塙保己一の史料館が渋谷にあるというので先日、行ってみた。重要文化財の「群書類従」の版木をこんな間近で見ることができるなんて。今でもこの版木を使って有料で手刷りしてくれるという。 pic.twitter.com/8dE4uK8yJj
— skipjacktuna (@katsuwonus516) 2021年3月3日
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江戸の国学者塙保己一が門人を集めて月見の宴を張った。盲人であった彼は、月を眺める人々の楽しげな声を聞いて、「花ならば 手にとりて見ん 今日の月」と詠んだ。傍にいた夫人が、「明月は 座頭の妻の 泣く夜かな」と受けたという。なんという二人の意気投合した詩境であろう。
法然上人の歌に、「月影の いたらぬ里は なけれども 眺むる人の 心にぞすむ」というのがある。この素晴らしい歌は、そのまま大阪の浄土宗門立上宮高校の校歌になっていることを、甲子園で聴いて感動した。
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ある雪の日、彼は平河天満宮へ参詣に出かけました。折り悪しく、高下駄の鼻緒が切れたので、境内の『前川』という版木屋(出版業者)の店の者に、ヒモでもいただきたいと頼みました。店の者は無言でヒモを彼の前にほうり出しました。盲目の彼が、ようやく手さぐりで探しあて、鼻緒をたてるそのしぐさがおもしろいと、店の者たちが手をたたいて笑うので、彼はいたたまれず、顔を赤らめてすごすごとはだしで帰りました。
やがて、苦心の『群書類従』が完成して出版するにあたり、彼は幕府にこの『前川』を「版元」に推薦したのです。何も知らぬ主人が、保己一に推挙の礼をいうと、保己一は、「私の今日あるのは、あのとき受けた軽蔑に発奮したのが動機であるから、私のほうがお礼を申しのべたい」と、見えぬ目に深いよろこびを浮かべて語ったということです。
なお、ヘレン・ケラーは幼少時より「塙保己一を手本にしろ」と両親より教育されていて、1937年に来日した際、記念館を訪れている。
このヘレン・ケラー女史がある席で述べた感想に、結局人間は努力です。努力することによって開発されぬ何物もありません、と語っております。これは人間の肝に、銘ずべき至言であります。
文献学は学問のなかの学問、研究のなかの研究ですね。これがないと本文がわからない。本文がわからないと作品が残らない。作品が残らないと注釈も現代語訳もない。それほど重要な学問。
— 川村裕子@『平安男子の元気な!生活』岩波ジュニア新書 (@kagekageko) 2021年3月3日
The probability is the area / 確率は面積である Associate Professor Makiko Sasada, Mathematics
言葉の「インフレ」時代に…俵万智さんが守りたいものは https://t.co/43AOyXN720
— 朝日新聞文化くらし報道部 (@asahi_bunka) 2021年3月3日
多くの説は「人格的生存に不可欠なもの」のみを新しい人権として認めようとする(人格的利益説)。これは新しい人権を次々と認めていくと、既存の人権に比べて内容があいまいなものも人権として認められてしまい(これを「人権のインフレ化」などという)、結局は新たな人権と既存の人権の無用な衝突を招きかねないから一定の歯止めが必要、などとするためである。
これに対し、少数ではあるが有力に主張されているのが、一般的行為自由説である。これは憲法13条の定める幸福追求権から、人は一般的な行為の自由権を持っており、それを根拠に人権として広く認められる権利があると考える立場である。この立場は人格的利益説の批判に対して、人格的な価値以外の部分についてはより弱い保障のみを与えるからインフレ化の問題は起こらない、などと反論している。
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