https://d1021.hatenadiary.com
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https://d1021.hatenadiary.jp/entry/2018/10/28/200110

実証実験は、バスが通れない地域で「電動小型低速車」の導入を検討している京浜急行が、自治体や大学と連携して横浜市金沢区で実施するもので、初日の29日は実験の様子が報道陣に公開されました。

今回活用される「電動小型低速車」は運転手を含めて4人乗りで、最高時速は19キロ、傾斜が最大20度の坂道を走行できます。

実験では急な坂道や狭い道路が多い地域と、バス停やコンビニエンスストアをつなぐ4キロから5キロの区間を巡回するということで、登録すると専用の停留所から無料で乗ることができるほか、スマートフォンなどのアプリで小型車の現在地や乗客数を確認できます。

実験は3週間にわたって行われ、利用した人から乗り心地や適正だと感じる運賃を調査することにしています。

京浜急行まち創造事業部の菊田知展課長補佐は、「“買い物弱者”になりやすい1人暮らしのお年寄りや、子育て中の若い方にも乗ってもらって評価していただき、導入につなげていきたい」と話していました。

 雨混じりのなか、傘もささず現れた両陛下を、東京や下田の避難先で面会した多くの島民が熱烈に歓迎した。そのなかには、中学生になったあの少女の姿もあった。

「住民との交流は“一度会っておしまい”という一過性のものではなく、両陛下はいつまでも心にとどめられます。足かけ5年に及んだ少女と美智子さまの触れ合いがその象徴です」(竹内さん)

https://d1021.hatenadiary.jp/entry/2018/10/28/200110(「ものぐさ太郎から三年寝太郎へ」)

https://d1021.hatenadiary.jp/entry/2018/10/25/200157(皇族が距離を置く式典の警護対象リストに「小室圭さん」の怪)
https://d1021.hatenadiary.jp/entry/2018/10/24/200100(話題沸騰!美智子さまが“退位後”読みたい推理小説はどんな本?)
https://d1021.hatenadiary.jp/entry/2018/10/20/200100(皇后さま きょう84歳の誕生日)

28日は、結婚式を前に、午前9時半から、守谷さんの使いが絢子さまを迎えにあがる「入第(じゅだい)の儀」がお住まいの高円宮邸で行われました。

絢子さまは、「袿(うちぎ)」に「切袴(きりばかま)」という平安朝ゆかりの装束に、「おすべらかし」と呼ばれる髪型で儀式に臨んだあと、母親の久子さまや姉の承子さまが見守る中、皇室関連の重要な儀式や行事に使われる乗用車に乗り込み、皇宮警察サイドカーも加わった車列で式場に向かわれました。

そして、午前10時半すぎに明治神宮に到着すると、鳥居の前で出迎えた守谷さんとともに式をあげる楽殿へと進まれました。

楽殿の前では、お二人の友人ら40人余りと多くの参拝客が待ち受け、「おめでとうございます」と祝福する声や拍手に対し、絢子さまは、守谷さんと何度もおじぎをしてこたえ式場に入られました。

結婚式は、午前11時半すぎから始まり、久子さまや承子さまをはじめ、守谷さんの父親など、両家の親族33人が参列しました。式は、神式で仲人を立てずに行われ、絢子さまは、「小袿」と「長袴」に着替えて臨まれました。

進行役の斎主が祝詞をあげたあと、絢子さまは、守谷さんと盃を交わして結婚指輪を交換し、二人で誓いの言葉にあたる誓詞を読み上げられたということです。

絢子さまは、式のあと、明治天皇などが祭られた社殿を守谷さんとともに参拝されるということです。

28日は、このあと絢子さまと守谷さんの婚姻届が東京の港区役所に提出され、絢子さまは皇室を離れられます。

https://d1021.hatenadiary.jp/entry/2018/10/26/200100高円宮家の絢子さま 皇室祖先らに結婚報告)

https://d1021.hatenadiary.jp/entry/20100423/1271980790(「波騒(なみざい)は世の常である。波にまかせて、泳ぎ上手に、雑魚(ざこ)は歌い雑魚は踊る。けれど誰か知ろう、百尺下の水の心を水の深さを」)
https://d1021.hatenadiary.jp/entry/20090622/1245651066(彼は“行”をしている…顔つきが違うのだ。)

https://d1021.hatenadiary.jp/entry/2018/10/28/200110(ものぐさ太郎から三年寝太郎へ)

https://d1021.hatenadiary.jp/entry/2018/10/28/200150

新人4人の争いとなった新潟市長選挙は28日に投票が行われ、自民党が支持した元参議院議員中原八一氏が、「保守分裂」の中、野党5党が支援する候補らを破り、初めての当選を果たしました。

新潟市長選挙の結果です。

中原八一 (無所属・新) 当選、9万8975票
▽小柳聡 (無所属・新)9万902票
▽吉田孝志 (無所属・新)9万539票
▽飯野晋 (無所属・新)4万9425票。

blogs.yahoo.co.jp

似てるよね?mshira1973.wordpress.com

 リクルート事件以降、「政治とカネ」の問題が相次ぎ、政治改革を求める世論が高まる中、細川護熙氏は1992(平成4)年、「既成政治・行政の打破」を掲げ日本新党を結成。翌93年の衆院選では新生党新党さきがけと「新党ブーム」を巻き起こし、8党派による連立政権で首相指名を受ける。

 -91年に知事を辞めて、新党結成、首相へと転身しました。

 「新党を起こして1年2カ月で首相になったわけで、何かを考えてやる余裕はない。ただ日本の閉塞[へいそく]感を打破するのは既存政党では難しいだろうと。まずは自民党の一党支配が38年間続いた日本におけるベルリンの壁を壊すことだった」

 -知事を辞めた時もその思いから?

 「いやいや、その時はそんなんじゃない。辞職後に臨時行政改革推進審議会の部会長となり、地方分権特例制度の答申を出した。それを(中央省庁に)反故[ほご]にされちゃったもんだから、新党を立ち上げて戦おうと決めた」

 「金権政治からの脱却も大きなテーマで、(政党交付金などを設ける)政治資金改革と、政権交代可能な選挙制度の二つを政治改革の柱にした」

 94年、衆院選小選挙区比例代表並立制を導入する政治改革関連法を成立させる。当時は小選挙区300、比例代表200。

 -必ずしも理想の改革ではなかったようですね。

 「私は穏やかな多党制を実現できる『中選挙区連記制』が望ましいと思っていたので、理想とは程遠いものだった。あの時の政府原案は小選挙区比例代表が同数の250ずつ。だが成立させるためには、より小選挙区を増やしたい自民党案で妥協するしかなかった。選挙次第で一方に一気に流れる懸念はあったが、あの時の政治状況で改革をチャラにはできなかった」

 細川内閣は94年4月に退陣。自民党は6月、社会党、さきがけとの連立政権で与党に復帰を果たす。その後15年間、小泉純一郎首相が仕掛けた「郵政選挙」で大勝するなど政権を守るが、2009年衆院選で、「官僚主導の打破」を掲げた民主党に再び政権を渡す。

 -細川政権選挙制度改革によって民主党政権が誕生したとも言えます。

 「結果として政権交代は起こったが、それには功罪がある。民主党の功の部分は『コンクリートから人へ』を掲げて教育、社会保障を重視するなど、自民党とは違うことを試みて一定の成果を挙げた。罪については政治主導を言い過ぎて、官僚機構を使いこなせなかった。それでは政治は動かない」

 -二大政党を目指し数を優先させたため、民主党には「寄り合い所帯」との批判がありました。

 「自民党に代わる固まりを作るため、社会党左派のような人から自民党より右の人まで無理にくっついた。(支持母体の)労働組合との関係もあり、意思統一しにくかったところが弊害として出た。民主党が失敗だったかといえば、必ずしもそうは思っていないが、(下野後に)政権の経験という財産も党名も捨て、分裂したのは大きな損失だ」

 12年、政権を取り戻した自民党。以来、2度の解散総選挙に勝利。安倍晋三首相は18年9月の自民党総裁選で3選を決め、「安倍1強」の長期政権を築く。

 -今の自民党政治をどうみていますか。

 「首相の力が強くなり過ぎ、党内が一色に染まっている。中選挙区時代は党内で活発な議論が行われ、リベラル的な勢力と右寄りの人たちが派閥同士で切磋琢磨[せっさたくま]していた。それが党のエネルギーになって、政権交代がなくてもどちらの流れに行くかで政治のバランスがとれていた」

 -県内でも衆参の選挙区で自民党が独り勝ち。この結果は選挙制度改革がもたらしたとの指摘があります。

 「制度を変えた結果ではある。改革は不十分なものだったから。しかし、民主党がきちんと政権運営をできなかったことに一番大きな問題がある。民主党に流れた時期もあったわけだから、必ずしも選挙制度ばかりが原因ではない」

 民主党から衣替えした民進党が17年の衆院選を前に分裂。立憲民主党や国民民主党などに分かれるも支持率は伸び悩む。

 「今の野党からは国民に分かりやすい“旗”が見えない。安全保障や原発問題、人口減少社会などテーマはいくらでもあるのに。日本新党では三大公約を掲げ、実現したら解党すると言って本当にそうした。タイムリミットを設けた“時限政党”は案外信頼を得られるかもしれない」

ソウルを訪れているアメリカのビーガン特別代表は29日、韓国外務省で、カン・ギョンファ外相やイ・ドフン(李度勲)朝鮮半島平和交渉本部長らと相次いで会談しました。

会談の冒頭、ビーガン特別代表は「最も重要なのは、北朝鮮最終的かつ完全に検証された非核化を成し遂げることであり、到達可能だと確信している」と述べ、米朝間で2回目の首脳会談に備えた実務協議が早期に始まることに期待を示しました。

韓国外務省によりますと、会談で双方は朝鮮半島完全な非核化と恒久的な平和の構築に向けて、緊密に連携していくことを確認しました。

ただ、北朝鮮との融和を急ぐムン・ジェイン文在寅)政権に対しては、アメリカのハリス駐韓大使が「米韓両国は声を1つにすべきだ」などと苦言を呈したばかりで、ビーガン特別代表としては韓国側に対し、同盟国として足並みをそろえるよう釘を刺す狙いもあったという見方が出ています。

https://d1021.hatenadiary.jp/entry/2018/10/28/200220(@Joe_Nye)
https://d1021.hatenadiary.jp/entry/2018/10/27/200220(日本と北朝鮮拉致問題で応酬 人権問題扱う国連総会の委員会)
https://d1021.hatenadiary.jp/entry/2018/10/26/200220(南北の軍と国連軍司令部 JSAの非武装化作業を完了)

アメリカと旧ソビエトが調印したINF=中距離核ミサイル全廃条約を、トランプ大統領が破棄する考えを示したことをめぐって、今月23日、安全保障政策を担当するアメリカのボルトン大統領補佐官はモスクワを訪れてプーチン大統領と会談し、条約を破棄する方針を正式に伝えました。

これについて、ロシアのラブロフ外相は、28日に放送された国営テレビのインタビューで、「ボルトン氏がプーチン大統領と協議したことによって、戦略的安定をめぐる対話を再開させる必要性を双方が認識し、新しい条約について考えることになれば、とても前向きなことだ」と述べ、アメリカとの間で新たな条約の締結を含む対話が始まることに期待を示しました。

ただ、アメリカにとっては、条約に入っておらず大量に中距離ミサイルを保有する中国も脅威となっていて、ロシアとの対話にどう臨むのか明らかになっていません。

このため、来月、フランスで行われる見通しの米ロ首脳会談で、条約が破棄されたあとの対応をめぐって、どのような協議が行われるかが焦点です。

https://d1021.hatenadiary.jp/entry/2018/10/26/200245NATO 冷戦後最大規模の合同軍事演習)
https://d1021.hatenadiary.jp/entry/2018/10/25/200245(米INF破棄 “問題はロシアのふるまい” NATO事務総長)
https://d1021.hatenadiary.jp/entry/2018/10/24/200245(「INF条約破棄 米の意図見極めたい」プーチン大統領
https://d1021.hatenadiary.jp/entry/2018/10/23/200245(中ロが核戦力強化なら米も トランプ大統領

任期満了に伴い4年に1度行われる南米ブラジルの大統領選挙は28日、決選投票が行われ、貧困層へのばらまきをやめ汚職を撲滅させると訴えた右派のジャイル・ボルソナロ氏が過半数の支持を得て当選しました。

ボルソナロ氏は元軍人の63歳で、選挙戦では、「ブラジルを再び偉大な国にする」と訴え、その過激な発言からブラジルのトランプ氏とも呼ばれています。

ブラジルでは、当選が決まった直後から町の至るところで花火が上がり、リオデジャネイロのボルソナロ氏の自宅の前には、数十万人の人々が集まり、勝利を祝っています。

一方で、地元警察によりますと、ボルソナロ氏の支持者と、その過激で差別的な発言に反対する人たちの間で、選挙結果をめぐり衝突も起きており、複数の逮捕者が出ているということです。

ボルソナロ氏は黒人や女性への差別的な発言を繰り返し、当初は差別主義者だとして、ブラジル全土で反発の声が広がり、泡沫候補とみられていました。

しかし、経済が低迷し、治安も悪化する中、過激な発言を繰り返すボルソナロ氏は国民の生活を劇的に変えてくれる候補だとして、現状に不満を持つ中間層や富裕層を中心に支持を広げ、ブラジルの大統領に当選しました。

ブラジルの大統領選挙でボルソナロ氏が当選したことについて、アメリカ、ホワイトハウスのサンダース報道官は、コメントを出し、「トランプ大統領は、ボルソナロ氏に電話で、祝意を伝えた。そしてお互いが、地域のリーダーとして、両国をはじめ、南北アメリカの人たちの生活を改善するため協力していく」として、今後、両国の連携を深めていくことを確認したとしています。

金融都市のフランクフルトがあるドイツ中部ヘッセン州の議会選挙は28日、投票が行われました。

暫定の最終結果で、メルケル首相が党首を務める中道右派の「キリスト教民主同盟」の得票率は27%で、第1党の座は維持したものの前回・5年前の選挙を11ポイント余り下回り、半世紀ぶりの低さとなりました。

また、連立政権で与党の一角を担う中道左派の「社会民主党」も得票率が前回を11ポイント近く下回って戦後最低の19.8%に落ち込み、大敗しました。

一方、難民の受け入れに反対する右派政党「ドイツのための選択肢」は13.1%と躍進し、国内に16ある州のすべてで議席を獲得することになりました。

メルケル政権が推し進めた難民政策や連立与党内の対立などが影響したものと見られ、メルケル首相にとっては2週間前に行われた南部バイエルン州の議会選挙に続く敗北となりました。

今回の結果を受け、社会民主党は今後1年間の政権運営次第では連立からの離脱も辞さない考えを示していて、メルケル首相の政権運営が一層不安定になるのは避けられない情勢です。

https://d1021.hatenadiary.jp/entry/2018/10/15/200305(ドイツ与党 州議選で歴史的敗北 メルケル政権に打撃)

選挙の結果を受けてメルケル首相は29日、党の幹部会を終えた後記者会見し「12月の党大会で党首選挙には立候補しない」と述べました。

また「政権4期目のいまが私の最後の任期で、そのあとは連邦議会にも首相にも立候補しない」と述べ2021年まで首相を務めたあと政界を引退する意向も明らかにしました。

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夕食はボストン名物の
クラムチャウダーとロブスター

https://d1021.hatenadiary.jp/entry/2018/10/28/200520

今日から2ヶ月前、滋賀県の蓬莱山(ほうらいさん)を下山中に、右手薬指の中手骨を骨折した。人生初の骨折だった。
それから2ヶ月が経過、2週間前に富山市内で整形外科へ行き、医師から「あと2週間固定しましょう」と告げられた。
台風による停滞もあり、後立山連峰に入る前に、2週間が経ってしまった。

ギプスを2ヶ月固定していると話すと、「もう必要ないのではずしましょう」と即答だった。

レントゲンを撮り、画像をみると、明らかに2週間前より骨融合が進んでいた。2ヶ月ぶりに固定から解放された右手、は解放感よりも、違和感たっぷりだった。不安定な右手に不安感も強かった。当たり前だが、自分の右手ではない感じが拭えない。
先生からはリハビリはとにかく動かしてくださいと言われた。歩きながらグーパーを繰り返してということだ。
固まった腱や靭帯、筋肉が動く度にきしむ感じがした。少しずつ揉みほぐすように。

山頂で腰を下ろし、コーヒーを一杯のみ、朝日小屋へと戻った。
朝日小屋の目玉は食事らしく、夕食は富山尽くしとなった。こぶじめ、ホタルイカ、おでんなど。
一番驚いたのは、トイレにウォシュレットがついていたことだ!

https://d1021.hatenadiary.jp/entry/2018/10/04/200530