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例えばこの前は、古典作品『罪と罰』について話していたと思ったら、「罪と罰といえば」とゲーム『ペルソナ』の話になり、「ペルソナといえば」とバレエ『仮面舞踏会』の話になり、「仮面舞踏会(マスカレード)といえば」と東野圭吾著『マスカレード・ホテル』の話になるみたいに、あっちに行ったりこっちに行ったりして、「どうしてこんなにいろんな分野につながっていくんだ?」と思うほど、話をつなげて思考するのが彼ら彼女らの特徴なのです。

まず前提として、物事には「未知の事柄」「既知の事柄」があります。

「未知の事柄」は、僕たちが学んだことも、聞いたこともないような、知らない事柄です。逆に「既知の事柄」は、僕たちがもう学んだことのある、聞いたことのある事柄です。

僕たちは未知の事柄を既知の事柄にしていくわけですが、ここで多くの人は、未知のことを未知のこととして処理してしまいます。つまり、勉強したときに「へえそうなんだ、知らなかった!」と考えてしまうわけです。

東大生が優れているのは、この「未知の中から既知を見つける能力」なんです。何か新しいことを学ぶときに、自分が知っている事柄と結びつく部分をすぐに見つけて、そこを足掛かりにして勉強する能力が非常に高いのです。

「バドミントンって、詰将棋と数学に似てるんだよね。相手が打たれたら嫌なポイントを探して、そのゴールに向けてシャトルを動かしていくって意味ではまんま詰将棋だし、そのゴール(=答え)までのプロセスを順番に組み立てていくって点で言えば、数学で答えを出すために数式を組み立てていく作業に似ているんだ」

そして、だからこそ、東大生は「雑学」だと言われるようなことも含めて、さまざまなことを知ることができるのです。

冒頭の話に戻って考えると、東大生は古典作品からゲームに行ったり、ゲームから文学に行ったり、文学から漫画に行ったりと、節操なくいろんな物事を結びつけて思考しています。勉強の事柄だから学校で習うようなこととだけ結びつけようとか、漫画の話だから勉強とは関連づけないとか、そういうことはしないのです。

勉強だろうが漫画だろうが雑学だろうが文学だろうが、東大生にとっては同じこと。日常生活を生きている中で常に勉強と結びつけられることを考えているし、逆に勉強していることを活かして日常生活を送っているのです。

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 このように、アナロジーというのは、一見すると直接的な関係はなさそうな分野の知見を組み合わせることで、新しいアイデアを得るという考え方です。

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こんな風に,ある科目の用語を他の科目の用語を使って説明すると,頭の中でいろんなことがつながって法律の勉強がめちゃめちゃ面白くなる。ローではこういった指導をすべきだと思うんだけれど,誰も話を聞いてくれないっぽいので自分でコツコツと講座を作ったりしてるわけだ。

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一言で言えば、ビジネス以外の要素が企業業績に与えるインパクトがどんどん大きくなっている。そういう時代背景のもとでは、通常の経営学以外の領域とビジネスをつなぐ力がないと、「職人」としてもクライアントの相談相手になりきれないわけです。

 企業ではどうか。異なる部門やバックグラウンドの人たちを集めて、共同で研究開発や商品開発をするとしましょう。時には、大学など外部の人たちにも参画してもらう。ここまではいいとして、本当に何か価値を生む結果を出すには、バラバラのものをホッチキスで留めるだけでは何も生まれない。束ね、つなげていく共通言語と、それを駆使して横をつなぐ人材が必要になります。

 面白いことに、こういうことがうまい会社は、自らの「ビジョン」とか「社是社訓」とか「社風」みたいな、「必ずそこに立ち返れば、話は通じる『根っこ』」にこだわっていることが多いですね。

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灘高生の「思考力」を鍛え上げているのは、あの幾何を重視する伝統だと思います。

結局のところ、その根本にある原理原則・基礎基本が「なぜそうなっているのか」がわかっていないと、いざというときにプロダクトイノベーションができないんです。

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 アナロジーとは日本語では「類推」のことです。

アナロジー思考で重要なのは、「遠くから借りてくる」ということです。

アナロジーは、ものごとの構造と関係性を見抜くための方法です。

 例えば数学や哲学というのは、ある程度、抽象化思考を極めたものですから、抽象的に書かれたこれらの分野の本を読むというのも1つのトレーニングにはなるでしょう。

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 大塩平八郎にしてもそうであります。彼があの幕末のまさに崩潰せんとする政治、その社会的現実の矛盾・頽廃に日夜苦悩しておったればこそ、これを読んで痛いほどこたえたのです。
 学問というものは常にその時代と自己というものに切実に徹してやらなければ、それこそ空論というか、単なる知識・雑識・ディレッタンティズムになってしまいます。

呻吟語』を読んでおってふっと気がつくと、いつの間にか太平洋を渡って海の向こうのエドワード・ホールだのロイス・マンフォードだのというような人達のところへ行っておる。それを嫌がっておったのでは本当の学問にはならない。『呻吟語』を読んでも単なる漢学に終わってしまう。だがよほど注意して内面的必然から辿っていくのでなければ、折角の学問も雑学になる。

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