が閉店してたりとかね。対局の前に、別の事で自分の目的が達成できなかった時はほとんど負けてるんですよ。
私は対局前にクラシック音楽を聴いて集中している事が多いから、お目当てのCDが手に入らなかっただけで気になっちゃうの。それで負ける。でも、散髪もCD買うのも、対局の4、5日前にちゃんと準備していれば何の問題も無いわけじゃないですか。だから自己管理が全てなんです。
じゃあ本当に、皆さん「いかに集中するか?」っていう所に賭けてるんですね。
で、僕が「神谷さん、なんでくじ引きを断ったの?」と聞いたら神谷さんが「私にとってくじ引きなんか本当はどうでも良くて、加藤先生を動揺させるための作戦だったんです」って。
「人生は深いな」と思ったよ。作戦も色々あるなーって。そういうもんですよ。勝負というものは、あくまで勝負なんだから、どんな駆け引きがあったっておかしくないんです。棋士は将棋棋士としての命を掛けて戦っているわけだからね。もちろん近代はね、そう言った気持ちを内に秘めて、少なくともお互いが礼節を守るべきってなってますけど。
そうそう!人生は長いですし、予想もできないような事が起こるのが人生ですからね。もちろん辛いこともたくさんありますよ。でもあきらめちゃダメですね。
A級から5回落ちて5回カムバックしたのは私だけですよ。どんな境遇になってもあきらめてはダメです。人生に試練はね、たくさんありますけどね。でも、試練だって振り返ってみれば楽しいですよ。
「前近代の御料車」
上京は近代日本人の人生の物語の主要なパターン
「 近代実証主義史学 」
近代社会というのは、個々人の不断の努力なくしては、淡くも消え去ってしまうのかもしれない。
#近代
3.お蔭で丸山眞男が自分にとって何であったかをあらためて考え直す機会を与えられた。そのことはともかく、私の日本近代をめぐる批判的思想作業についての初めての総括的議論の場がなぜ中国・北京であるのか。私は日本の言説空間、批評世界の奇形・劣化を思わざるをえない。日本はおかしいよ! pic.twitter.com/efrSnpDoqj
— 子安宣邦 (@Nobukuni_Koyasu) 2019年5月13日