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僕が本を読む事を嫌いな理由【元プロ野球選手イチロー

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 相撲の技は、いまさら申すまでもないのですが、頭で考えるだけでは駄目なのはもちろんのこと、頭で考えてそれから技がでるというのでも、駄目なのです。たとえば、「上手投げ」をかけるとします。「上手投げ」をかけようと思って、それからその技がでるようでは問題になりません。こうと思った瞬間には、もう技がでているのでなければなりません。これは相撲だけにかぎらぬことかも知れませんが、相撲は勝負が瞬間のあいだに決着する競技であるだけに、この一点が大切な問題となるのです。「心身一如」とでもいいましょうか、自分の意識と自分の身体とが、一枚になりきるのでなければ、勝を制することはむつかしいのです。
 相手の「隙」をつかむことは勝負のうえに肝要このうえもないことですが、さてその「隙」は、眼で知るのでなく、こちらの体で感得すべきです。自分の修錬がつんでくると、相手の身体的ないし心理的な動きは、ただちに自分の身に感応されるものです。

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諸生皆斗筲の小人、君子これを恥ずるは大学の常でしょう。彼等の説く所は倫理政治の学です。そのよる所は古聖先哲の書です。意気挙がり情熱燃ゆるごとき子等が彼等について求むるものはすなわち炎々たる理想精神、これを体現する人格者でなければなりませぬ。この究竟者を遺却しての考証訓詁は到底若き者の堪うる所ではありません。このために昔から多くの英霊漢が書を厭いました。書を厭うは大丈夫の過ちではあるが、そこには饑人に対して餅を画く学者の迂愚が禍しております。

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 そもそも主体と理法とを分裂させたのは、義理は後天的に獲得するものとした告子の主張であり、孟子がてきびしく論難したものです。これでは後天的学習を務めて本来性の発揮をなおざりにし、該博なばかりで焦点が定まらないということを、あなたはとうにご存知のはずなのに、どうしてまたこんなことをおっしゃるのですか。(小生が)これを対象に溺れて目的意識を喪失したものと論評したことを、これでもなお、そうではないと否定されますか。小生の主張する致知格物論とは、われわれ主体者の良知をあらゆる主客関係に発揮するということです。われわれ主体者の良知こそがいわゆる天理なのです。われわれ主体者の良知を天理としてあらゆる主客関係に発揮すると、あらゆる主客関係はすべて理法にかなうことになります。われわれ主体者の良知を発揮することが「致知」です。あらゆる主客関係がすべて理法にかなうことが「格物」です。これでこそ主体と理法を結合させて分裂させないのです。主体と理法を結合させて分裂させないということであれば、小生が先に述べたこと及び朱子晩年の主張は、すべて、ことさらに説明しなくてもご理解いただけますでしょう。

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「努力をして深いところに理解がおよぶと、それを言葉で表現することはいよいよできなくなり、その理を説くことはいよいよ困難になる。もしその深くて微妙なところを言語表現することにとらわれてしまうと、完全な本体が努力するのに、逆にその意識におおわれて機能しなくなってしまう」と。

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 先生がいわれた、「このこと(良知が本来完全であること)さえすっかり理解できたならば、何をどうまくしたてようと、それが正しいのか正しくないのか、誠なのか偽りなのかは、良知にかかったらいとも明白だ。合致したものが正しいものだし、合致しなかったものが正しくないものだ。ちょうど仏教徒がいう『心が仏の心と合致する』と同様であって、これこそが、試金石であり、指南針である」と。

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かならずしも知る必要のないことについては、聖人は知ろうとはしないものである。逆に当然知っておくべきことについては、聖人は自分からちゃんと人に質問する。

謹んで申し上げます。
天皇陛下ご即位にあたり心よりお祝いを申し上げます。

またこのような記念すべき国民祭典にお招きにあずかりお祝いと感謝を申し述べる機会をいただき、緊張しておりますが大変光栄に存じます。

即位礼正殿の儀での陛下のお言葉を拝聴し、日本そして世界の平和に対する陛下の御心に胸を打たれました。

陛下は松尾芭蕉の「奥の細道」をお読みになったことがきっかけで水にご関心を持たれ、長きにわたってご研究をなさっているとお聞きしました。そして、水を通して世界のさまざまな問題をとらえ、そのことが平和につながるとのお考えをお持ちであると知るに至りました。

私も大好きな読書を通じ、知識を得ること、そしてその知識を踏まえて、行動に移す、その事が大切であるのではないかと考えるようになりました。

陛下の御心を受け、どんな事でも思い立ったことは迷わず実行できるようになりたい、そう思っております。

元号「令和」は、万葉集からの出典だったという事を知り、昔の日本の書物から新しい時代の元号が作られるということは、なんて素敵なことなんだろうと深く感動しております。古くからわが国に伝わる文化を大切にしつつ、新しい日本へと躍進していく、そんな時代になっていくことを切に願っております。

最後になりますが、いつまでも両陛下がお健やかであられますようお祈り申し上げ、御祝いの言葉といたします。

令和元年 十一月九日 芦田愛菜

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朱子学で、人間の知(知識)と行(実践)の関係は、先後からいえば知を先とし、軽重からいえば行を重とする説。

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中国の王陽明が唱えた学説。朱熹(しゅき)の先知後行説に対して、知識や認識は必ず実行を予想しているものであり、知って行わないのは真に知っているのではないとし、知(真の認識)と行(道徳的実践)とは表裏一体をなすと説く。

陽明学の実践重視の立場を示す説。朱子学の先知後行説が認識を実践よりも優先重視するのに対して、真の認識は実践を通じて獲得されるという見地から認識と実践を一致させる必要を説く。

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「知は行の始なり、行は知の成るなり(知ることは行為の始めであり、行為は知ることの完成である)」

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南宋朱熹(1130〜1200)はその解釈を継承し、『大学』には格物致知を解説する部分があったとして『格物補伝』を作った。ここで格は「至(いたる)」、物は「事」とされ、事物に触れ理を窮めていくことであるが、そこには読書も含められた。そして彼はこの格物窮理と居敬を「聖人学んで至るべし」という聖人に至るための方法論とした。この時代、経書を学び、科挙に合格することによって官僚となった士大夫に対し、格物致知はその理論的根拠を提供した形である。しかし、格物は単に読書だけでなく事物の観察研究を広く含めたため、後に格物や格致という言葉は今でいう博物学を意味するようになった。

明代中葉の王守仁(王陽明、1472〜1528)は、「格物」は外在的な物に至るというものではなく、格を「正(ただす)」として、自己の心に内在する事物を修正していくこととし、「致知」とは先天的な道徳知である良知を遮られることなく発揮する「致良知」だとした。ここで格物致知は自己の心を凝視する内省的なものとされた。

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数学書の読まれ方

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司法試験過去問をやる前に短文事例問題をやるなど学習段階に合った勉強をする

科学はフローチャート的に考え記述されていて、それでいて中間が省略されているから。

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 現在の高校教科書や既存の参考書には、多くの化学事象に対する網羅的な説明は一応なされていますが、さらにもう一歩突っ込んだ「なぜそうなるのか?」という生徒たちの素朴な疑問にはほとんど答えられてはいません。

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私は、入学試験勉強としては、中学の三年からの教科書を全部極めて詳細・正確に復習することをその中心とした。受験のための参考書は、その時分にも、むろんたくさんあったが、私はほとんど見なかった。狭く深く、徹底的に理解する。これが私の一生をつうじての勉強方針といってもよいかもしれない。(前掲228頁)

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科学も基本的に同様ではないかと感じます。まず自分の直感によって、今まで関連を誰も気がついていなかった自然界の事象同士を結んだり、これまで説明できなかった結果を説明できる仮説を考え付いたりするのが、第一段階です。これが独創的であるほどよいわけです。次にその仮説を人に納得してもらえるためのデータを、実験により集め、結果を論理的に並べます。この段階で矛盾なく構築ができれば、まず自分でもその仮説の正しさを信じることができ、そして他人に堂々と発表できるようになります。これらのステップで守るべき「約束事」は、議論の展開が論理的であること、実験結果は再現可能であること、論文を書くときは決められている構成に従うこと、などでしょうか。

クリスチアーノ・ロナウドが数々の栄光を掴み取ってきたのは、徹底して己を律してきたからだ。ハイパフォーマンスを維持するために、自己管理を怠らないことで知られている。

「メッシの方が自然だ。彼は全てのことを自然とやってのけてしまうんだ。ただ、彼も苦手なことに対しては、しっかりとトレーニングを重ねている。例えば、フリーキックとかね。ロナウドはありとあらゆる壁を、自分を鍛えて、乗り越えてしまうんだ」

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