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 仙台育英の須江航監督も、慶応の応援は要注意と考えていたようだ。前日練習の後、マスコミの取材に応じ、「ミーティングでは選手にどのような話を?」との質問に、以下のように答えた。

《春のセンバツで対戦しているので、その時にも(選手に)話をしているけれど、慶応さんが日本の政治や経済やいろいろな分野で、どんな影響力を持っているか。どのような方がいるかということをきのう(21日)も話した。球場は慶応の関係者がいらっしゃって、ここまでもとてつもない応援を繰り広げていましたけれど、それを(決勝は)越えてくるぞと》(註)

「これまでにも応援が話題になってきた慶応でしたが、決勝戦はレベルが違いました。アルプススタンドが満員なのは言うに及ばず、三塁側は大半が慶応を応援していました。球場の半分以上が慶応に声援を送っていたことになります。おまけに1回の表、先頭バッターの丸田湊斗くんがホームランを放ちました。これで観客のボルテージが一気に盛りあがり、球場全体が異様な雰囲気に包まれました」

 朝日放送テレビは決勝戦の中継を行い、日本大学第三高等学校で野球部の監督を務めた小倉全由氏と、早稲田実業で優勝に輝き、日ハムで投手として活躍した斎藤佑樹氏が解説を務めた。

「小倉氏も斎藤氏も共に、異様な球場の雰囲気について、序盤から言及していました。仙台育英の先発は湯田統真くんでしたが、なかなか球が低めに投げられず、両氏とも『いつものピッチングではない』と指摘。湯田くんが慶応一色となってしまった甲子園の雰囲気に呑まれてしまった可能性が浮かび上がりました」(同・記者)

三田会の実力

 とはいえ、慶応の応援団は甲子園に来ていた人々ばかりではない。須江監督が指摘していたように慶応OBは《日本の政治や経済やいろいろな分野で》多くの人材が活躍している。彼らも日本全国で慶応を応援していたわけで、一種のブームのような状態が続いていた。その影響力は軽視できない。

「そもそも慶応はOBの団結力で知られ、同窓会の『三田会』は財界や政界に大きな影響力を持っています。テレビ局や新聞社にも慶応のOBは山ほどいます。快進撃を報じる際、どうしても母校愛が滲み出てしまったのではないでしょうか。特にテレビ局は慶応野球部出身の男性アナウンサーも活躍していました。様々な機会で取り上げられ、ブームの盛り上がりに寄与していたのです。率直に言って、仙台育英は優勝候補の筆頭だったと思います。やはり他のチームだったら、これほど大差はつかなかったのではないでしょうか。仙台育英の皆さんにとっては、まさに『運が悪かった』と言うほかありません」

仙台育英 須江航監督「ミスを重ねてしまったのが敗因」

準優勝となり史上7校目の連覇を逃した仙台育英の須江航監督は「勝負ごとは甘くないなと思いました。ミスを重ねてしまったのが敗因だったと思います。慶応は技術やフィジカルなど現代野球に必要な要素がそろっていて、このチームに負けるならしかたない、勝者にふさわしいなと思いました」と話していました。その上で「試合後、選手たちは、ぼろぼろ泣いていましたが『負けたときに人間の価値が出るから、どこで負けても全力で拍手を送ってほしい』と前に話したことを守って、相手に向かって一生懸命拍手していました。その姿は自分の誇りです」と選手をたたえました。

清原和博さん「立派に育ってくれたと感じた 褒めてあげたい」

慶応の清原勝児選手の父親で、高校時代に大阪のPL学園で活躍した清原和博さんは「おめでとうございます。力としては仙台育英が上ではないかと分析していたのですが、慶応は青コーナー、チャレンジャーとして精神的には優位だったのかもしれません。自由なエンジョイ野球の優勝で僕自身にとっても野球観が変わる思いがしました」とコメントしました。勝児選手については「優勝の喜びも、先発で出られなかった悔しさもあるでしょう。まだ野球人生は終わってないししばらく、ゆっくりと高校生らしい生活を送ったあと、次の目標に向かってほしい。私の息子で注目され、苦しさもあったと思います。しかし、立派に育ってくれたと感じました。褒めてあげたいです」としています。清原さんはPL学園で1983年と1985年の夏の甲子園で優勝していて、今回、親子で優勝を果たしたことになります。

《慶応高校野球部の歴史》
慶応高校の野球部は明治時代の1888年に「三田(みた)ベースボール倶楽部」として創部し、これまで夏は19回、センバツは10回出場している伝統校です。

創部当初は東京に学校があり、慶応普通部として出場した大正時代の1916年に夏の全国高校野球の前身、全国中学野球で初出場、初優勝を果たしました。その4年後の1920年にも準優勝するなど大会の創生期に躍進し、戦後、学校が神奈川に移り、1950年から神奈川県高校野球連盟に加盟しました。

1962年の夏を最後に甲子園出場から長く遠ざかりましたが、2005年のセンバツに出場を果たし2勝をあげたほか、2008年の夏は88年ぶりに準々決勝に進みました。2015年に森林貴彦監督が就任してからは、2018年とことし、いずれも春夏連続で出場しました。

この夏はここぞの場面の集中打が目立ち
▽2回戦で北陸(福井)に9対4
▽3回戦で広陵(広島)に6対3
▽準々決勝で沖縄尚学(沖縄)に7対2
▽準決勝で土浦日大高(茨城)に2対0で勝って、甲子園球場で行われた高校野球の全国大会としては初めて決勝に進んでいました。

野球界だけでなく、政治や経済などの各界でOBが活躍していて、アルプス席では3000人以上の応援団が伝統の応援歌「若き血」を歌うなどして選手たちを後押ししてきました。

昭和初期から受け継がれる“野球を楽しむ”
慶応がチームとして掲げる「エンジョイ・ベースボール」。

先発した慶応 鈴木佳門投手
これは昭和初期に慶応大学野球部の監督を務めた腰本寿(こしもと・ひさし)さんが、当時の日本の野球が辛いことに耐えて勝利を勝ち取るという修行のようなものになっていたとして、スポーツ本来の明るい発想が必要だと打ち出した考え方で、慶応高校の野球部にも受け継がれています。

“スーパーブレイントレーニング”
これに加えて、チームが2年前から取り入れている“スーパーブレイントレーニング”と呼ばれるメンタル面でのトレーニングも野球を楽しむ精神につながっています。

このトレーニングは苦しい場面でも平常心を保って打開策を見いだす心の持ちようを脳から鍛えるためのものだといいます。

例えば、試合前の円陣などでベストなプレーと最悪な事態をそれぞれイメージしておくことでどんな展開になったとしても「すべて想定内」と割り切ることができ、慌てることなく平常心でいつも通りのプレーができるということです。

決勝の試合前も選手たちは優勝してマウンドでみんなで集まり、校歌を歌ってからアルプスにあいさつに行く姿を頭の中で鮮明にイメージし、必ず現実になると強く信じて試合に臨んだといいます。

“ナンバーワンポーズ”で前向きに
さらにことしのチームは、うれしいときや前向きな心境の時に片手の指3本を立てる「ナンバーワンポーズ」を新チーム結成当初から続けてきました。

“ナンバーワンポーズ” 慶応 大村昊澄主将
このポーズを繰り返すことでポジティブな感情を思い出し、ピンチの場面でも脳から前向きな精神状態を作り出すことができるといいます。

決勝でもヒットを打って出塁した時や、9回のピンチで守備のタイムを取って、内野陣が集まった時にこのポーズをとって気持ちを高め合っていました。

丸田湊斗 選手
「野球を最後の最後まで楽しみ尽くすことがエンジョイベースボールだと思います。甲子園では野球を最後まで楽しみ尽くせたと思います」

大村昊澄 主将
「野球は楽しいという本質を表現出来たと思います。心の底から野球は楽しいんだという原動力から出たプレーや行動が最後一番強いと証明したかったので、厳しいときでも笑顔を絶やさず楽しんでと声を掛け合って日本一まで登り詰めたので、常識を変えられたと思います」

慶応 森林貴彦 監督
森林貴彦監督は「選手たちの頑張りがすごくて、すばらしい成長ぶりでした」と話したうえで、チームで掲げていた「エンジョイベースボール」については…。

森林貴彦 監督
「子どものころ感じた野球が楽しいという野球の喜びをもう1回感じながら、表現できるよう、いい顔で野球をやろうとしてきました。そのほうがいいパフォーマンスができると思っていたので、結果につながって、世の中にメッセージを発信できるんじゃないかなと思います」

心から楽しむ野球でつかんだ、およそ1世紀ぶりの日本一。

高校野球に新しい風を吹き込みました。

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#夏の甲子園(2023・塾高・優勝)

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