IAEA事務局長 イラン訪問を打診 査察活動への協力求めたい考え #nhk_news https://t.co/09aMe88xJJ
— NHKニュース (@nhk_news) 2021年2月16日
イランは、アメリカが経済制裁を解除しなければ、IAEAによる抜き打ち査察などを認める、「追加議定書」の履行を停止すると警告し、アメリカのバイデン政権への揺さぶりを強めています。
これについてIAEAは16日、NHKの取材に対し、イランが核合意に基づく抜き打ち査察などを含む検証活動を今月23日に停止すると通知してきたことを明らかにしました。
これに対してIAEAは、交渉のため、トップのグロッシ事務局長がイランを訪問することを打診したということです。
イランの核施設への抜き打ち査察などが停止されれば、核開発が軍事転用されないかなどを十分に検証することが難しくなるとみられています。
こうした事態にIAEAは危機感を強めていて、グロッシ事務局長が査察活動に協力するようイランに求めたい考えです。
米バイデン政権 サウジアラビアとの関係を再調整へ #nhk_news https://t.co/0bH9Z4PBcR
— NHKニュース (@nhk_news) 2021年2月17日
ホワイトハウスのサキ報道官は16日の記者会見で、中東サウジアラビアについて問われ「当初から明確にしていることだが、関係を再調整する」と述べました。
アメリカとサウジアラビアを巡ってはトランプ前政権が、イエメンで続く内戦に軍事介入するサウジアラビアに対して、積極的な支援を行ってきましたが、バイデン大統領は今月、こうした支援を取りやめることを明らかにしました。
また、政府に批判的だったジャーナリストの殺害など、国際社会から厳しい目を向けられているサウジアラビアの人権問題についても、バイデン大統領は懸念しているとみられていて、前政権が築いた親密な関係からの転換を示した形です。
ただ、サキ報道官は「サウジアラビアは、地域の脅威から自国を防衛する必要があり、今後もこうしたことでは連携していく」と述べ、配慮も示しており、対立するイランへの対応など両国の利害が一致する分野もある中で、バイデン政権がどこまで踏み込んで関係を見直すかに関心が集まっています。
#中東
ユダヤ民族を不幸にする熱狂的メシア信仰 ーバルコクバ戦争の結末ー ユダヤ入門シリーズ#11
帝国各地をあまねく視察して帝国の現状把握に努める一方、トラヤヌス帝による帝国拡大路線を放棄し、現実的判断に基づく国境安定化路線へと転換した。
ユダヤ教最高の律法学者の一人。ラビ・アキバとも呼ばれる。
アキバは無学な羊飼いであったと言われる。40代になって自分の息子と一緒にアルファベット(アレフベート)を学んだという。ロード (イスラエル)で律法を学び、後にロードとブネ・ブラックでも学塾を開き、多くの学者を輩出した。
アキバは、トーラーの口伝伝承を対象別に整理して解釈することで、ミシュナの基礎を築き、ハラハ(ユダヤ法)の発展に決定的影響を与えた。
132年、ローマ帝国のユダヤ教弾圧に対して、ユダヤ人が反乱を起こした。これをバル・コクバの乱、又は、第2次ユダヤ戦争という。反乱の首領はバル・コクバ(星の子)とよばれるメシア的な指導者であった。当時高名な律法学者だったアキバは、『民数記』24章17節の「ヤコブから一つの星(コーカーブ)が出る」という句をバル・コクバと結びつけて解し、また、実際に彼をメシアと認めたと伝えられている。
d1021.hatenadiary.jp
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当時のユダヤ教のラビの最高指導者と言われていたラビ・アキバはシモンのカリスマに打たれ、彼を聖書が予言したユダヤの救世主(メシア)であると宣言した。これを受けてユダヤ教の聖職者たちは全面的に彼を支援することとなった。アキバはシモンにバル・コクバ(星の子)という名前を与えた。
ユダヤ国滅亡の後、ユダヤ人はバル・コクバを『ほら吹き』と罵るようになり、「欺瞞の子」を意味する『バル・コゼバ』と呼んで揶揄した。また戦争の際キリスト教徒が彼をメシアとして認めなかったため、ユダヤ教とキリスト教の分離がさらに進んだ。
きっかけは130年のハドリアヌス帝の巡幸であった。彼は精力的に帝国領内を巡ったが、70年のエルサレム攻囲戦でローマ軍に破壊されたまま荒れ果てていたエルサレムにも足を伸ばした。彼はユダヤ人たちに同情し、エルサレムの再建・修復を約束した。しかし、自分たちの聖地エルサレムが「アエリア・カピトリナ」という名前に変えられること、およびその計画にエルサレム神殿跡地にユピテル神殿を立てることも含まれていることが判明するとユダヤ人の怒りが爆発した。また、モーセ以来、神との契約のしるしであった割礼を時代遅れの野蛮行為として禁止しようとしたことなどもユダヤ人には耐えられないことであった。
当初、この反乱計画はスムーズに進行し、各地でローマ軍の守備隊を打ち破り、ユダヤの支配権を取り戻すことに成功した。2年半にわたって、バル・コクバは政治的指導者の座に収まり、ラビ・アキバが宗教的指導者となるユダヤ的支配構造が確立された。彼らは「イスラエルの復興」を宣言し、コインを鋳造し、神殿の再建を計画した。
しかし、不意打ちを食らったローマ軍も決して事態を静観していなかった。ハドリアヌス帝はブリタンニアから勇将ユリウス・セウェルスを召喚し、ドナウ川流域に駐留していた軍団を与えてユダヤへと出動させていた。ユダヤ人は意気盛んで戦闘は困難であったが、ローマ軍団は着々とユダヤ各地を再征服していき、ついに135年にエルサレムを陥落させることに成功した。
バル・コクバは戦死し、ラビ・アキバは首謀者として捕らえられ処刑された。多数のユダヤ人の死と完全に廃墟となったエルサレム、荒れ果てたユダヤ全土を残して反乱は終結した。
ハドリアヌス帝はユダヤの不安定要因はユダヤ教とその文化にあると考え、その根絶を図った。ユダヤ暦の廃止が命じられ、ユダヤ教指導者たちは殺害された。律法の書物は神殿の丘に廃棄され、埋められた。さらにエルサレムの名称を廃して「アエリア・カピトリナ」とし、ユダヤ人の立ち入りを禁じた。紀元4世紀になって初めてユダヤ人は、決められた日のみに神殿跡の礎石(いわゆる嘆きの壁)の前に立つことを許された。ハドリアヌス帝は徹底的にユダヤ的なものの根絶を目指し、属州ユダヤの名を廃して、属州「シリア・パレスティナ」とした。これはユダヤ人の敵対者ペリシテ人の名前からとったものである。現代まで続くパレスティナの名前はここに由来している。
ハドリアヌスはユダヤ鎮圧のためセウェルスなど配下最強の将軍を送り込んだ。セウェルスは135年、エルサレムで反乱軍を破り、バル・コクバらはベタル砦に立てこもったが、セウェルスはベタル砦を包囲して陥落させ、バル・コクバら反乱軍は全員が処刑された。この結果ユダヤ人の多数がユダヤ属州を離れ、属州の名前もユダヤからシュリア・パラエスティナ属州へと変更された。セウェルスは凱旋式を行い、しばらくの間ひきつづき属州の総督にあった。
#偽メシア