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泉 総理大臣と市長を例にしてみると、総理大臣の場合、いまでこそ官僚の人事権を持っているし、リーダーシップを発揮しやすくなっていますが、議院内閣制の下での総理大臣は転換を図るよりも調整型のリーダーという性質が強い。一方、市民に直接選ばれる市長は、わかりやすくいうと大統領型ですよね。やろうと思ったら権限を行使して実行に移せる立場にありますので。転換を図るタイプのリーダーが実力を発揮しやすい。

鮫島 総理大臣は、与党内の権力闘争を勝ち上がり、国会議員による投票で過半数を得て指名されるわけですから、党内や国会を調整する能力が求められます。選挙制度と議会の仕組み、その両面から市長とは性格が違う。自治体の首長のほうが、総理大臣よりも個人としてのリーダーシップを発揮しやすい。

泉 さきほどの「国―県―市」の議論でも出てきましたが、市民に最も近いのは市。中間管理職的な都道府県の知事ではなくて、市民に近い立場の市長が自分の性質に合っていた。権限を行使して大きな方針転換を図れるのが市長です。

鮫島 いま国政が迷走していて、政治と国民の距離がかつてないほど離れています。既成の野党への期待感もなくなり、私のところにも「泉さんのようなリーダーが総理大臣になってくれれば日本も変わるのに」と意見が寄せられることが多い。

市長と総理大臣に求められる資質は必ずしも一致しない、という話ですが、共通して求められるリーダーシップ、政治指導者としての器のようなものがあると思います。泉さんが国政に行くかどうかは置いておいて、泉型のやり方を国政に当てはめることはできないのでしょうか?

泉 かつての私の理解では、仮に私が総理大臣になったところで大した仕事はできないだろうと思っていましたが、状況が変わってきている。官邸が官僚の人事権を握り、総理大臣でもかなりの権限行使ができるようになりました。

つまり、私が明石市でやったような改革が、かつてよりは国政でも実施しやすくなっている。もちろん、その権限を悪用する危惧もあるわけですが、国民に足場を置いた総理大臣が生まれれば、一気に日本社会のあり方を変えることも可能です。その時は当然、これまでの「調整型」あるいは「継続志向型」のリーダーではなく、「転換型」のリーダーが求められるでしょう。

泉 私が市長というリーダーを務める上で幸運だったのは、1990年代に一連の地方分権改革が進んでいたことです。2000年に施行された地方分権一括法では、地方への権限委譲が明文化され、これまで「上下・主従関係」だった国と地方の関係が「対等・協力関係」になることが明記されました。

まだ過渡期であり、多くの権限が都道府県止まりになっているのはこれまで申し上げた通りですが、少なくとも制度上はそうなっている。つまり、「国―兵庫県明石市」という序列はすでに撤廃されており、明石と国は対等なんです。

にもかかわらず、中央省庁の官僚も政治家も、それから地方自治体の首長本人も、その前提を共有していない。誰もが「国が上で、地方が下」だと考えている。法律が変わっているのに、現場の意識はまったく変わっていないわけです。

私は市長をやる上で、対等であるという前提で国と交渉したり、国に刃向かってでも明石市独自の施策を実行してきました。それで国に何か言われたことはない。国が市に対して上から権限を行使することはできないんです。

鮫島 そこが、市からさらに小さい単位の地域コミュニティに権限を委譲しようという明石市の取り組みに繋がってるのですね。「国―県―市」という序列はないのだから、より市民に近いところに権限を移していくと。

連邦国家アメリカと比較するとわかりやすいのですが、日本は法律上変わってきているとはいえ、依然として中央集権国家なんですね。まずは国家の中央省庁が自分たちがやりたいことをやり、面倒臭かったり手が届かないことだけ都道府県へ押し付けていく。都道府県はその中から自分たちがやりたいことだけやり、残りは市町村へ丸投げしていく。市町村の現場には国家や都道府県が手に負えない政策課題ばかりが降りてきて、日々それをこなすことに追われてしまう。上位下達の行政システムの矛盾が市町村の最前線に凝縮して現れる。上へ行くほど無責任になるんです。

アメリカは逆です。日々の暮らしに直結していることはできる限り、地域で決め、地域でやる。そこで手に負えない政策課題を市→州政府→連邦政府というように、どんどん大きな行政組織へ上げていく。外交防衛や金融政策など、各地の現場ではどうしようもないことが、連邦政府の役割として残ってくるんです。各地の市民ができる限り主体的に物事を決める。これぞ主権在民です。上から決定事項が降ってくる日本とは真逆なんですよ。

#泉房穂(「官僚の人事権」・地方分権一括法「対等・協力関係」・鮫島浩「アメリカは、日々の暮らしに直結していることはできる限り、地域で決め、地域でやる。そこで手に負えない政策課題を市→州政府→連邦政府というように、どんどん大きな行政組織へ上げていく」)

鮫島 これもやっぱり、2009年に誕生した民主党政権の罪が大きい。あの時、みんな民主党に期待しました。革新的なマニフェストもありました。でも、そこになかった消費増税が実施された。あれがもたらした政治不信がいまにつながっているわけですから、公約中心に政治を変えようと言ったところで、国民はもうついてこないでしょう。

民主党に絶望して自民党しか選べないんだけど、自民党も全然ダメで、嘘ばっかりつくし景気も悪いままだし、格差は広がる一方。どちらにも期待を抱けず「これどうするの?」と真っ暗闇な状況のなかで、明石市に代表されるような、実績を上げた自治体が唯一の光なんです。

泉 当面の見立てとしては、次の総選挙でがらりと変わると期待しています。2025年7月に衆参ダブル選挙になると睨んでいまして、兵庫県の場合は知事選も重なってトリプル選挙になる。ここが一つの山場でしょう。何度も言ってますが、変わる時は一気に変わるから。それこそ、ずずずっと地球の地盤が動くようなイメージかな。

いま、国民は苦しんでいます。私が増税批判のツイートをすると、共感が溢れかえる。それだけキツキツの生活をしてるわけです。その結果、人生が変わっちゃってる人もたくさんいます。「これ以上税金上がるなら、子どもは一人でやめておこう」とか。

にもかかわらず、国の政治家は「子どもが少ないのは、女性が早く結婚しないから」なんてズレたことをいう。

「何言うてるねん! あんたら、私らのこと全然わかってへんな!」

という国民の不満が、マグマのように溜まっているのが、今の状況です。国民の根っこのところにある不満に対して、どこの既成政党も新たな道を示せていない。そこが示せる政党なり政治家が出てくると、状況は一気に変わるでしょう。

私、こう見えて選挙が大好きでね。自分が出なくても選挙そのものが好き。だって、私みたいなモンでも出れますやん。

#泉房穂(鮫島浩「民主党政権の罪が大きい」「民主党に絶望して自民党しか選べない」)

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#泉房穂 「新たなる『政界再編の時代』が始まったように思う」

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#政界再編・二大政党制