昭和天皇 拝謁記 国民の目を気にする姿も克明に #nhk_newshttps://t.co/j67E9UKlrG pic.twitter.com/B8r7rvCg0X
— NHKニュース (@nhk_news) 2019年8月17日
田島長官が仕えた時期は、昭和天皇が象徴として歩み始めた一方、退位の問題もくすぶっていて、「拝謁記」には、昭和天皇が国民の目を気にする様子がたびたび記されています。
終戦から4年がたった昭和24年8月30日の拝謁では、住まいとして使い続けていた防空施設の「御文庫(おぶんこ)」の増築が話題に上ると、昭和天皇は、「今ハ皇室殊ニ私ニ対シテ餘(あま)リ皆ワルク思ツテナイ様デ一部ニハ退位希望者アルモ大体ハ私ノ退位ヲ望マヌ様ナ時ニ私ガ住居ヲ大(おおい)ニ新築デモシタ様ニ誤伝セラルレバ私ハ非常ニ不本意デ、イハバ(いわば)一朝(いっちょう)ニシテ信ヲ失フ事ハツマラヌト思フ」と述べたと記されています。
さらに、昭和26年12月19日の拝謁では、昭和天皇が葉山御用邸での静養について、「退位論などを唱へる人達、生活ニ困つた人特ニ軍人など戦争の為ニひどい目ニあつた人から見ると私が葉山へ行くなど贅沢の事をしてると思ふだらう」と懸念を示し、「行つていゝか」と田島長官に尋ねたと記されています。
これに対し田島長官が「退位其他の事を云々(うんぬん)する人ハ葉山へ御出掛などをそう八釜(やかま)しく申しハ致しませぬし、大切な御位置の方の御健康上御よろしい事ハ結構な事であります故よろしいと存じまして」と述べると、昭和天皇は「そんならそれでよろしい」と述べ安心した様子を見せたと記されています。
一方、皇室についての新聞報道に神経をとがらせる様子も記されていました。
昭和28年11月4日の拝謁では、昭和天皇が大手新聞の報道に触れ、「『菊のかーてん』などと書き出してハ誠ニ困る」と述べたと記されています。これに対し田島長官が「内容を読みますれば宮内庁のやり方の批難ではありませぬがどうも標題がわるうございまして」と述べると、昭和天皇は「見出しだけで中を読まぬ人も多く『菊のかーてん』といふ言葉で想像して皇室が国民ニ接近したがらぬとの印象を与へる事ニなつてハ困る」と述べたと記されています。
分析に当たった日本近現代史が専門の日本大学の古川隆久教授は「国民の総意に基づく象徴天皇である以上は、いかに国民に受け入れてもらえる形を作るか、国民との関係をきちんと考えなくてはいけなくなったということが読み取れるのではないか」と指摘しています。
昭和天皇 拝謁記 旧軍否定も再軍備や憲法改正に言及 #nhk_news https://t.co/GVTYdqKMTY
— NHKニュース (@nhk_news) 2019年8月18日
「拝謁記」には、東西冷戦が激しさを増す中で、ソ連の侵略を現実的な脅威と認識し、危機感を募らせる昭和天皇の様子が記録されていて、サンフランシスコ平和条約の調印から5か月が経過した昭和27年2月11日に、昭和天皇が田島長官に対して、「私は憲法改正ニ便乗して外(ほか)のいろ/\(いろ)の事が出ると思つて否定的ニ考へてたが今となつては他の改正ハ一切ふれずに軍備の点だけ公明正大に堂々と改正してやつた方がいヽ様ニ思ふ」と再軍備と憲法改正の必要性について言及したと記されています。
昭和天皇は、その一方で、戦前の軍隊や軍閥の復活はかたくなに拒む姿勢を示していて、日本が独立を回復した直後の昭和27年5月8日の拝謁では、「私は再軍備によつて旧軍閥式の再抬頭(たいとう)は絶対にいやだが去りとて侵略を受ける脅威がある以上防衛的の新軍備なしといふ訳ニはいかぬと思ふ」と語ったと記されています。
「拝謁記」には昭和天皇がこうした再軍備や憲法改正についての考えを、当時の吉田茂総理大臣に直接伝えようとして、田島長官がいさめる様子が記されています。
昭和27年3月11日の拝謁では、昭和天皇が「警察も医者も病院もない世の中が理想的だが、病気がある以上は医者ハ必要だし、乱暴者がある以上警察も必要だ。侵略者のない世の中ニなれば武備ハ入らぬが侵略者が人間社会ニある以上軍隊ハ不得已(やむをえず)必要だといふ事ハ残念ながら道理がある」と述べたのに対し、田島長官は「その通りでありまするが憲法の手前そんな事ハいへませぬし最近の戦争で日本が侵略者といはれた計(ばか)りの事ではあり、それは禁句であります」と苦言を呈したと記されています。
また、昭和天皇は、昭和28年6月17日の拝謁で、石川県内灘の米軍基地反対闘争に触れ、「日本の軍備がなければ米国が進駐してヽ守つてくれるより仕方ハないのだ。内灘の問題などもその事思へば已むを得ぬ現状である」と述べたとされています。昭和天皇は、国防をアメリカに頼る以上は、基地の提供もやむをえないという認識を繰り返し示していて、基地反対運動に批判的な見解を語ったことも記されています。
「拝謁記」の分析に当たった日本近現代史が専門の日本大学の古川隆久教授は「昭和天皇が改憲や再軍備に言及していたことは新たな発見だが、改憲と言っても自衛隊的なものを作ることを憲法上認めるということで、国民主権や象徴天皇の枠組みを変えるところまではいっていない。昭和天皇は旧軍にものすごく批判的で、同じような軍隊を再現する気が全くないということはきちんと押さえておかなければならない」と指摘しています。
歴史家の秦郁彦さんは「旧軍閥の復活はダメだというのが前提で、憲法9条を改正して再軍備をするというのが主権国家として当然だというのが昭和天皇のこだわりだ。一方、吉田茂も独自の再軍備の構想を持っていた。ちょうどこの頃に警察予備隊ができたが、吉田としては日本の経済力が足りないうちは本格的な再軍備はできないので待っていてもらいたいという意味を込めて、再軍備に反対していた」と指摘しました。
日本の近現代政治史が専門で一橋大学の吉田裕特任教授は「この資料を見ると昭和天皇は憲法を改正したうえで再軍備すると、かなりはっきり繰り返し述べているので、昭和天皇が独立国家であれば軍隊を持つのは当然だと考えていることがよくわかる。明示的に憲法を改正したうえで、しっかりと再軍備することを考えていたことがわかったことは新たな発見だ」と述べました。
さらに、「吉田茂は軽軍備や安保のもとで憲法を改正せずに経済成長を優先させるといういわゆる『吉田ドクトリン』を採っていたが、昭和天皇がそれとはかなり違う路線を考えていたということも新しい発見だし、あまり予想していなかったので驚いた」と話しました。
そして、「吉田路線によって憲法の問題をきちんと議論しないままなし崩し的に再軍備が進み、その延長線上に今日があるということを考えると、原点においてこれだけ議論があったということを振り返ることは重要だと思う」と述べました。
そのうえで、「昭和天皇は一貫して国際政治の冷厳な現実を重視する、一種のパワーポリティクスみたいな議論が非常に強くて、軍事的な空白が生じたらそこにソ連が入ってくるという考えが非常に強い。背景として、朝鮮戦争の勃発によって冷戦が熱戦に転化してしまったことが大きく、それとともに起こった国内の治安問題やレッドパージなどの騒然とした事態への危惧も非常に強い」と指摘しました。
#天皇家
常備軍が存在するとどの国も自国の軍備を増強し他国よりも優位に立とうとするために、限りのない競争がうまれる。こうした軍拡費用のために短期の戦争よりも平和時の方が大きな負担を強いられるほどである。この費用を軽減するために先制攻撃が仕掛けられる。こうして常備軍は戦争の原因となるのである
— カントbot (@kant1724_1804) August 18, 2019
地上のあらゆる所有の中で、自分のハートが最も貴重なものである。
— ゲーテ名言集 (@Goethe_ja) August 18, 2019
政府は衰退しつつあって、それを食い止めるための苦肉の策として、多様な人材の必要性を今さら訴えているようだが、しかし、これまで一律の人間像としての国民を、与し易くて扱い易いロボットとしての労働者を世に送り出しつづけてきたのに、そこからの脱却など不可能もいいところで、なんと愚かな。
— 丸山健二 (@maruyamakenji) 2019年8月18日
多様な人間を生み出すための基本条件は、自立の精神の有無とその深さの度合いを問題にすべきで、それ抜きではまずもって無理な相談で、自立と国家や企業の言いなりになってしまう人物像とは真逆であって、両刃の刀剣のごとく、権力者にとっては扱いづらい厄介な人材であり、かれらはそれを知らない。
— 丸山健二 (@maruyamakenji) 2019年8月18日
すべてにおいて一律を好む日本人が、個性云々を口にするとは片腹痛い陳腐な現象で、そんなことは夢のまた夢にすぎず、そんな本性のそこに横たわっているのは、死ぬまで子どもをやっていたいという、恥ずかしい限りの横着さ以外の何ものでもなく、結局のところ、その性根が危険な破局を差し招くのだ。
— 丸山健二 (@maruyamakenji) 2019年8月18日
選挙に参加しない、つまり投票場に行かない者たちに対して、政治を口にする資格がないなどと得意げにのたまう輩が多く、ために、それが主流の正しい意見となっているようだが、しかし、あの程度の、ひと目で私利私欲の塊だとわかってしまう候補者のなかから選び出すという過ちを犯した結果がこれだ。
— 丸山健二 (@maruyamakenji) 2019年8月18日
わざわざ自分の時間を潰してまで一票を投じたくなるほどの候補者などどこにいるのか、卑しさが面に出てしまっている顔ぶれのなかから誰かを選ぶことなど愚の骨頂もいいところで、しかし、大半の愚民はそれを毎回毎回くり返し、その数の多さによって、国家を任せられそうな人材が、いつまでも現れない。
— 丸山健二 (@maruyamakenji) 2019年8月18日
アニメの業界人が「我々の仕事はけっして人から恨みを買うようなものではない」ときっぱりと言い切り、確かに表面的にはそう思えるかもしれないが、さりとて、夢と感動をもたらす、極めて安全な仕事かというと、アイドル集団に纏わる危険性と同様のそれがのべつ見え隠れしてやまぬ、恐ろしさを感じる。
— 丸山健二 (@maruyamakenji) 2019年8月14日
現実ではほとんどあり得ない、底なしの優しさと、劇的に過ぎる感動と、非日常的な変化がもたらす陶酔感にみちあふれたアニメ作品は、苛酷な現実に立ち向かうことを忌み嫌い、できれば子どもの延長線上におのが人生を置いておきたいと願う者たちに、自己逃避と現実逃避の場を与えてしまうことになる。
— 丸山健二 (@maruyamakenji) 2019年8月14日
そしてアニメ作品に触れているあいだだけは、厄介な上に思うようにならない、つまり面白くもなんともない現実社会を忘れていることができ、そのために病みつきになり、依存症にまでなり、どんどんのめりこんで、現実との境が曖昧になり、気づいたときにはもう、異様で異常な、妄想人間と化している。
— 丸山健二 (@maruyamakenji) 2019年8月14日
アニメマニアは、小説マニアと同様、虚構の世界へ深入りし過ぎたせいで、現実のなんたるかについて興味を失くし、現実は現実に任せておけばいいという、そんなことなどできるはずもない結論に達して、そのまま人生を送ることが可能ではないかと信じこむに至って、いつしか知らず怪物へ移行している。
— 丸山健二 (@maruyamakenji) 2019年8月14日
世界で日本のアニメが持て囃されるのは、薄っぺらな、ほとんどあり得ない感動と感激の線に沿って物語が構成され、展開されるからで、しかも、その底には幼児性を帯びた夢と憧れが横たわっているからで、つまり、現実逃避と自己逃避を願う者の数があまりにも多過ぎるからで、ために、商売になるのだ。
— 丸山健二 (@maruyamakenji) 2019年8月14日
自己逃避と現実逃避の場を設けてやりさえすれば、酒や麻薬のたぐいと同じように、多くの人々がそこへどっと流入し、ぼろ儲けの商売として成立し易く、その病的な依存はたちまちにして人生を奪い去り、現実と闘う気力を奪って、何か厭なことがあるたびにそこへ逃げこみ、一生隠れていたいと願うのだ。
— 丸山健二 (@maruyamakenji) 2019年8月14日
アニメやゲームや、はたまた現実性を極力抜き取った小説や映画からもたらされる感動や感激は、現実に苛酷さにくたびれ果てた心に癒しの効果を与えてくれる効果は確かに認めるが、しかし、やがてその心地よさの中毒性に苛まれて、そのあり得ぬ世界から抜け出せなくなり、価値観のすべてを占領される。
— 丸山健二 (@maruyamakenji) 2019年8月14日
虚構の世界において培われてしまった価値観は、もちろん現実世界において通用するはずもなく、そのことは承知していたにもかかわらず、いつしかその尺度のみという異常な人間に化け、ために、現実との接点を失って、ついには、当人自身ですらおのれの本音と本性を把握できない怪物に成り果てるのだ。
— 丸山健二 (@maruyamakenji) 2019年8月14日
d1021.hatenadiary.jp
d1021.hatenadiary.jp
<共同通信世論調査>政党支持率:れいわ新選組4.3(+2.1)%、野党では立憲に次いで共産党と並ぶ。若者(30代以下)は7.4%が支持。N国は1.3(+0.3)%。ワイマール共和国時代に生活が困窮すると右のナチスと左の共産党が伸びたが、同じような現象だ。この国は奈落に向かっているのではないか。
— 舛添要一 (@MasuzoeYoichi) August 18, 2019
冷静に彼等の主張を聴くと誇大妄想な様に聞こえます。彼等を支持する人というのは、現実逃避に近いものなのでしょうか。今の経済の状況では、その様にしか感じられないです。
— もも♂ (@K1Gooo) August 18, 2019