明日の読売新聞「本よみうり堂」で,池上俊一『情熱でたどるスペイン史』( https://t.co/4PyED7niYx )が紹介される予定です.(紙面の都合により変更となる場合があります)
— 岩波書店 (@Iwanamishoten) 2019年3月2日
#インテレクチュアル・ヒストリー
今日は,ショレム・アレイヘムの誕生日(1859年).代表作『牛乳屋テヴィエ』は,ユダヤ人集落のしきたりの中に生きる一家の家族離散の物語を,ディアスポラの主題に重ねたイディッシュ文学の金字塔.「屋根の上のバイオリン弾き」の原作です.☞ https://t.co/YIJV3UOBdR
— 岩波書店 (@Iwanamishoten) 2019年3月2日
自由恋愛、革命、そして異教……テヴィエの娘たちはさまざまなものに飛びつき、テヴィエから離れていってしまいます。さらに、時代は反ユダヤ主義へと向かっていきます。苦悩し、切なさに耐えるテヴィエ。
なぜ、わたしに狙いを定められるのですか。
なぜ、わたしを負担とされるのですか。
なぜ、わたしの罪を赦さず
悪を取り除いてくださらないのですか。
#天皇家
やがて押し寄せてくるユダヤ人迫害の波の中で、テヴィエ一家は長年住み慣れた場所から追い立てられるのだが、立ち退きを命じにきた巡査に対して、彼はこれまた愉快な抵抗を試みる。「しかしね、あたしはあんたなんかよりもずっと前からここに住んでいるんですぜ、お役人さん(ヴァシェ・ブラホロディエ)」と切り出して、自分の家系を延々とたどって巡査を辟易(へきえき)させるのだ。
テヴィエは手紙の末尾で、「もしも神がお望みなら、またどこかでお目にかかれるでしょう」と、アレイヘム先生に呼びかけるのだが、そう、百年も前にイディッシュ語で書かれた作品からテヴィエが鮮やかに立ち上がり、現代の日本の読者と出会うことになった。
「屋根の上のバイオリン弾き」の原作です。
ショレム・アレイヘム先生にテヴィエが、独白する形で書かれています。
10編の連作短編集の形を取っており、牛乳屋テヴィエの一家が様々な試練に見舞われ、ついには住み慣れたウクライナの地からロシア人によって追い出されてしまうまでを描いています。
5人の娘と共に妻と7人暮らしをしているテヴィエの家は、決して豊かではありません。
でも、家族一緒に仲良く暮らしているのですが、娘たちはそれぞれ年頃になってきます。
長女は、親の思惑とは別に好きな人と一緒になり、子供も生まれ幸せに暮らしているかに見えますが、病気に斃れ子どもと共に残されてしまいます。
次女は、活動家を好きになり、逮捕された夫を追ってシベリアの地に追いかけてゆきます。
三女は、異教徒と一緒になり、勘当同然になりますが、ウクライナ追放の悲報に一緒に逃げるべく戻ってきます。
四女は、金持ちを好きになるのですが、格の違いを理由に相手の親戚から反対にあい、悲観して自殺をしてしまいます。
五女は、見合いで金持ちと結婚するのですが、事業の不振もあってアメリカに渡ります。
そうした中で妻の死があり、長女と三女それに孫と一緒にテヴィエは旅立ちます。
これだけの悲劇があっても、敬虔なユダヤ教徒であるテヴィエは、それらを試練と捉え、淡々と対応している様にも見えます。
それでも、先生に時々「神の不在」を嘆きます。
ユダヤ人に対する様々な弾圧の中で、彼らは集団となって耐えてゆきます。
この後起こるナチスの弾圧で、極限に到達するのですが、国土を持たないと言うことの大変さを改めて感じました。
ja.wikipedia.org
d1021.hatenadiary.jp
「純真多感な少年時代を大和河内の間に過ごし、日本を大和の国と教えられ、『しきしまのやまと心をひと問わば朝日に匂う山桜花』という本居宣長の歌を心に刻んで育った私は、大和という言葉が好きであった。その後、いろいろと学ぶにつけ、また世間を知るようになって、ますます会心の言葉となってくるのであった」