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現象学では、「思考停止(エポケー)」とは、悪ぃ意味ではない。現象学で言うとことろの思考停止とは、良からぬ思考を中断し、思考以前の「純粋状態」(白紙状態、タブラ・ラサ)に立ち返り、初めから考え直す「原初的思考」を意味する。小林秀雄が、インテリ文化人を批判するのもそれに近い。インテリ文化人とは、様々な雑学、理論や概念 、イデオロギーなどで、頭が雁字搦めになり、自由に思考出来ない人種のことである。我々は、自分では、自分の頭で思考していると思っているが、実は「思考させられている」に過ぎない。右翼的思考だとか左翼的思考だとか、あるいは中道的思考だとか、我々は、自分の思想的立場を、勝手に言うが、それらは、すべて「思考させられている」に過ぎない。誰も、自分で、自分の頭で思考していない。誰かの受け売りか、無自覚な模倣に過ぎない。私は、それを、「イデオロギー的思考」と呼ぶ。

ところで、最近、「自分の頭で考えろ」という言葉が 、各所に氾濫しているが、この言葉の氾濫自体が、付和雷同するしか能のない日本国民の「思考停止」そのものを象徴する言葉である。自戒を込めて言うが、「自分の頭で考えろ!」という人間に限って、「自分の頭で考えていない」「考えさせられている」ものである。

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雑念がだんだんにへって、心がよほど透明になってきたからでしょう、視野が広くなり、ものの隅々が見えるようになり、いつも心たのしいのでした

「心身脱落」という言葉が禅書にありますが、ほんとうにその通りです。無我とは決して形容詞ではありません

「ついに百八十度の心的革命というか、一大転回を遂げたのでした。これはわたくしにとっては、まさしく第二の誕生でした。わたくしは生まれかわったのでした。(…)求め、求めていた真の人生の大道の入口が開かれたのです。(…)神とは何か、自我とは何か、神と人間との関係、個と全体との関係などと、女子大時代に頭の中だけの、概念の世界で模索していた諸問題が、みんないっしょに解決され、がらんとした思いで、愉快というよりほかありません」

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春日社参道で見上げた月見て感謝して泣いたりしたな。一生一度の後夜撓堂。ただただ楽しく有難かった。

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(一)「形而上学は、純粋理性にもとづく哲学的認識が、体系的連関という形をとったものである」(「純理」・八六九)。

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