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農林水産省の元事務次官、熊澤英昭被告(76)は、ことし6月、東京・練馬区の自宅で、長男の英一郎さん(44)を包丁で刺して殺害したとして、殺人の罪に問われています。

11日、東京地方裁判所で初公判が開かれ、被告は黒いスーツを着て、伏し目がちにやつれたような表情で法廷に入り、証言台の席に座りました。

裁判の冒頭で裁判長から起訴された内容に間違いがないか問われると、被告は「間違いありません」と述べて認めました。

検察は「長男は以前から人づきあいが苦手で家庭内で暴力を振るっていて、被告は事件の前のことし5月にも暴力を受け、インターネットで『殺人』や『執行猶予』といったことばを検索するなど、長男の殺害を考えながら生活していた。具体的な殺害の状況は被告の供述があいまいなためはっきりしないが、台所にあった包丁で首や胸を何度も突き刺した」と述べました。

一方、被告の弁護士は「被告は長男を必死に支えていたが、事件の前から家庭内暴力でひどいけがを負い、恐怖を感じて生活していた。事件当日も『殺すぞ』と言っているのを聞いて殺されると思い、とっさに刺してしまった。被告が事件を起こさざるをえないほど殺されると思ったのはなぜなのかに着目して審理してほしい」と述べました。

午後の法廷では、熊澤被告の妻が証人として出廷し、長男の家庭内での暴力や事件に至ったいきさつについて証言しました。

弁護士から家庭内暴力が始まったいきさつについて聞かれると、妻は「長男は中学2年生の頃から、学校でいじめられたうっぷんを晴らすように殴る、蹴るといった暴力をふるってきたり、火の付いたライターと包丁をのど元に突きつけられたりしました」と述べました。

また、事件のおよそ1週間前のことし5月下旬に、1人暮らしをしていた長男が実家に帰ってきて一緒に暮らし始めました。被告が長男に家の中のごみを片づけるよう話しかけたところ、長男は激しく怒って、被告の髪の毛をつかんで頭をリビングの家具にたたきつけたということです。

その日からは長男に話しかけても「殺すぞ」とばかり言うようになったということで、妻は「本当に怖かったので、夫婦2人で食パンとスナックだけ持って2階にこもっていました。本当に殺されると思っていました」と述べました。

また、被告への思いを聞かれると妻は「長男のために一生懸命進学先を探すなど、本当によくやってくれました。刑をどうか軽くしてください。お願いします」と訴えました。

被告は伏し目がちで、ときおり目を閉じながら妻の話を聞いていました。
12日の裁判では被告人質問が行われます。

検察は証拠についての説明の中で、熊澤被告が妻に宛てた手紙が寝室から見つかったとして、内容を示しました。

それによりますと、手紙には「これまで尽くしてくれてありがとう。感謝しています。これしかほかに方法は無いと思います。どこかで死ぬ場所を探します。どこかで散骨してください。英一郎も散骨してください」などと書かれていたということです。

検察は、事件直後に熊澤被告がみずから110番通報した時の音声を法廷で再生しました。

被告は「練馬区に住む熊澤と申します」と名乗ったあと「事情があって息子を刺し殺しましたので自首したいのですが」と話しました。

「ちょっと待ってください」とあわてた様子の警察官に対し、被告は落ち着いた口調で状況を説明し、いつのできごとか問われたのに対し「5分から10分くらい前です」と答えました。

また、警察官が救急車を手配しようとすると、被告は「もう死んでいると思いますが」と答えました。

また「長い経緯がある」としたうえで、息子から殺されそうになったなどと述べていました。

検察は、熊澤被告と長男の関係について法廷で詳しく説明しました。

それによりますと、被告は昭和42年に旧農林省に入り、昭和50年に長男が生まれました。

長男は都内の中高一貫進学校に通いましたが、高校卒業までの間に学校でいじめられ、家庭内で暴力を振るうようになったということです。

長男は高校卒業後、複数の大学やアニメーションの専門学校に通いました。被告が農林水産省事務次官に就任した平成13年に長男は大学を卒業。被告がチェコ大使に就任したあとの平成18年ごろには長男は病院に就職しました。

長男は平成20年には仕事を辞めて、その後は仕事についていませんでした。長男は平成27年発達障害と診断され、たびたび病院を受診していました。また長男は一人暮らしをしていましたが、事件の1週間ほど前から被告の家で生活していたということです。

検察は、事件直前までの1年半、被告と長男がツイッターのダイレクトメッセージでやり取りした内容を、証拠として示しました。

この間、被告が発信したメッセージは995件だったのに対し、長男の発信は141件でした。

被告からは「ペットボトルなどのごみをちゃんと捨てるのだよ。捨てましたか?あしたはゴミの収集日です」とか、「床屋には行きましたか?まずは床屋に行くのだよ。健康的な生活を送りましょう」などと、1人暮らしの長男の生活習慣を注意する内容が多く、これに対して長男は「はい」などと短文で返答していました。

一方、長男が当時熱中していたインターネットゲームで、農林水産省事務次官の息子であることを示しながら、繰り返し、他人への暴言を書き込んでいたことについて、被告は「書き込みはダメだ。こちらの仕事にも迷惑がかかっているのが分からないのか。父の名前を出すな。本名に触れるな」などと繰り返し注意していました。

また、被告から「親ももう75歳。いつぽっくり死ぬか分からないよ。迷惑をかけないで」とか、「近所や不動産会社からごみを捨てるよう苦情がきました。捨ててくれないと、生活費の17万円は払えませんよ」などと、長男の生活について苦慮している様子がうかがえるメッセージも示されました。

農林水産省の元事務次官、熊澤英昭被告(76)は、逮捕後の調べに対して「長男はひきこもりがちだった」と供述し、さらに、「周囲に迷惑をかけてはいけないと思った」と供述していたということです。ひきこもりの支援を行っている団体には事件の後、親など家族から相談が相次いでいるということです。

KHJ全国ひきこもり家族会連合会では、事件が起きる前は電話相談は1日に1件あるくらいでしたが、事件後は多い日で1日に40件ほどの相談が寄せられています。

相談する人のほとんどは、それまで誰にも相談したことがなかったということです。中には40代の息子がいる80代の父親から「長い間自宅にひきこもっている息子が、母親に対して『殺す』などと言っていて、いつか手をあげるのではないかという不安がある」という相談もありました。

また「父親が息子に『お前を殺して俺も死ぬ』と言っていた。どうしたらよいか」という母親からの相談もあったということです。

家族会連合会の理事を務める池上正樹さんは「元事務次官が周囲に家庭内の悩みを打ち明けた形跡がなく、悩みを自分だけで抱えて打ち明けられなかったという点に注目している。本人や家族が相談できる窓口を作り、地域からひきこもりの家族を孤立させないことが重要だ」と話しています。

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