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7月30日に97歳で死去した李登輝(り・とうき)元総統は、京都帝国大学に1943年に入学した。李登輝氏は2006年、台北市内で京都新聞の取材に応じ、「台湾から京都に来たのは終戦の2年前。まず食べ物に困った。配給券を持ってあちこちの食堂を回ったが、お米は茶わん一杯もなく、野菜も足りない。困って台湾から豚の脂の缶詰と砂糖を送ってもらった」と、日本語で若き日の京都の思い出を語った。

 京都帝大のキャンパスは閑散としていたという。日本統治下でも台湾・朝鮮出身の学生は召集されていなかったが「同級生が兵隊に行くのに自分だけのんびりはできない」と志願した。
 
 李登輝氏は、大阪で兵役検査を受けた。旧制高校のころから『死』とは何かを勉強した。今の人にはおかしいだろうが、検査官に『歩兵に行かせてくれ』と言った。一番苦労し、人間の生死の間をさまよい、死とは何かを理解するには歩兵がいいと」などと、戦争中の思い出を話していた。

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とくに地方の私

立大学はもともと定員割れが続いていたので、

このコロナヒステリーで万事窮すの状態。弱小

私立大学はアルバイト目的で来日してくる外国

人学生の、ビザ取得目的の『かくれ学生』『ま

ぼろし学生』『幽霊学生』で成り立ってきた。

 学生の来ない、来ても学問などとほど遠い若者

でかろうじて存立してきた弱小大学など、公費で

助成する必要などない。第一大学の数が多すぎた。

 かくて日本では大学の数はとんでもなく多くな

ってしまった。いまこそ淘汰の時期である。日本

はおかしな『大学バブル』。ヨーロッパなど、大

学は指で数えるほどしかないではないか。

――戦争を論じるうえでなぜ法の視点が重要なのでしょうか。

長谷部 憲法と戦争とのあいだには切っても切れない関連があるからです。戦争は基本的には国家と国家の戦いですが、じつは国家という枠組みは突き詰めていくと、私たちの頭の中にしかない“こしらえごと”です。そのこしらえごとの核心にあるのが憲法です。

 その本質を鋭く指摘したのがジャン=ジャック・ルソーです。ルソーの「社会契約論」は国家を設立する契約について論じたものですが、志を同じくする人が同じ条項を守ることに同意して新しい共同体を立ち上げる――そういう社会契約によって国家は出来上がります。ところが、国家の設立によって最低限、人々が平和な社会生活を送れる基盤を整えたはずが、国家と国家は依然として自然状態にあるので、人々は大規模な殺し合いを始めてしまう。それが戦争です。

 ルソーはこうした事態を解決するためのアイデアをいくつか提案しています。ひとつは、後にカントが『永遠平和のために』にも取り入れているもので、すべての国家が共和制になること。現代流に言うと「民主主義」の体制をとるということですね。そうすれば、国民の意思と無関係に政府が戦争を始めることはできなくなります。

 2つ目は、すべての国は市民が武装することで防衛をする。常備軍というのは政府の利益は守るかもしれないが市民の利益は守ってくれないかもしれないので、民兵組織で防衛をするという方法。すべての国が共和制国家になり、かつ防衛は市民が自ら担う、そういう体制が整えば世界はだんだんと平和になっていくだろう、というビジョンです。

 3つ目は集団的安全保障です。現代の国連のモデルとなった考え方で、これも『エミール』でルソーが示したことです。

――安全保障をめぐるさまざまな考え方のルーツがルソーにあるんですね。

長谷部 そうです。実はもうひとつ、ルソーはとても面白いアイデアを提示しているんです。そもそも社会契約を締結して国家を設立したのは、自分たちの生命と財産を守って平和な社会生活を送りたいからです。ですから、国家と国家による苛烈な戦いで自分たちの命がかえって危なくなってしまった場合には、自分たちの社会契約、つまり憲法を放棄してしまえばいいと。

 社会契約が根本的に異なるからこそ国同士の戦争が始まるというのがルソーの分析です。現代の歴史でいうなら、なぜアメリカは第二次大戦の終わりに日本に政治体制を変えろ、憲法原理を変えろと要求したのか? ベルリンの壁崩壊後の冷戦の終結はなぜ訪れたのか? 日本は大日本帝国憲法を棄て、ソ連をはじめとする東欧諸国も共産主義体制を放棄して、議会制民主主義国家になることを受け入れることで、戦争が終結したわけです。20世紀史を見ると、ルソーの予言が現実化していることがよく分かります。

 ルソーはもともとスイスのジュネーブ生まれですが、政府と教会の弾圧を受けて各地を転々とし、故国を失った人として生きた哲学者なので、国というものを外側から客観的に見る視点が貫かれているんですね。

――200年以上も前に、そんなラディカルな提言がなされていたことに驚きます。戦争をめぐるさまざまな法的議論が本書で取り上げられていますが、ひとつ興味深かったのが、4-5紀にアウグスティヌスのような神学者が「正戦論」を唱えていた点です。

長谷部 キリスト教というと、いわゆるパシフィズム、平和主義のイメージを日本人は持っています。でも、戦争は絶対に反対というのはキリスト教思想のごく一部です。個人レベルでそういう信念を持つ人もいますが、じつはアウグスティヌスの「正戦論」の考え方のほうが多数派です。キリスト教の歴史は、ご存じのように十字軍をイスラム世界に仕掛けたりしていて、戦争とも関係が深い。

 正戦論は端的にいうと、「正しい根拠、正当な原因がなければ戦争をしてはいけない」というものです。また、正当な根拠があって始めた戦争であっても、戦争遂行行為としてできることにおのずと限界があるというのが基本的な考え方です。では、なにが正当な原因になるのか、どこまでの戦争遂行行為が許されるのかには、黒か白かという明確な形で決まる絶対的な規則があるわけではない。いろいろな考慮要素をひとつひとつチェックして総合的に許されるものかどうか、いわば「チェックリスト方式」で考えるというのがアウグスティヌスの主張です。

 絶対的な規則をもうけずに「チェックリスト方式」で総合判断するというのは、日本の最高裁もたとえば、憲法上の基本権の制約が許されるかどうかの判断をするときによく行っています。政府の行為はどういう公益を実現しようとしているのか、その公益にはどれだけの必要性があるのか、政府がとる行為と公益とのあいだにどれほどの合理的関連性があるのか、得られる利益と失われる利益のバランスはとれているか、いろいろな論点を総合して正当性の有無を判断するわけです。

 私自身は最高裁がこの方法を頻繁に使うことについては批判的ですが、こと戦争遂行という話になると、こうなったら必ずこうだという硬直的な判断基準は使わないほうがいいと思っています。考慮すべきさまざまな要素をひとつひとつチェックして総合的に許されるものかどうか考える、そういう柔軟な判断を取ったほうがいいというのがアウグスティヌスの考え方です。

――それは現代のさまざまな政治的判断にさいしても採用されているのでしょうか。

長谷部 その通りです。「二重効果理論」(doctrine of double effect)という考え方もアウグスティヌスの話と共通するところがあります。ある正当な目的を実現するために不可欠な手段を取ると、その目的は実現できるかもしれないが、望ましくない結果も同時に生じる――それは許されるのだろうかという議論です。例えばトマス・アクィナスが具体的に議論しているのは正当防衛に関してです。

 危害を与えてくる人間がいるとき自分の命を守るため、必要な限りで実力を行使します。すると結果として相手も傷つく、つまりdouble effectが起こります。でも望ましくないことが起きるからといってこの場合、絶対にやり返すなとは言えない。

 これは、絶対平和主義にこだわるわけにはいかないという大前提から出発しています。ではそのとき何をやってもいいのかというと、そうではない。結果においてバランスが取れるような必要最小限の実力行使を考えないといけないわけです。

――「必要最小限の武力行使」という論の一方で、歴史を見ると「勝った者が正義だ」という考え方も支配的だったわけですよね。

長谷部 その考え方は、17世紀前半、三十年戦争期のオランダの法学者グロティウスが、「決闘で勝ったほうが正しいんだ」と理論化しました。つまり戦争というのは、裁判外紛争解決手続、つまりADRalternative dispute resolution)であって、国と国が戦争するときはどちらも自分のほうが正しいと主張するもので、国内の紛争なら裁判所が決着をつけるが、国際社会には裁判所がないので決闘で解決することになると。

 これはこれでひとつの説明の仕方ではありますが、この議論を前提にしていると、所詮戦争は強いほうが勝ちますから、どんどん軍拡競争をすることになる。第一次世界大戦へとつながっていったのもそうした論理です。

 第一次大戦はあまりに悲惨な戦争だったので、その反省から導かれた全く新しい考え方を採用したのが1928年のパリ不戦条約でした。国際紛争を解決する手段としての戦争を放棄」したエポックメイキングな転換点です。仏ブリアン外相と米ケロッグ国務長官のイニシアティブにより締結されたこの条約は、当初15カ国が調印し、のちに63カ国が参加しました。これによって、紛争の解決に武力行使や武力による威嚇することは明確に違法となりました。日本の憲法9条にも受け継がれている精神です。

 無論、戦争はよくないことくらいみんなわかっていたわけですが、紛争を解決するための戦争の放棄という考え方が国際社会において浸透するためには、それなりに時代環境が成熟する必要があったわけです。

――人と人が互いに殺し合わないようにするための仕組みづくりの模索が法の歴史でもあるんですね。

長谷部 これは戦争に限ったことではないですが、理想の社会、理想の生き方は、人それぞれで異なります。どちらがいいのか、悪いのかを決められる共通のモノサシはない。だからこそ、異なる理念や価値観を持った人が、可能な限り公平に扱われて生活できる枠組みをいかにつくるかが肝心です。その模索の結実が、いわゆる近代立憲主義です。

 きわめて幸いなことに現在の日本国憲法は近代立憲主義の考え方に立脚しています。こういう原理を持った憲法の下で暮らしている国は世界のなかでも限られています。この憲法の下で暮らしていることがどれほど幸福なことなのかをわれわれはもう少しかえりみる必要があるでしょう。

 近代立憲主義を具体化している憲法のベースにあるのは、「基本権」の尊重です。基本権というものは、ああしろこうしろと明確には言いません。例えば、表現の自由という権利は守られるべきだ。では実際の運用としてどうすればいいのか、人のプライバシーを暴くことと、報道の公益性のバランスはどこにあるのか等、それは「自分で考えなさい」というのが基本権です。人間は平等であるべきだといった基本権も同様です。それを現実の社会のなかで実現するにはどうしたらよいのかは自分で判断しなさいという性質の理念なんです。

 一方、いわゆる道路交通法や手形小切手法といった普通の法律は、「自分で判断しないで言う通りにしてくれ」という法です。左側通行がよいか悪いか、各人が自分で考えて判断したら大混乱になるわけです。

――そうすると、戦争をめぐる法もまた基本権に近いもので、その都度人に考えることを要求するんですね?

長谷部 その通りです。極限的な状況下ではルールどおりにしてれば大丈夫というわけにはいかない事態が数多く生じます。そこで起こる道徳的ディレンマをめぐって、『ペスト』の2年後に発表されたカミュの戯曲『正義の人びと』(白井健三郎訳、新潮社)は、非常に示唆に富んでいます。この戯曲は、革命運動を弾圧する恐怖政治の中心人物、セルゲイ大公の暗殺を企てるロシアのテロリストを描いたものです。主人公のカリャーエフは、セルゲイ大公の乗った馬車を待ち伏せし、爆破しようとしますが、実行のまさにそのとき、馬車に乗っているのが大公1人ではなく、彼の幼い甥と姪も乗っていることに気づき、暗殺を躊躇します。

 彼のためらいに、「破壊するにも、ひとつの秩序があるわ、限界ってものがあるわ」と理解を示す同志もいれば、「殺さなかったばかりに、ロシアの幾千の子供たちがこれから何年も餓え死してゆく」と非難する者もいる。そして最終的に暗殺に成功した彼の独房を訪れた大公妃は、「あのひとは、すくなくとも、百姓たちを愛していました。一緒にお酒も呑んでいました。それなのに、お前はあのひとを殺した。どうしたって、お前も正しくはありません。この世はすさみきっています」と痛烈な言葉を浴びせかける。

 いったい何が正義なのか、正義の実現のために子供を巻き込んで殺すことは是か非か、それこそ大義があれば空爆やドローン狙撃で市民が巻き込まれることは許されるのかといった、激しい道徳的ディレンマが生じるわけです。

 何を正しい答えとするかは、人それぞれの価値観によって異なり、必ず衝突します。しかし「比較不能の価値」のなかでどれかを選択せざるをえない。選択することを通じて自分がどういう人間なのかを自分で選んでいると言ってもいいでしょう。しかし選んだからといってなんの悔いも残らないわけではない。悔いは残りながらも選択をする。人間というのは死ぬまでそうなんだと思います。

――そういう場面では少なくとも、すべてを一元化して功利主義的に判断する人よりも、ためらい、悩む人のほうが信頼できる気がします。

長谷部 そういう人のほうが人間らしい人間だと思います。比較不能な価値観が衝突する世界において、「正しいこと」「望ましいこと」をすべて同時に満足させることはできません。こと戦争においてはそのディレンマが突きつけられます。

 近代立憲主義の理念はひとりひとりが自らの頭で考え、判断することを要求します。法と戦争の関係を問い直すことは、比較不能な価値において自分はなにを選択するかという思考を深く促すものとなるでしょう。戦争や安全保障の問題は単純な話ではありません。日本の9条の問題もしかり、簡単でない問題をさも簡単であるように扱ったり、学ぼうとしないで安易な結論を出したりすることは避けるべきです。戦争なんてあまり興味がないよという方には、最後にトロッキーの言葉を贈りたいと思います。

「君たちは戦争に関心がないかもしれないが、戦争のほうでは君たちに関心がある」

 私たちが無自覚なまま戦争に絡めとられてしまうことがないよう、学び続けなくてはならない理由はここにあるのです。

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仕事は読み、書き、考えることにほとんどの時間を費やします

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#仮面のロマネスク

10年前と今とでもっとも違う点は、「ネットを使うと新しい時代が作れる」という希望の有無だと思います。僕はその希望はもうないと思っている。

もちろん、多くのひとが今でもそう信じてるでしょうし、部分的にはよくなる部分もあると思います。けれど、社会全体としては、結局ネットやSNSが普及しても、それだけでは世の中よくなるわけじゃないな、というのはコンセンサスがとれてきたのではないでしょうか。

僕は1971年生まれで、Windows95がブームになったときに24歳くらい。まさにインターネットが世界を変えるようすを目の前で見てきた世代だったので、ネットで世の中をよくするとしたら自分たちの世代が第一陣だろう、という自負がありました。

実際、2000年代は僕も30代で、若い世代とネットの力で世の中を変えられるんじゃないかと思っていた。テレビでそんなことも言ったりしました。ところがそれはダメだった。少なくとも、そんな単純な話じゃないということがわかってきた。その中で、僕自身、元気のいいことを言うのではなく、もう少し深く足元を見つめる方向に変わっていきました。

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「立派なことを言う人物に立派な人はいない」

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社会学界の泰斗ソローキン教授が指摘しております。
「一人の人間を強烈に愛することも出来ないくせに、ちょっと見たところ全人類を愛するふうをする多くの人々がある。彼らの人類愛は非利他的な、無関心に殆んど近い程稀薄なものであり、骨も折れず、且つ実践され得ないものである。熱もなく、冷もなく、彼らは自己主義者と低級な利他主義者との境界線を占めている。」

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