https://d1021.hatenadiary.com
http://d1021.hatenablog.com

 現代の古典であり、古典を現代に読む意味をストレートに教えてくれる大事な1冊だ。

 現代は学問の縦割りが批判され「大学改革」が叫ばれる。目に見える成果や、新しさが求められるなかで、本書は厚みを持つ。同時に、20世紀初めドイツの社会学マックス・ウェーバーの残した遺産を、最先端の議論に照らす。

 タイトルと副題は、内容を明確に体現する。

 社会科学とは、〈1〉社会での物事のしくみを解き、〈2〉他の人に伝える営みだと著者は言う。〈1〉は、原因と結果、つまり、因果の探究であり、その手続きそのものについても、常に振り返り(反省的な形式化)が求められる。

 では、因果分析とは何か。それを解くために本書は、「適合的因果構成」と呼ばれるウェーバーの方法論から出発する。これは、プロテスタンティズムと近代資本主義成立の間の因果を検討する上で用いられる。成立した近代西欧と成立しなかった伝統中国のちがいは、宗教倫理だけではない。しかし、仮定を立てて、実際の事例に即して確かめる、この方法論により、原因のつながりが、よりはっきり見える。

 これは副題の「知の現在」=統計的因果推論に通じる。どちらも、何かの原因を、事実ではない形で定義する。後者は、その結果が出る確率について、特定の集団を対象にして、一定の条件をつければ、因果を測定できる、とする。こうして社会科学は、これまで積み重ねてきた、さまざまなやり方を、みずから振り返りながら鍛えている。

 著者はこれまで、不平等や桜といった現代のテーマに向き合いつつ、資本主義や社会学史といった古典も追い求めている。また、日本語の使い手としても手本にできる。他の人に伝える、開く力を本書でも存分に発揮する。

 古典とは、一読しただけでは、わからない。本書を何度も読み返し、語り合ううちに、一気に視界が開けてくるにちがいない。

d1021.hatenadiary.jp
d1021.hatenadiary.jp
d1021.hatenadiary.jp
d1021.hatenadiary.jp
d1021.hatenadiary.jp
d1021.hatenadiary.jp

d1021.hatenadiary.jp
d1021.hatenadiary.jp
d1021.hatenadiary.jp

届いた本を読むと、antiquarianism という言葉がよく見られる。

d1021.hatenadiary.jp

E.H.カーは『歴史とは何か』岩波新書で「歴史とは現在と過去との対話である」という言葉を幾度も使用しているでござる。これは過去の歴史というものは、現代の歴史家の未来意識により規定され、またその逆でもある双方向的なコミュニケーションということでござる。極めてアクチュアルでござるね。

歴史哲学という学問分野があるでござる。歴史学が「史実」を探求しそれを実証的に積み重ねであるのに対し、歴史哲学はそもそも「史実」とは何かを疑い、歴史家の主体性と問題意識の「史実」への関わりを問題とするメタ学問でござるよ。歴史哲学の名著では『歴史とはなにか』岩波新書があるでござるよ。

d1021.hatenadiary.jp

歴史学者が、特定のイデオロギーではなく、過去を背負い、未来に開かれた時間の流れの途上に位置する現代が抱える問題意識に基づいて過去を解釈する時、歴史はより一層客観性に近づく。

「歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話である。」(p. 40)

一般的には、歴史的な事実というと、考古学や日本史の遺跡発掘のイメージで「客観的事実」を宝探しの宝を探すように「発見」し、それを記述したら歴史が出来上がり、という感じがするのだが、そうではない、とカーは言いたいのである。そして「主観的」という言葉が何か悪いものであるかのように考えられがちだが、そうではなく、歴史家の「判断」があって初めて「歴史的な事実」として認められるのだということである。そうすると主観的な判断が入るので「客観的事実はない」「不変の真理はない」と嘆いたり、怒ったり、ぐれたり、すねたりしてしまう人がなぜがいる。それが学問的態度ではない、って言うことなのだ。私たちができることは、限りなく近づこうという態度で臨むことだけだ。

遠山:構想力といいますか、これは数学ばかりでなく、科学ぜんぶがそうだと思います。科学をあまり知らない人は、科学というのはわれわれの世界を写真みたいに写す学問だというように考えている。そういう人が多いのですが、実際は写真みたいな写し方ではない。むしろ、絵に近いです。不必要なものは大胆に捨象してしまう。重点的な点だけつかみだして見ていくんですね。だから、科学的な精神というのは、なにかおのれをむなしくして、写真のカメラみたいにならなければいけないように考えている人が多いようですが、実際は、そうではない。非常に主観がはいるわけです。

d1021.hatenadiary.jp

 直観主義に立つ正義論の最も美しく完成された、そしてその後世への絶大な影響力の点でも最も重要な形態は、言うまでもなくプラトン(427〜347B.C.)の思想に見られる。プラトンの師ソクラテス(469〜399347B.C.)は、「正義に果して自然的基礎ありや」というソフィストの鋭い問題提起を正面から受け止め、各人は、「真知(エピステーメー)」の顕現を妨げているさまざまな邪念妄執(特に「無知の知」)を払拭し、明鏡止水の境地に達することによって、心中に宿る「良心(ダイモニオン)」の謬らざる声に耳を傾け、正邪曲直を弁別する能力を生得的に具備しているという独特の主知主義倫理学説を説いた。「客観主義」・「主観主義」という二分法に照らしてソクラテスの立場を位置づけるならば、尾高の指摘するように、一種の主観主義的客観主義であり、「主観そのものの中に、時と場合によって左右されることのない客観的原理を求めよう」とする試みであった、と言うべきであろう。プラトンの正義論は、師ソクラテスの理論から出発し、一方で彼の認識論と表裏一体を成すと同時に、他方では、ギリシャ的ポリスの伝統を維持しようとする壮大な企図であった。

d1021.hatenadiary.jp

#ポストモダン

d1021.hatenadiary.jp

やはり、時代に流されてはいけない。これが決定的に重要なことであります。しかし、このことはそんなに簡単なことではございません。よりどころというものが必要であります。まあ一種、北極星のようなものですね

やはり、なんといっても古典の力は非常に安定的であります。時の気まぐれな風の向きにさおさす、これがどんなにみじめな結果を招いたかということを私は存じておりますので

d1021.hatenadiary.jp

具体的妥当性と法的安定性の両方を常に考え続けていく。

d1021.hatenadiary.jp

「国際系の学部は、以前は経済学などの社会科学を学ぶところが多かったのですが、2004年に設立された早稲田大学国際教養学部を皮切りに、文化人類学的なアプローチをとったり、コミュニケーションや海外文化の研究をテーマにしたりする、人文科学系の学部が多くなりました」

「法学系や経済系を志す学生より、将来のことを考えている人が多いという印象があります。国連職員や外資系企業の会社員など、海外でなにかをしたい、国際的な分野で働きたい、という志向をもっています」

「かつては留学先といえば欧米でしたが、いまはシンガポール国立大学や中国の大学など、高度な学問を学べるエリアが広がりました。日本の将来にとっても東南アジアは重要なエリアなので、大学側もそれを念頭に、いろんなエリアを選択肢に入れている。国際系の学部は留学を推奨しているところが多いですが、どのエリアの大学と提携し、どういうカリキュラムを設けているのかをチェックすることは大事です」

早稲田の国際教養学部について、ナガセの市村氏にもう少し掘り下げてもらう。

「少人数のディスカッション型授業が重視され、考える力が養われます。“英語で学ぶ”ことが目的とされ、学生4人の英会話レッスン、英文レポート作成など、実践力重視の授業が多く開講。1年間の海外留学が必修で、留学先もコロンビア大、オックスフォード大、ロンドン大など一流大学ばかり。より高いレベルで学びたい人には最適な環境です」

 また、ハードサイエンスから舞台芸術まで七つの分野から科目を自由に選択でき、22言語のなかから第2、第3言語を学べるという。

 先の小林氏は、

「以前なら上智や東京外語をめざした層が、早稲田の国際教養に流れた」

 と推し量るが、上智はどうか。石原氏が言う。

「外国語学部は国際やグローバルとつく学部にくらべると、人気が落ちています。保護者世代には、外国語というと語学の先生か翻訳家になるイメージで、広がりがないと感じられるようです。でも中身は変わってきていて、国際系の学部に近いことをやっています」

 また、上智は14年に総合グローバル学部を新設している。ここでは、国際関係論と地域研究という二つの“系”を設け、それぞれの下に二つずつ“領域”を用意。学生は四つの領域から一つをメジャーとして、もう一つをマイナーもしくはサブメジャーとして選ぶという。留学は必須ではなく、安田氏の言う「ソフトなもの」に分類されそうだ。

法則性を見出さないなら、それはもはや学問ではない。
法学で言うなら、具体的妥当性と法的安定性の両方を常に考え続けていく。

#ポストモダン

www.yuhikaku.co.jp

世界中の多くの大学で使われている国際政治学の定番教科書の最新版。東欧や中東の紛争,中国の台頭,北朝鮮の脅威など,国際紛争の引火点を理論と歴史の両面から説明する新たな章を加えた。

国際紛争 -- 理論と歴史 原書第10版

国際紛争 -- 理論と歴史 原書第10版

――今は歴史関係の新書がベストセラーになるなど、ちょっとした歴史ブームです。私も今のニュースを昔の出来事と重ね合わせて分かることを紹介する記事(コラム)を書いていますが、出口さんは、歴史を学ぶ意味をどうお考えですか。

 出口:「将来何が起こるかは誰にも分かりません。何かが起きた時にどう対応するか、教材は過去にしかありません。東日本大震災のような災害は、いずれまた起こるでしょう。その時に震災のことを勉強した人としなかった人、どちらが助かりやすいかは誰にでも分かる。歴史を学ぶ大切さは、これに尽きます。

 ダーウィン(1809~82)の進化論の本質は「運と適応」がすべてということです。運を定義すれば「適当な時期に適当な場所にいること」。大地震が起きた時に高い丘の上にいるか、海辺にいるかで津波に遭うかどうかが決まり、生死が分かれる。将来何が起こるかは分からないのですから、「運」はどうしようもない面があります。しかし、人間を含めて地球上の生物は適応、つまり「何かが起こった時にどう対応するか」を重ねて進化してきたわけです。

 ドイツの宰相ビスマルク(1815~98)が「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と言ったのは、時間軸の話をしているのです。経験から学ぶだけでは、人生のどこかで震災が起こらなければ対応策が学べません。でも人類の歴史は5000年ありますから、時間軸を延ばせば様々な対応策を学ぶことができます。

 古代中国、唐の第2代皇帝で名君といわれる太宗・李世民(598~649)は、リーダーが持つべき「3つの鏡*」のうちのひとつは「歴史の鏡」だと言っています。昔のリーダーは、歴史を学ばなければいけないことを知っていたのです。

 *「3つの鏡」 李世民の言行録である中国の古典『貞観政要』があげるリーダーに必要な3条件のこと。リーダーには、自分の今の表情(状況)をチェックする「銅の鏡」、歴史を学ぶ「歴史の鏡」、部下の直言や諫言かんげんを聞き入れる「人の鏡」が不可欠と説く。

――ただ、現在と過去の出来事は、登場人物や時代背景はもちろん、政治や経済のシステムもまったく違います。民主主義の時代に起きていることを、封建主義の時代に起きた出来事と比較しても参考にならない、という声を聞くこともあります。

 出口:そうでしょうか。民主主義は古代ギリシャから始まっています。イギリスの哲学者ホワイトヘッド(1861~1947)が「西洋哲学はプラトンの膨大な解釈の歴史にすぎない」と言ったように、考え方によっては古代ギリシャの哲学者、プラトン(紀元前427~紀元前347)によって課題は全部出そろっているわけです。

 人間の脳は昔も今も大きく変わっていませんから、喜怒哀楽や経営判断、対応策に大きな違いはありません。何かが起きた時、昔の人はどう対応したのかを知っていれば、必ず今の出来事を読み解く参考になるはずです。

 しかし、今の出来事の参考にするには、昔に本当に起きたこと、つまり正しい歴史を学ばなければなりません。エンターテインメントを得意とする小説家が書いた教訓めいた物語は参考になりませんから、歴史と物語は峻別しゅんべつしないといけないと思います。本当に起きたことを都合よくねじ曲げた安易な教訓や物語は、読む人には気持ちがいいかもしれませんが、学問としての歴史を学ばなければ実際の役には立たないのです。

――学問としての歴史、と言われると、とっつきにくく感じてしまいます。大河ドラマや時代劇など、出口さんの言う安易な教訓や物語を歴史を学ぶ入り口にする人は多いのではないですか。

 出口:それは全然OKです。原泰久さんの『キングダム』という漫画がものすごい人気を博していますが、あの漫画がきっかけになって『新釈漢文大系 史記』(明治書院)を読んでいる若者が何人もいます。本当の歴史がどうだったか知りたくなったそうです。『キングダム』は漫画ですから、エンターテインメントだということが分かりやすく、学問との峻別もできます。

 問題なのは、「歴史めいた物語」です。例をあげれば司馬史観のようなものですね。あまりに上手に書かれているので、本当の歴史と混同してしまう。悪しき典型例が「江戸しぐさ」です。江戸時代の古き良き風習とされて、今を生きる人の参考になると紹介されていますが、あれは、100%平成しぐさですからね。

 面白おかしい陰謀論などがフェイクニュースの温床になるのです。世の中に流布した真実ではない物語については、学者がはっきり「ウソだ」と言わないといけないと思います。この点は呉座勇一さんが『陰謀の日本中世史』(角川新書)で鋭く指摘しています。

――出口さんは著書で「歴史に事実は一つしかない」と書いていますね。しかし、長年新聞記者をしていると、今起き
ている出来事でさえ、見る角度によって違うなと思うことがよくあります。歴史の本にも「諸説あり」という言葉がありますよね。過去の出来事は、本当に一つなのでしょうか。

 出口:歴史とは、今まで地球上に生きてきたすべての人間の出来事の総和ですから、きょうのこの対話も歴史になります。対話の内容を僕と丸山さんがそれぞれ記録に残すとすると、2つの記録は当事者が自ら残した信頼できる一次史料になります。しかし、重点の置き方や価値観の違いなどがありますから、2つの記録は絶対に同じにはなりません。ですが、そのことは出来事が2つあるということではありません。録音テープを再生すれば対話内容は1通りしかありませんよね。

 歴史学というのは、今の例で言う、録音テープを発見する努力の積み重ねです。いろいろな解釈はあっていいのですが、解釈には数字、ファクト(事実)、ロジック(論理)という根拠が必要です。こういう文献があるから、こういうエピソードがあるから、こう見てもいいのではないかと、数字とファクトとロジックを使って議論しながらひとつの真実に近づいていく学問が歴史なのです。

 解釈に思い込みが強く入っている人の主張は、えてして根拠がいい加減なので、議論していくうちに消えていきます。本当の専門家が史料を持ち寄って議論を重ねることで、真実は一定の幅に収れんしていくのです。

――新しい史料が見つかれば、せっかく収れんしても、またやり直さなくてはならなくなりますね。

 出口:当然です。よく「出口さんの言っていることは中学校で習った歴史と違うんですが、ホンマですか」と聞かれますが、昔のことは変わらないというのは錯覚です。歴史学は古色蒼然そうぜんとした本をほこりを払って読む学問というイメージを持つ人は、歴史が何かをわかっていない。

 中国では、大きな墓が発見され、墓から当時のことを記した竹簡や木簡が大量に出るたびに、歴史は大きく書き換えられています。例えば、「孫氏の兵法」で有名な孫氏は孫武と孫ピンの2人だったことが明らかになっています。教科書で誰もが一度は見た伝源頼朝像については、いくつもの新たな証拠が出されて、今やまともな学者で「あれは足利直義(1306~52)の像だ」というのを疑う人は皆無です。

――高野山成慶院の武田信玄(1521~73)の肖像画も、おそらく別人のものだろうという説が有力ですね。馬に乗っている有名な足利尊氏(1305~58)像も、尊氏ではないと言われています。しかし、頼朝像は「伝」の字はついてもまだ頼朝像として紹介されていますね。

 出口:書き換えには時間がかかりますが、一定のタイムラグを置いて、伝頼朝像はいずれ教科書から消えると思います。新たな史料が見つかるたびに更新され、そのたびに真実に近づいていくという点では歴史は他の学問と全く同じです。更新されていかなかったら、それは学者がさぼっていると思った方がいいんです。

 出口さんは、歴史を学ぶことの大切さと、その歴史は日々変わっていて、学び続けなければいけないと説く。では、最新の知見で何が、どう変わっているのか。対話は日本史研究の最前線へと移る。

――私も日本史を題材に記事を書いていて、昔と違うな、と思うことがよくあります。新史料の発見で根拠が変わったということもあるでしょうが、研究者を取り巻く史観も影響しているのではないでしょうか。

 出口:歴史の出来事に対する価値観はその時その時の社会がつくるもので、それも変わっていきます。明治天皇は自分は北朝だと思っておられたそうですが、尊皇精神などを優先して南朝が正統とされたのは明治40年(1907)以降のことなんです。

 古代史研究は、いまだに方法論からしておかしいと思います。『日本書紀』は持統天皇(645~703)と藤原不比等ふひと(659~720)が創作したもので、完成したのは奈良時代の720年です。中国の史書にある「倭わの五王*」は5世紀、卑弥呼にいたっては西暦260年ごろの話ですよ。まともな学者なら中国の同時代史料と考古学の話をベースに日本の古代史を研究して、参考程度に『日本書紀』や『古事記』を見るのが当たり前です。

 *倭の五王 古代中国の歴史書に登場する讃・珍・済・興・武の5人の倭王のこと。5人の倭王は1世紀近くにわたり、主に南朝朝貢していたとされる。

 ところが『日本書紀』や『古事記』を一所懸命読み解いて、中国の史料とか考古学のデータを都合よく解釈して、5人の倭王天皇の誰にあたるかとか、倭王武雄略天皇(?~479?)だ、といった意味がない議論をしています。邪馬台国についても九州にあったか畿内にあったかの議論は、今の時点ではほとんど意味がない。決着を付けようとすれば、箸墓を掘るしかありません。邪馬台国という権力が日本にあったということが分かれば十分でしょう。

――日本で書かれた『日本書紀』や『古事記』を読み解かず、中国で書かれた『魏志倭人伝』を引き合いに出すのはおかしい、と言う人もいます。

 出口:『日本書紀』や『古事記』が何よりも正しいというのは学問ではなく、宗教です。8世紀に書かれたもので、持統天皇不比等が大幅に脚色しています。「どちらの方向に何里」といった邪馬台国の位置に関する中国の史書の記述は伝聞ですから正確とは言い切れませんが、多くの学者は『魏志倭人伝』の記述はほぼ正しいとみています。日本は中国にとっては海の向こうの小さな島で、伝え聞いた通りに客観的に書くはずです。ねつ造したり、ねじ曲げたりする必要性はどこにもありません。

――時の権力者が歴史をねじ曲げ、研究者を取り巻く史観も影響しているのではないでしょうか。

 出口:権力者のプロパガンダによって歴史がねじ曲げられるのは、世界中であることです。中国の正史は正しい記述が多いとされていますが、それでも時代が変わる前の皇帝の事績はとても悪く書かれています。前権力が根こそぎ変わる「易姓革命」の国なので、前の権力が悪くなければ政権交代の正統性を説明できないからです。そういう弱味があるからこそ、それを踏まえつつ分析する学者の存在意義があるわけですし、だからこそ歴史は学問として面白いんです。

 明治以降の皇国史観*が歴史をねじ曲げたことは確かで、和気清麻呂わけのきよまろ(733~799)や楠正成(1294?~1336)が忠臣とされ、足利尊氏(1305~58)は悪人とされました。実は明治天皇(1852~1912)は自分は北朝だと思っておられたようです。尊皇精神を宣伝するには南朝を正統とする方がいいという理由で、明治40年(1907)以降、南朝が正統とされたのです。

 *皇国史観 日本の歴史は天皇を中心に形成されてきたとする国史のこと。南北朝時代南朝を正統とした。和気清麻呂皇位を狙った道鏡(700?~772)を排し、楠正成は南北朝時代南朝を支え、足利尊氏建武の新政を崩壊させて北朝をたてた中心人物だった。

 不幸なことに、戦後は皇国史観の反動で、一転してマルクス史観*の階級闘争論が優勢になり、あまりにも型にはめた議論が見られるようになりました。貴族の次は武士の時代だとイデオロギーが後付けをして、「平清盛(1118~81)が貴族化してぜいたくをしたから平氏は滅んだ。代わって源頼朝(1147~99)が臥薪嘗胆がしんしょうたんの末に平氏を倒し、武家の棟梁とうりょうたる将軍になって幕府を開いた」ということになったんですね。

 *マルクス史観 19世紀にカール・マルクス(1818~83)が唱えた歴史観唯物史観とも呼ばれる。社会は無階級社会から階級社会へと生産力の発展に応じて移行していくとする。戦後の日本の歴史学者に強い影響を与え、多くの歴史教科書等に反映された。

d1021.hatenadiary.jp

「日新」は、日ごとに新しくなる。また新しくする。
『易』の繋辞伝に「日新是れを盛徳という」。
これは、日一日ごとにわが学術を新たに進歩せしめることを盛徳というのである。

d1021.hatenadiary.jp

考えてみると、日本の高校までの学習は、先生の講義を聞いたりテキストを読んだりして「正しい」知識を吸収し、試験問題に「正解」するための訓練をするという性質が強いのかもしれない。しかし、大学はそうではない。私も、高校までで「正しい」日本史を学んだつもりだったのに、大学の日本史の授業で「高校で習ったことは忘れてください」のようなことを言われ、愕然(がくぜん)とした覚えがある。高校までの私は、日本史は無批判に存在するものだと思っていたが、大学で、それが多くの史料から人間の解釈を経て組み立てられたものだと気づき、自ら多くの資料や原典を読んで、自分で真実に近づこうとする姿勢の大切さを学んだ。

d1021.hatenadiary.jp